32 / 49

#27 いとこのせーちゃん

 俺には義理の従姉妹が二人いる。父の兄の娘さんで、一つ下のせーちゃんと六つ上の紀伊さん。  遠方に住む彼女達と俺が初めて会ったのは、柳家に越してきた次の年の、夏休み終盤。つまり小学二年生の晩夏だ。姉妹の妹の方、ピョンピョンと跳ねた二つ結びが特徴的なせーちゃんとの初対面は、中々強烈だった。 「……誰この子」 「おとーと。ひな、こいつがセトカ」 「あ、ひ、陽向です」 「あぁ!叔父さんの新しい奥さんの子供?……ふーん……」  兄の一歩後ろに立つ俺を、せーちゃんが頭からつま先までじろりと一瞥する。  義祖父母の家の近くにある林の中で妙な沈黙が降り、俺は居心地の悪さにキョロキョロと視線を下の方で彷徨わせていた。 『夕飯までお兄ちゃんとせーちゃんと遊んでおいで』  父の声が甦る。三人揃って外へ出された(中学生の紀伊さんは夕飯の手伝い)が、初っ端から帰りたい気持ちでいっぱいだ。  せーちゃんはパッと俺から顔を背けたかと思うと、兄の手を引いて「行こ!」と駆け出して行った。 「あ、まって……」  先へ走って行く二人を慌てて追いかける。すると兄が急ブレーキをかけて、せーちゃんが前に思い切りつんのめった。 「ちょっと!何すんのゆーくん!」 「あいつトロいから待っててやんないと」  振り向いて俺を待つ兄に駆け寄って、「ごめん」と言う。 「あたしこの子きらい」 「え」  驚いてせーちゃんを見ると、彼女はつんとそっぽを向いていた。  今思えば『何で初対面でそんなこと言われなきゃいけないんだ』という話だが、当時の俺は少々引っ込み思案だったので、びっくりと悲しみと『何かしてしまっただろうか』という気持ちでしゅんと俯くばかりだった。 「セトカ。お前の従兄弟なんだぞ」 「知らなーい。あたしの従兄弟はゆーくんだけだもーん」 「お前な……」  兄の『イラッ』オーラを素早く察知した俺は、慌ててどうどうと宥めた。 「あ、あの、せとかちゃん、その、俺がなにかしちゃってたなら、ごめん……」 「……」 「仲良くしてやれよ。雑っ魚雑魚だぞこんなん」  兄が俺を指さしながら全くフォローになっていないフォローを吐く。ムッとして足の脛を蹴ってやると、「ってーなぁ」と頬を鷲掴みにされた。 「む゙ー!む゙ー!!」 「ほら、はは。な」 「……ゆーくんがそこまで言うならしょーがない」  はぁ、とませた態度で大げさに肩を竦めてせーちゃんが歩き出す。今度は置いていかないでくれるようだったので、ホッとしてまた二人の後を追った。  歩きながら虫取りやら探険やらをしてしばらく過ごす。  せーちゃんは言った通り俺を邪険にすることはなかったが、構いもしなかった。要は無視だ。遊び相手は兄だけだとでもいうように、視線すら寄越してこなかった。  俺は度々趣味の悪いちょっかいをかけてくる兄に律儀に反応を返しつつ、頭の片隅でひたすらぐるぐる『どうしてこんなに嫌われてしまったんだろう』と考え込んでいた。引っ込み思案な小学二年生は、存外人の敵意に敏感なのだ。  林の奥へ向かっているのか、せーちゃん達はどんどん進んでいく。後を着いていっていると、脇道に何か白いものが落ちていることに気が付いた。 (なんだろ、あれ)  首を傾げながら近付いてみる。しゃがみ込んで辺りの草を掻き分けると、 「っ!」  悲鳴を上げそうになった。  そこに落ちていたのは、生白い手首だった。 (に、人形?)  肌はあまりに白く、とても人間のものとは思えない。きっと人形のものだろうが、何となく感触を確かめてみたくて恐る恐る人差し指を伸ばしてみる。指の腹がその手の甲に触れた瞬間――  ガッ!  白い陶器のような指が徐に俺の手首を掴んだ。  そのまま前に引っ張られて、体勢が崩れる。 「わ、わぁ!!」  つんのめったと思うと一気に体重が前面に傾き、俺はあっという間にゴロゴロ坂を転がり落ちた。 「……っ!、っ!」  息が出来ない。身体のあちこちが草や木の枝で傷ついていく。  やがでドン!と地面に身体が叩きつけられて、肺からカヒュッと息が漏れた。何が起きたのか分からず、仰向けに倒れたまま呆然とする。 (……い、いたい……)  痛みと苦しみを自覚すると、じわりと涙が浮かんできた。グスッと鼻を鳴らしながら何とか起き上がって、膝や肘についた土を払う。傷だらけの肌を見て、より一層痛みが増した気がした。  後ろを振り返って、今しがた転がり落ちてきた坂を確認する。斜面はかなり急で、坂というよりは最早ちょっとした崖だった。とは言え、思っていたよりも高さはない。……ない、が。  おかしい。 (そもそも、坂なんてなかった)  確かに、見渡す限り平地だったはずだ。