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#29 のぞみ(前編)
#29 のぞみ(前編)
高校一年の頃の話。
時に、覚えているだろうか。兄の所属する写真部のメンバーのことを。あの若干濃いメンツの中に、ひとり大人しく控えめな俺と同じ一年生がいたことを思い出して欲しい。
広瀬のぞみ。それがその子の名前だ。クラスは五組。ちなみに俺は一組。
兄の後輩という以外には特に接点もなく、クラスが離れていたこともあり大した交流はなかった。たまに廊下ですれ違えば、『あっ』『おお』と短く挨拶。
が、その日は少し事情が違った。
「あっ」
「おお」
放課後、職員室の前に立っていた広瀬さんとばったり会い、いつも通り手を振り合う。
俺は教科担当の先生に課題のプリント(締切一日遅れ。てへ)を提出するべく職員室へ入り、……そのままUターンして扉を閉めた。
(めっっちゃ説教中だった)
説教を受けていた生徒はユニフォームを着ていたので、おそらく部活の生徒だろう。
『ゲ~ッ』という顔をしながら廊下に出ると、広瀬さんと目が合った。
入って二秒で出てきた俺を見て不思議そうにぱちくり瞬いた広瀬さんに、スススと近寄る。
「説教中だった……」
「あ、えと、もしかして加藤先生?」
「そうそう」
「わ、私も加藤先生に用事なの……だから待ってるんだけど……」
広瀬さんが眉を八の字にして手に持っていた日誌を見せてくれる。
なるほど、広瀬さんのクラスの担任は加藤先生か。確かに五組あたりの担任だった気がする。
「そうだったのか!ごめん、順番抜かすとこだった」
「う、ううん!私が分かりにくいとこで待ってるから……」
「そんなことないよ!じゃあ俺、広瀬さんの次ね。一緒に待とう」
「う、うんっ」
広瀬さんはやはり人見知りらしく、俺が隣にいることでそわそわしている様子だった。
今の広瀬さんの気持ち、俺にはよく分かる。何度か言っているが、俺は昔人見知りだったのだ。成長するにつれだんだん人見知りしなくなっていったが、こういうシチュエーションで人見知りがどんな気持ちになるのかは分かっている。
ここはひとつ、話しやすい共通の話題でも振ってみよう。
「お兄……夕影に意地悪されてない?」
「えっ!さ、されてないよ!全然!」
「ほんと~?」
「ほんとほんとっ」
広瀬さんがうんうん頷く。嘘を言っている様子はないので、本当に本当なのだろう。
大人しいから良い玩具にされてやしないかと心配したが、杞憂だったようだ。
しかし広瀬さんは、少しだけ表情を曇らせて口ごもった。
「さ、されてない、んだけど……」
「えっ、何かもっと嫌なことを……?」
「ちっ、ちがうちがう!……あのね、えっと」
「うんうん」
「その……せ、先輩とっ、どう接したらいいのか分からなくて……」
広瀬さんのその言葉に、ぱちくり瞬く。
どう接したらいいか?
「あっ!あの、ちがくて、これはあの、私が悪いんだけど、」
「うん?」
「私こんなだから、いつもその、あわあわしちゃって、先輩はその、私と違っていつも堂々と……」
「あぁ、お兄が怖くて話しかけづらいの?」
「そっ、そんな、あの、そんなことはなくて」
「いいよいいよ、別にチクったりしないよ。むしろ俺全然広瀬さんの味方だよ」
「えっ」
呆ける広瀬さんに、「うんうん」と頷き腕組みをする。
すごくオブラートに包もうと頑張っているが、大丈夫。その必要はない。あいつ基本的に対応が塩っぽくて雑だから、『こいつはそういうやつ』と割り切れていないうちはすごくとっつきにくいんだよな。うんうん。分かるよ。何故かって、俺も最初はそうだったから。
「大丈夫。あれ、あんなだけど意外と面倒見いいんだよ」
「そ、そうなんだ」
「多分ね、ああ見えて案外世話好きなんだと思う。一回思い切って何か頼ってみちゃいなよ」
「た、頼る……」
「俺写真のことはよく分かんないけど、何か撮り方?とかさ、カメラのこととか、単純に学校の相談事でもいいし。何でもいいから『先輩あの~……』って声かけてみなよ!」
「わ、私の話なんて聞いてくれるかな……」
「聞く聞く!まー普段あんなだけど、無闇に人のこと邪険にしたりはしないからさ。普通に世話焼いてくれるはずだよ」
「そっか……うん。は、話しかけてみる」
広瀬さんの自信のなさそうな顔が、少し上向く。俺は「おお!そうそう、その意気!」と笑った。
「弟の柳くんが言うなら、きっと間違いないもんね」
「まぁねー、伊達に10年兄弟やってないからね」
「そうだね……10年?」
「……あっ」
口が滑った。
☆
「そういや、のぞみさぁ……」
兄が思い出したように口を開く。
職員室前で広瀬さんと話した数日後の夕飯時。父の帰りが遅くなるということで、兄お手製の炒飯を二人で食べていた。
言ってから、兄が「のぞみって分かる?」と聞いてくる。俺は頷きつつ、『お?広瀬さん、早速話しかけてみたのか?』と思う。
が。
「憑いてるよな」
「えっ」
俺が目を丸くすると、兄は「やっぱ気付いてなかった?」と言った。
「憑いてるっつか何だ、守護霊みたいにくっついてる。守護してる訳ではなさそうだけど」
「害はないってこと?」
「そ」
「へー……でも何で?何が憑いてんの?」
