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#29 のぞみ(後編)
#29 のぞみ(後編)
時はまた、数日後。
「よし……!行くか!」
「おう!」
俺はタケと二人、五組の教室の前で意気込んでいた。
状況を説明しよう。
広瀬さんのおばあちゃんと話すため手話を学ぼうと思い立った訳だが、俺は早々に『どう考えても広瀬さんに怪しまれないようおばあちゃんと手話で会話するなんて無理』と悟った。
代わりにある作戦を思いつき、タケへ協力を要請し、準備期間を経て今に至る。
ある作戦とは何ぞや。
その名も、『タケ、ごめんな』作戦だ。
「それでは、作戦を実行する!各員配置につけ!」
「ラジャ!」
俺の声にタケが敬礼してそのまますぐ傍の曲がり角へ消えていく。
タケの姿が完全に見えなくなったのを確認して、俺は五組の教室を覗いた。
(よしよし、いるな)
どっちも。教室の真ん中辺りで友人と弁当を食べている広瀬さんと、その後ろで必死に口をぱくぱくさせているおばあちゃん。
俺は入口付近にいた男子生徒に声をかけ、広瀬さんを呼ぶよう頼んだ。
「柳くん……?ど、どうしたの?」
広瀬さんが戸惑いながら教室の外へ出てくる。廊下ですれ違ったら短く挨拶する程度の仲なのだから、その反応も無理はない。
広瀬さんの後ろを着いてきたおばあちゃんが、俺を見て笑顔で会釈をしてくれる。
俺は会釈を返す代わりに、小さく『こんにちは』と手話をしてみせた。おばあちゃんが驚いたように目を見開く。
「わざわざごめんね。人遣いの荒いうちの兄貴からおつかいでさ」
言いながら、さりげなく『人の邪魔にならないように』風を装って、タケのいる曲がり角へと近付いていく。
俺が懐から古びたカメラを取り出すと、広瀬さんは「あ!」と声を上げた。
「あいつ今日部活行かないらしいからさ、渡してこいって」
「ご、ごごごめんね!わざわざ私なんかのために……」
「うーうん!全部あいつが悪い!」
これは本当だ。作戦について話したら、『じゃあついでにこれ頼んだ』と言われたのだ。本当に人遣いの荒い。
まぁそのおかげで当初の予定だった『辞書を借りる』という口実よりも長く会話の時間を取れることになったので、これ以上は言わないでおく。
「これ、お兄も言ったと思うんだけどお下がりだから……――」
カメラに夢中になっている広瀬さんの目を掻い潜って、おばあちゃんと目を合わせる。
背後を指さして手話で『いってらっしゃい』と言うと、おばあちゃんは困ったような顔をした。意図を分かりかねているようだ。
ごめんおばあちゃん……俺の頭には最低限の手話しか入ってないんだ……。詳しい説明はできない……。
それでも必死にその動作を繰り返していると、おばあちゃんは戸惑いながらも歩き出した。
(おぉ!よっしゃー!あとはタケ、頼んだ!時間はなるべく稼ぐからな!)
――この作戦は、広瀬さんの注意を引き付ける役とおばあちゃんから話を聞く役の二人が必要だ。
そして圧倒的に負担が大きいのが後者。話をそこそこ理解できる程度には手話を覚えていなければならないし、何より人に見つかれば一人でゴソゴソ手を動かしているヤバい奴だ。
なので、『タケ、ごめんな』作戦。
本来ならば協力を要請した俺が責任を持ってこの役目を全うすべきなのだが、のっぴきならない事情がありタケに頼むこととなった。
まず、第一に広瀬さんとタケは初対面であること。次に、面識のないおばあちゃんに諸々の事情を説明しなければならないこと。そして最後に、この作戦を思いついた理由が、昔タケが手話の出てくる漫画にハマり、少しだけ手話を勉強していたのを思い出したためであること。
ダメ元で話してみたら『おー!やるやる』と快諾してくれたタケには感謝しかない。心の友よ。
カメラについて説明し終えてしまい、さてどうしようと思っていると、広瀬さんが『ハッ!!』という顔をした。
「や、柳くん!そういえばね、柳くんの言ってくれたように、先輩に話しかけてみたらね」
「あぁ、どうだった?」
「色々お話できたのっ、だからお礼が言いたくて……!あ、ありがとうっ」
「いえいえ。話せたようで良かった。とっつきにくい雰囲気あるけど、お兄こないださー……――」
兄の笑い話をダシに会話を続ける。
数分すると、曲がり角からおばあちゃんが戻ってきた。
(お)
話もちょうどオチがついたところだったので、俺は「あっ、ごめんね長々と。そろそろ戻るね」と言った。
「ごはんの途中でごめんね~」
「うっ、ううん!柳くんとたくさんお話できて、嬉しかった!」
にこりと広瀬さんが控えめに笑う。その可愛らしい笑顔を見て、『そういえば広瀬さんの笑った顔、初めて見た』と俺は少し感動した。
