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#22 文化祭二日目
二日目。俺はひとり自分の教室の前で、ひたすら座り続けていた。
「お次のお客様、中へどうぞー」
「えっ!男の子!?」
「あ、そうなんです……ははは……」
このやりとりも、もう20回はやった。顔が変わっている自覚はあるが本当に女の子に見えているのだろうか。
さすがに20回もこんな反応をされると、『え、俺もしかして可愛いの?』などと思ってしまう。
……というか。
「ねえ、一緒に写真撮ってもいい?」
「あ、はい」
これだ。これが多い。
声をかけてきた男二人組は、大正浪漫の書生風なコスプレをしていることから学校の生徒だと思われる。
インカメで撮るらしいので二人の方へ寄る。
先程案内したお客さんと入れ違いで出てきたこの二人は、中に入るときに『えっ!男!?』と全く同じ反応をしていた。ので、俺が男であることは分かっているはずなのだが、何が楽しくて見知らぬ男と写真なんて撮るのか。女装してるから面白いのか。
「撮るよー」
「はーい」
カシャッ。
一体今日で何人のスマホに俺の顔が収まったのだろうか。「ありがと~」と満足気に去っていく二人の背を見ながら思う。女性にも声をかけられるのは正直役得だが。
相変わらず謎の需要のもと微妙に客足の絶えないお化け屋敷の前で、ただただ受付だけをこなし続ける。
すると、少し遠くから「あ、いたいた!」という女子生徒の声が聞こえてきた。
ちろりと見遣ると、そこには。
「えっ、お兄」
二人の女子生徒を侍らせてこちらへ歩いてくる兄の姿があった。
ミニスカポリス二人と、アメリカンポリス。何か、アメリカのちょっと大人向けな映画のワンシーンみたい。直視しちゃいけない気がしてきた。
スッ、と目を逸らしかけたとき、「ひーな」と呼ばれてつい視線を戻してしまった。
「え……何?」
戸惑いながら尋ねると、綺麗な長い黒髪にパーマを当てた大人っぽい女子生徒が口を開いた。
「あのさ、さっき一緒に写真撮ってもらったんだけどもっかい撮ってもらってもいい?」
言われて『あ』と思い出す。そういえば見覚えがあった、この二人。そうだ、コスプレ的にお兄のクラスメートだったりするのかな~とぼんやり思ったんだ。
「あ、はい。いいですけど……」
言いつつ、兄の方へ視線を動かす。
こいつは何でいるんだ?
そんな疑問の乗った顔を『何故撮り直しを?』という疑問の顔だと捉えたのか、今度は茶髪ボブの方の女子生徒がスマホを取り出して言った。
「実は変なものが写ってて……心霊写真みたいな」
スッと差し出された画面を見て、俺は凍りついた。
画面に表示された写真には、目の前にいる女子二人とその間でピースサインをする俺と、俺の腹に回る赤黒い手が写っていたのだ。
写真はセルカ棒で撮ったのだが、そういえば二人の次のシフトが迫っているとか何とかで特に確認せずすぐに別れたのだった。
まさか、そんなことになっていたとは。
兄が一緒に来た意味も、よく分かった。
「てことで、撮り直して欲しくてさ」
「は、はい……」
引き攣った顔を何とか元に戻す。ちらりと兄を見遣れば、俺を見ながら何か思案しているように腕を組んでいた。
「入って入って」
いつの間にかセルカ棒を構えていた茶髪の女子に手招かれて、二人の間へ収まる。
「夕影くんも」と呼ばれて、兄も渋々と言った様子で画角に収まった。
パシャリ、と撮ってみれば、
「あー、よかった~。今度は何もないね……」
「さっきの消そ。あ、弟くんありがとね」
「あ、いえ」
写真には、特に何も写っていなかった。当然だ。兄が写っているのだから。
画面を確認してホッと息を吐く二人の横で、俺はスススと兄に近寄った。背中に手を回してくいくい、と服を引っ張る。
ちらりと見上げると、目が合った。恐らく、同じことを考えているだろう。
――昨日のと、同じ奴だ。
ごくり、と生唾が喉を通ったとき。
「そういえば、兄弟で写真撮った?」
茶髪の女子が小首を傾げてそう尋ねてきた。
「撮ってねーけど」
「撮ってあげるよ!並んで並んで!」
「えっ……」
兄を見上げる。これと並んで写真撮られるのすげー嫌なんだけど……しかも俺は女装。
が、そんな俺の胸中など全く意に介さず兄はニヤッと笑った。
「いいじゃん。可愛い格好した弟と写真撮りたいなー俺」
「…………」
茶髪の女子にスマホを渡す兄へ、しら~っとした視線を向ける。思ってもねーこと言うな。
が、女子達は楽しそうに囃し立てる。長髪の女子が揶揄うように声を上げた。
「お姫様抱っこしなお姫様抱っこ」
「いいそれ!やってやって!」
「やだ!絶対やめろよ!触んな!こっち来んな!離れろ!」
「写真撮れねーだろ」
結局二人で横並びになる。普通にピースしようとしたら兄が下から俺の両頬を鷲掴みにしてきたので、ムッとして俺も兄の左頬を摘んで引っ張った。
「あっはは!それで撮んの?」
女子達が笑って言う。