雑草や木で見通しの悪い場所もあったが、そこに急な崖があれば流石に分かるはずだ。  それに、田舎の林とは言え子供たちが頻繁に遊びに入る場所に、こんな危険な場所があるとは思えない。俺の記憶が正しければ、周囲に注意を促す看板や柵などはなかった。  ……とにかく、二人が遠くへ行ってしまう前に気付いてもらわなければ。 「お、おにい~っ、せとかちゃーんっ」  崖の上に向かって声を投げる。少し待ってみたが、返事はない。 「おにい~!せとかちゃーんっ!」  返事はない。もっと大きな声でなければ聞こえないだろうか?俺は思い切り息を吸った。 「おーにーいーー!!せーとーかーちゃーーん!!」  ……返事はない。もしかして、もう遠くに行ってしまったのだろうか?  見上げている崖の上に誰もいないのを想像して、急激に心細くなる。泣き出しそうになるのを堪えて、ひとまず辺りを見渡してみた。  崖の下も、風景は上と特に変わらない。無造作に生える雑草に、生い茂る木々。俺が黙ると、ジージーピィピィと虫や鳥の声だけが木霊する。  太陽が透ける木々の葉を見上げながら、俺はここから動いても良いものかと考えた。迷子になったら動くな、と昔から母に言われているが、ここにいても二人には気づいてもらえそうにない。 (……)  俺は意を決して、そこから動いてみることにした。  崖を登ろうかとも思ったが、この急斜面はそうそう登れそうにない。それに先ほど転がったときに散々傷がついたので、素手で登るのも怖かった。  くるりと崖に背を向ける。  動くと言っても、ただ動く訳ではない。小学二年生の小さな脳みそをフル回転させて、いつでもここに戻ってこられるような工夫を考えた。  傍に落ちていた枝を拾って、足元にググッと差し込む。目についた枝もまた何本か拾った。  いざというときはこれを目印にして戻ってくる訳だ。完全に自画自賛だが、小二にしては中々機転の利いた行動だったと思う。  ふんすと大きく鼻息を鳴らして、俺はその場を離れた。 ☆  もうどれくらい歩いただろうか。兄とせーちゃんの名前を呼びながら歩き続けてしばらく、すっかり喉もガラガラだ。  後ろを見れば、地面にザクッと刺さった枝。不安になったときは目印の枝を見て、『これを辿ればいつでも戻れる』と自分を元気づけていた。  しかし、これ以上進んで何かあるのだろうか?二人の姿は一向に見当たらないし、俺も見つけてもらえない。やはり、どうにかしてあの崖を登った方が良いのだろうか。 (……もうちょっとだけ進んで何もなかったら、もどろう)  真上を見上げれば、空はほんの少しだけ夕の色が混ざってきていた。義祖父母の家を出たのは確か三時頃だった。晩夏とは言え、まだ陽の長い時期だ。二人とはぐれたのが何時頃かもう覚えていないが、もしかしたら思っているよりも時間が経っているのかもしれない。  お兄とせーちゃんは、俺のことを探してくれているだろうか。……俺のことなんて忘れて、二人で遊んでいるだろうか。  そんなことを考えたらとっても心細くなってしまい、俺は目に滲んだ涙を土まみれの腕でぐしぐし拭った。傍に兄がいれば『きたねぇだろ』と止められていそうだ。  俺は、顔を上げてまた歩き始めた。  が、しかし。 「……え?」  少し歩いたそこにあったのは、地面に刺さった木の枝だった。  間違いなく、俺が刺したもの。  ……一周してしまったのだろうか?  焦って辺りを見渡すが、崖はなく平地だった。スタート地点ではなく、途中の道に繋がったのだろうか。 (……まっすぐ歩いてたつもりなんだけど……)  何だか、胸がザワザワする。嫌な予感。何か悪いことが起こっているような、そんな感覚。  俺はスタート地点に帰りたくなり、来た道を戻ることにした。  踵を返して、目印を辿る。胸のザワザワに呼応するように足が速まっていた。  不安を紛らわせるように、ガラガラの声でまた二人を呼ぶ。しかし相変わらず返事はない。  ――と、小走りだった足が何かに躓いて、俺はズザァッと派手に転んだ。  痛みを感じる前に、顔が地面へ向く。  躓いたそこには、 「ひっ!」  あのとき俺を引っ張った、生白い手首があった。  陶器のように白かった手首は、俺が踏んづけたからか土に汚れていた。  倒れた体勢のまま、匍匐前進をするように手首から距離を置く。恐怖で息を荒くしながら上体を起こして、気付いた。  手首が、地面から生えるように出ていることに。  先ほど崖の上で見たときは完全に手首『だけ』だったのだが、今はその手首の先が土の中に埋もれているように見える。  ――土の下、そこにもし、この生白い手首の持ち主がいたら。 「はぁ、っはぁ、は、っ」  息が震える。一刻も早くその場から離れなければならない気がするのに、どうしてか身体が動かない。  