「それじゃあまた」
「うんっ、ありがとう」
俺がくるりと背を向けると、広瀬さんも踵を返した。が、俺は足を踏み出さずにまた振り返る。
おばあちゃんが、広瀬さんの後を追わずにこちらを向いて立っていた。
俺と目が合うとおばあちゃんはにこりと広瀬さんによく似た笑顔を浮かべて、会釈をした。
この間のように会釈を返そうと思ったが、瞬きをするとおばあちゃんの姿はどこにも見えなくなってしまった。代わりにそこには、線香の細煙のようなものが残っていた。
行き交う生徒達に揺らされて徐々に消えていく煙をぼんやり眺める。
と、後ろからぽんぽんと肩を叩かれた。
振り向くと、苦笑いしながらタケが自分の掌と掌を近づけて、「これ、何だっけ?」と言った。
手話らしきそれを見て俺は記憶の引き出しを漁り、不意にそれを思い出した。
「……遺言?」
☆
後日。
「あったって。遺言」
「へ」
「タケの言った通り、ばーちゃんの部屋のタンスの箱に」
「マジか!」
学校から帰るなり、居間のソファで夕方のワイドショーを見ていた兄が俺に言った。
タケがおばあちゃんから聞き出したのは、『自分の部屋のタンスの箱に遺言があるから、読んで欲しい』という旨だった。
この一文を聞き取るために中々苦労したらしく、後半はほとんどおばあちゃんの口の動きで解読したと言っていたのだが、ちゃんと合っていたらしい。明日報告してやらなければ。
制服のまま兄の隣へ座る。既に部屋着に着替えた兄が伸びをしながら言った。
「のぞみにすげぇ感謝されたわ。俺何もしてねーけど」
「まぁ、今回の一番の功労者はタケだな……」
「だな。褒めて遣わそう」
「って言ってたって言っとくわ」
くすくす笑ってから、俺は続ける。
「でもお兄のもお兄じゃないとできない仕事だったじゃん」
「まーな」
俺とタケの作戦は、あの後兄に引き継がれた。『おばあちゃんから聞いたんだけど、部屋のタンスの箱に遺言があるって』なんて絶対に言えないから。ぼかしつつ遺言に辿り着くよう誘導するのは、流石に俺達じゃ無理だった。
広瀬さんからそれとなく両親の不仲を聞いていた兄は、それとなく広瀬さんに言った。
『一緒に遺品整理でもすれば良いんじゃね?』
ちょっとは会話のきっかけにもなるだろ、と。
兄のその何気ない(風を装った)発言で、広瀬家はおばあちゃんの遺言を見つけることが出来たそうな。
「『お葬式やお墓のこと、沢山大変なことがあるでしょうけれど、決して互いのことを邪険に思わないでください。もし私のせいで仲が悪くなってしまったりしたら、死にきれず化けて出てしまうでしょうからね』。だって」
「ふふっ、ほんとに化けて出ちゃったね」
「俺も流石にそれ言いそうになった」
くつくつと兄が笑う。
おばあちゃんはどうやら成仏したらしい。兄も作戦を遂行したあの日以降姿を見ていないと言っていた。
亀裂の生まれた広瀬家を一年間も歯痒い思いで見守っていたおばあちゃんは、やっと自由になれたのだ。
そして、兄は今回の件で広瀬さんにかなり懐かれたらしい。何だか少し悔しい。広瀬さんが顔すら知らないであろうタケのことを考えると、もっと悔しい。ので、タケには言わないでおこう。
……が、兄も決して棚ぼたなどではない。
交流していく内に、何だかんだで面倒見のいい性格が広瀬さんにも伝わったのだろう。事の発端も兄な訳だし、文句は言うまい。
「てゆーか何もやってないっつったら俺じゃね?俺広瀬さんと喋っただけだもん」
タケと一緒に手話を勉強したりはしたが、タケほどは覚えていない。結局のところ俺は広瀬さんと少し仲良くなっただけだ。
が、兄は「そーでもねぇだろ」と言った。
「そもそもはひなが頭悩ませて考えた作戦じゃん。よくやったよ」
偉い偉い、と兄が俺の頭を撫でつけてくる。
俺は撫でられながらぽかんとしていた。
ふ、ふつーに褒められた。
ふつーに撫でられた。
マジで?どうした?面倒見のいい先輩モードがまだ抜けていないのか?
頭から手が離れぽかんとしたまま顔を上げると、兄は吹き出した。
「何だその顔」
「だ、だって、お兄が素直に褒め、え?」
「その言い方だといつも素直じゃねーみてーだなぁ」
「いぢぢぢぢぃ゛!」
片頬を結構な力で捻り上げられる。何でだよ!撫でたと思ったら暴力!訳分かんない!すげー痛いし!
兄の手が離れても尚頬が痛む。俺は涙目で頬を抑えながら「い゛た゛い゛!!こっちもなでて!!」と訴えた。
兄はそんな俺を見て「虫歯か?」と言いながらケラケラ笑った。
前言撤回!何が面倒見のいい性格だ畜生め!
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