「祖母(ばあ)ちゃんじゃね?見た感じ。『死んでる?』って聞いたら『ちょうど去年』っつってた」
「『やってる?』みたいに聞くんじゃないよ」
びっくりしたが、何か悪いものが憑いている訳ではないのなら良かった。しかしそれが本当なら、広瀬さんのおばあちゃんは未だ成仏できていないことになる。
兄も同じことを思っているようで、思案するような表情を浮かべていた。
「何か、言ってそうなんだよな」
「うん?」
「口がさぁ、ぱくぱく動いてたんだよ。けど何言ってっか分かんなくて。多分声出てねーんだと思う」
「おばあちゃんが広瀬さんに何か伝えようとしてるってこと?」
「そ。でも俺が近寄ると消えっからさぁ。どっちも」
「どっちも……?」
「ばーちゃんの方は逃げるみたいに消えてくし、のぞみもさり気なく離れてくんだよ」
「ぷぷぷ、嫌われてんじゃないの?」
「うるせーわ」
なんてからかってみたが、広瀬さんが兄を嫌っている訳ではないことは知っている。何となく近寄りがたく思ってしまうのだろう。
おばあちゃんは兄の霊感の強さを恐れているのだと思われる。下手したらそのままお陀仏コースだもんな。何か伝えたいことがあるならそれは困るだろう。
無敵と言っても過言ではない兄の霊感だが、意外なところで仇となったな。
そこで、ふと思い付いたことを言ってみる。
「害がないならさ、おばあちゃんの霊を一旦俺の方に "移" したりして、」
「ダメに決まってんだろ馬鹿か」
「うっ……」
た、確かに反対されるだろうとは思ったが、そんな食い気味に言わなくたって……。
「のぞみ自身に心当たりがありゃ何か分かるかもな。話聞いてみるわ」
「お、先輩面してら」
「先輩なんだわ」
☆
その数日後。廊下で広瀬さんを見かけた。
……のだが、様子がおかしかった。
広瀬さんの様子ではない。その "背後" の様子だ。
(……あ!ほんとだ……なるほど、おばあちゃん……)
意識して見てみると確かに兄の言っていた通り、広瀬さんの背後におばあちゃんらしき人が "視" えた。広瀬さんよりも少し背が小さくて、すごく優しそうな顔をしている。が、おばあちゃんは何だか困ったように眉尻を下げておろおろしていた。
(確かに何か伝えたそう……)
うーん、すごく痒い。むずむずする。どうにかしてあげたい。でも声出てないなら一体どうすれば……。
と、そうしていると向かいから歩いてくる広瀬さんと目が合った。
「あっ」
「おお」
いつも通り短く挨拶をしてすれ違う。
――と。
(!)
広瀬さんの後ろにいたおばあちゃんと、目が合った。
おばあちゃんは目が合うと、困ったようにしていた顔をにっこりと緩ませて会釈してくれた。『のぞみのお友達?どうも~』みたいな感じ。
小さく会釈を返しながら、ふと思い立つ。
……お兄は逃げられちゃうけど、俺なら逃げられないんじゃ?
俺なら、おばあちゃんの伝えたいことを何とか理解できるかもしれない。
俺で力になれるなら、何とかしてあげたい。
が、問題は如何にしておばあちゃんとコンタクトを取るかだ。広瀬さんに怪しまれないようにとなると、中々難しい。
何か方法を考えなければ。
その日の夜に兄にそのことを話すと、兄も少し進展があったようだった。
「割とマジで嫌われてるんじゃねーかと思ってたけど、何か色々話したわ」
「へ~!」
使っているカメラのことについて尋ねられ、あれこれ教えている内に部活以外の話にも転がり、結果そこそこ盛り上がったらしい。
『は、話しかけてみる』
のぞみちゃんの意気込んだ顔を思い出す。勇気を出して話しかけたのか。うんうん、偉いぞ!
兄が続ける。
「ばーちゃんはやっぱ逃げてったけどな。でも、色々話してて分かったことはある」
「何?」
「のぞみんちの両親が今あんま上手く行ってないこと」
「えっ……」
「まぁ直接そう言われた訳じゃねぇけど。話聞いてて何となくそうなんじゃねぇかと」
それは、俺が聞いても良かったのだろうか?だが、となるとおばあちゃんの伝えたいことがその辺りの話かもしれないと予想は立つ。
「聞くとこ、ひなはばーちゃんの方に何かできそうなんだろ」
「できるっていうか……何とか頑張ってみようかなというか……」
とは言え、直接話はできないし相手は幽霊だから筆談もできない。現時点で俺にできることはほとんどない訳だ。
すると、尻すぼみになる俺に兄が言った。
「もう一個教えとく。のぞみとばーちゃんは、昔手話の教室に通ってたらしい」
「えっ」
何かポンポン情報出てくるな。本当に話が弾んだらしい。広瀬さん、良かったね……。それを情報の売り買いみたいに利用してしまうのはすごく罪悪感があるけど……。
それにしても、手話か。確かに手話ならば、声の出ないおばあちゃんでも言いたいことが言える。
が、俺は手話なんてやったこともない。兄も同じだ。とは言え恐らく他に方法もないだろう。
「どうする?」
兄が若干挑発するように笑う。まるで俺の答えが分かっているように。
少しムカつくが、ここで臍を曲げる訳にはいかない。俺は臍の代わりに口を曲げて言った。
「やってやろうじゃんか」
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