と、そのとき。  ガシッ! 「!!」  尻もちをついていた俺の右手首を、何かが凄まじい力で鷲掴んだ。  ギリギリ、と強い力で握りこんでくるそれに、恐る恐る目を向ける。  そこには、目玉のない真っ暗な眼窩でこちらを見上げてくる女の頭があった。  土から顔の上半分ほどを覗かせて、長い縮れた髪の毛を辺りへ散らしている。 「うわああああ!!」  尋常じゃない力で掴んでくる生白い手首を足で蹴って振り払う。  恐怖に突き動かされて、俺はその場から全速力で駆け出した。 「は、はぁ、っは!……ふっ、う、うえっ」  泣き出しそうになりながら林を駆け抜ける。縺れる足を必死に動かして夢中で走っていると、 「あっ!いた!」  女の子の驚いたような高い声が飛んできた。びっくりして急ブレーキをかけ、声のした方を見る。  せーちゃんがいた。 「せーちゃん!」  安堵で涙腺が緩み、ボロボロ涙が溢れてくる。拭う余裕もなく、俺はせーちゃんに向かって走り出した。せーちゃんも俺目掛けて一目散に駆けてくる。 「うえぇええ、せーちゃん~~!」 「よかったぁ、よかったぁ」  ガバリと抱き合いながら、号泣する。どうやらせーちゃんも泣いていたらしく、二人で木々と雑草に囲まれながらひたすら大泣きした。  少しして、兄が遅れてやってきた。 「ひな!」 「お゙に゙い゙~!」  駆け寄ってくる兄に飛びついて、また号泣。 「このバカ!すっげえ探したぞ!」 「ごめんなさいぃ~っ!」  強く抱き締めてくる兄を、俺もぎゅうぎゅう抱き締め返す。  林中に響くほどの泣き声が少し落ち着いてきた頃、「もうさっさと帰ろう」という兄の一声で俺たちは再び三人で歩き始めた。  義祖父母の家に帰りながら、せーちゃんが『急にどこにもいなくなってすごく心配した』ということを泣きながら話してくれた。 「あっ、あたしがイジワルしたからぁ、ごめんねぇ」  涙を腕で拭いながら言うせーちゃんに、俺はぶんぶん首を振りながら「ゔゔん゙」とガラガラの声で返した。 「し、しんぱいさせて、っごめんねぇ」 「ううん、ひなくんわるくない、っあたしがごめんねぇ」 「せーちゃんわるくないよぉ~っ、俺が勝手にはぐれたがら゙ぁ」  またえんえん泣き始めた俺達を、兄が呆れたように「分かったから」と宥める。  『この子』『せとかちゃん』と呼び合っていたのがいつの間にか『ひなくん』『せーちゃん』と呼び合っていることにはそのときは何も気が付かず、俺達はひたすらごめんねを重ねた。  ……と、俺とせーちゃんの後ろを歩いていた兄が、不意に俺の手首を掴み上げた。 「ふおっ」  先ほど生白い手首に掴まれたのがまだ記憶に新しく、ビクリと肩が跳ねた。  頭に『?』を浮かべる俺とせーちゃんに、兄が俺の手首を見せた。 「ひっ」 「へっ」  二人揃って涙が引っ込んだ。  俺の右手首には、細長い指の跡が恐ろしいほどくっきりと付いていた。 ☆  義祖父母の家に帰ると、傷だらけ土まみれの俺と泣き腫らした子供二人を見て大人達が目をひん剥いた。  崖から転げ落ちた、と話すと、みんな『あの林に崖なんてないはずだけど』と首を傾げた。  しかし俺のボロボロの身体を見ると嘘だとも思えなかったようで、とにかくもうあの林には立ち入らないようにと言われた。  夕飯を食べた後、兄にだけこっそり全てを伝えた。 「ふーん……土ん中から女がねぇ……」 「こわかった」  まだ手首にうっすらと残る指の痕を、兄が摩る。 「誰か埋められてんのかな」 「やめてよぉ~っ」  俺の怖がる様子に、兄がケラケラ笑った。  後にせーちゃんは、俺につっけんどんな態度を取っていた理由について『ゆーくんを独り占めできなくなって悔しかったから』と語った。  正直笑ってしまったし、とても可愛らしかった。  可愛いついでに度々このときの話を蒸し返すのだが、その度にせーちゃんは、 「ちょっともー!!その話は封印してって言ってるでしょー!!」  と顔を真っ赤にする。大きくなって正気になったせーちゃんは、当時のミーハーっぷりを心底恥じているようだ。  いつもはおしとやかで優しい紀伊さんが悪ノリして「ちっちゃい頃ゆうくんと付き合いたいって言ってたもんねぇ」と言ったときは、「絶っっっ対しない!!」と神速で否定したせーちゃんと「俺だってお前はやだよ」と顔を顰める兄に思わず大笑いしてしまった。『結婚したい』じゃなくて『付き合いたい』なところがまた良い。  ともかく、せーちゃんがあの意地悪人間をいつまでもキャーキャーと持ち上げない立派な賢女に育ってくれたことを、俺は嬉しく思う。  遠方に住んでいるせーちゃん達には中々会う機会がないが、二人とも俺の大好きな従姉妹だ。

ともだちにシェアしよう!