パシャリと音がして二人がスマホの画面を覗き込むと、また笑い声が上がった。
「あはは!可愛い!」
「いい写真撮れたじゃん」
茶髪の女子がこちらに向けてきた画面を見れば、兄も弾けたように笑い出した。
「クッソブス!」
「お前もだかんな!」
兄が笑いながらスマホを受け取って、そのまま何か操作する。
「ひなにも送っとく」
「いらね~……」
そう言ったのに、ポケットのスマホからはピロンと軽妙な音がした。
「じゃ、あたしら行くね」
「夕影くんは弟くんに用事あるんだもんね」
「おー。じゃあな」
ひらりと手を振って去っていく二人の背を見ながら、俺は先ほどの心霊写真を思い起こして兄に震え声で尋ねた。
「ど、どうしたらいい?」
まだ、消えていなかったのだ。
まさか今までも後ろにずっといたのか?全く気付かなかった。昨日だってあの後は何もなかったはずだ。太ももの手の跡も、すぐに消えたのに。
一体どうして?
混乱する俺の横でしばらく考え込んでいた兄が、ふと口を開いた。
「……妙なのが、」
「うん?」
「あいつらと最初に写真撮ったときには確実に憑いてたはずなのに、その後特にお前の身に何もないこと」
「……あ、確かに」
「予想以上に執着されてんのは間違いねーけど、もう大分弱ってんじゃねーかと思う。今も俺がいるから尚更お前に近づけないんだろ」
「な、なるほど……」
「多分、向こうにとって都合がいいのは昨日みたいな状況だな。お前が暗くて狭い場所に一人」
「じゃあそういう場所に行かなきゃ……」
「いや」
安堵の息を吐きながら言った俺に、兄はニヤリと笑った。
「おびき寄せるぞ」
☆
今日一日気配に怯えて過ごすより良いだろ、という兄の談で、件の霊は即刻抹消することとなった。
俺の休憩時間を待って、10分ほど。次の受付当番と交代して(そして今度はちゃんと靴を履き替えて)、俺は兄と教室を後にした。
兄はどうやら昨日が出店当番メインだったため、今日は自由時間が多いらしい。
二人で昨日訪れた空き教室に向かう。が、
「……鍵かかってる」
「マジで?昨日のは締め忘れだったっつーことか」
「どうする?他に今人気のない場所なんて……」
「ある」
お、即答。
「じゃあそこでいいじゃん」
「……お前がいいならいいけど」
俺の顔を見下ろして兄が言う。
どういうこと?と問うと、何故か兄はニヤッと笑みを浮かべた。
「な、何。どこ?」
「体育館の便所」
「へー、そんなとこあるんだ」
「行ってみる?」
「まぁ人もいないだろうし、そこでいいでしょ」
俺が言うと、兄は笑いながら踵を返した。
何だよ。……何か嫌な予感してきた。俺のこの勘も、結構当たるんだよな。
・
・
・
「き、聞いてない!」
「何をだよ」
「こんな怖いとこなんて聞いてない!」
「でも絶対人来ねーし」
「そりゃ来ないだろ!」
閉鎖されてんだから!と俺が叫ぶと兄はケラケラ笑い出した。
そう。兄の言っていた体育館のトイレとは、とっくに閉鎖されて数年使われていないような、寂れたトイレだったのだ。
電気が点かず、室内は小窓から漏れる陽光の明るさしかない。芳香剤が新しいところを見るに一応定期的な掃除はされているようだが、もう何か明らかに怖い。見る限り特に何もいないのに怖い。
「じゃあ個室入って。一人で。俺外出てるから何かあったら電話な」
「へっ!?待ってムリ!絶対ムリ!」
外に出ようとした兄の腕を掴んで引き止める。
ここに一人で霊を待つとか正気の沙汰じゃない。頭おかしくなる。
しかし、
「すぐ来てやるから」
「ちょ、お兄っ!」
抵抗虚しく、兄は外へ出てしまった。
追いかけようと戸を押すが、開かない。磨りガラスの向こうに兄の背が見えた。……どうやら向こうから戸を押さえつけているらしい。
「もー!!ばかばか!開けて!マジでムリだって!!」
「だーいじょぶだって。いつも通り一瞬怖い思いするだけだから」
「それが嫌なんだよおおおやだやだやだああ」
「るっせーなぁ。全部終わったらギュッてしてやるから。好きだろ、俺にギュッてされんの」
「俺のこと何歳だと思ってんだよ!」
「でもさっきみたいなことが今日一日何度も起きるかもしんないんだぞ?」
「うっ、ぐ」
「せっかく一年目の学祭なのに。いーの?」
……あからさまな脅しだ。でも確かに、またいつ怖い目に遭うかと怯えるよりも、今ここで一瞬だけ怖い思いをして(それも嫌だけど!!すっっごい嫌だけど!!)解放されてしまった方が良い気がしてきた。
俺はグスン、と鼻を鳴らして呟いた。
「…………絶対すぐきてね」
「2秒で駆けつけてやるよ」
兄の背が戸の磨りガラスから消える。
俺は震える足を動かして、一番手前の個室に入った。蓋の閉じた便座の上に座る。
スマホを開いて、すぐに兄に電話できるようメッセージアプリの画面を出した。
ぎゅう、と握りしめて目を瞑る。吐き出した息が震えた。
来るなら来い……早く終わらせろ……。
一分、二分と変わっていくスマホの時計を見る。
そのときは、突然来た。
するりと腰を撫でる感触がして、肩が跳ねる。
(来た……!)
画面に表示される受話器のマークをタップしようとすると、急に後ろの手の感触が変わった。
(な、に……これ)
肌に、直接触れられているような感覚。
生暖かい手のひらの温度が直に伝わる。
手のひらはそのまま、腰から腹に回ってきた。後ろからまさぐるように動くその手に背が震える。下腹部から胸の下にかけてを大きく撫で回されている。鳥肌が止まらない。
震える指を叱咤して、俺は画面をタップした。
一瞬間を置いて、機械音が鳴る。プルル、と聞こえたと思ったらすぐに繋がった。
「おに、」
「今行く」
それだけ聞こえると、声が途切れた。電話は繋がったままだ。耳からスマホを離し画面に目を向けた瞬間、
「いっ、!」
首元に鋭い痛み。
噛まれたような感覚がして体が縮こまった。こわい、なに。息が荒くなる。涙が出てきた。
するとトイレの戸が開く音がして、我に返った。
必死で鍵に手を伸ばす。カシャリと鍵が開いた途端、兄が個室に飛び込んできた。
「伏せてろ」
言われるままに頭を腕で覆って上半身を倒すと、
ゴシャッ!!
と凄まじい音が聞こえた。
「うおっ」
「よし」
ぱち、ぱちぱち、と瞬きしてから恐る恐る顔を上げると、兄は何故かバットを持っていた。
もうひとつぱち、と瞬いて、ゆっくり後ろを振り返る。
後ろの壁は、血飛沫のような何かで全面染まっていた。
「!?」
「やっぱ効くな、物理」
俺の混乱を他所に、兄は満足そうにバットで床をコンコン叩いていた。
こ、こっわ……。
軽く引きながら兄の顔を見上げる。視線が合うと、兄はニヤッと笑って言った。
「ギュッてする?」
「! べ……別にいらないし」
「遠慮すんなって」
兄が笑いながら覆い被さってくる。
ギューッと抱きしめられると、俺は何だかんだで安心感に脱力してしまった。
兄の匂いを嗅ぐと、どうも駄目なのだ。考えるよりも先に条件反射で安堵してしまう。
ふと、首元に手が添えられた。
兄の親指がする、する、と一箇所を撫でる。……先ほど、噛まれたような痛みを感じた箇所だった。跡でもついていたのだろうか。何だか擽ったい。
すると、首元の手がそのまま背骨をなぞるようにするする降りていった。
兄は昨日の雪見さんのように、俺の腰やら肩甲骨やらに手を這わせる。
「んっ、ふふ。擽ったいって」
「貧相な身体してんな」
「うるせーわ」
好き放題手を滑らせて、少し。クスクス笑いを漏らす俺に満足したのか、さて、と兄が俺から離れた。
「さっさと戻るか。貴重な自由時間だろ」
「うん!お兄、二日連続でありがと」
「ほんと手のかかる弟だこと」
「ひひ」
☆
その後、兄のおかげで俺は気兼ねなく学祭を楽しむことが出来た。
――のだが、またその後。
「柳くん、柳先輩の学祭のときの写真ない?」
「本日5回目の問い合わせだけどちゃんと写ってるのはないよ」
「ちゃんと写ってないのでいいから!」
「えー……やだ……」
「えー何で!お願いこの通り!」
「うっ、……分かった、分かったから……はい。送った」
「ありがとう!……えっ待って。柳くんこれ」
学祭二日目に撮った例のツーショットを見た女子生徒は、ぷるぷる肩を震わせた。
「柳くんの顔っ!めっちゃウケるんだけど!先輩は変わらずかっこいいのがまた!」
「は~!その反応も本日5回目!」
兄のおかげで歯軋りする日々がしばらく続いたのは、また別の話。
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