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#30 冬の桜―救い
#30 冬の桜―救い
☆
「なんで気付いてあげられなかったんだろぉ~っ、う゛えぇ~っ」
案の定号泣した俺に、兄はゲラゲラ笑いながらバスタオルを投げつけてきた。
やたらと話の引き出し方が上手い兄にまんまと誘導されて、あれやこれやと吐露していると気が付けばボロボロ泣いていた。一度泣いたから涙腺がゆるゆるになっているらしい。
──どうして気付けなかったのだろう。
何度もアパートを訪ねて来た父親に、母が虐げられていたこと。
あのとき俺が気付いて、大丈夫だよ、怖くないよ、って慰めてあげられたら、どれだけ良かっただろう。
『ドジだなぁ』なんて笑わずに、寄り添ってあげられたら。どれだけ。
呑気過ぎたあの頃の自分があまりに馬鹿みたいで、悔しくて仕方ない。腹が立って仕方ない。
口をついて出てきた俺のそんな本音に兄は、
「お前の笑顔が母さんにとって何よりの救いだったんだと思うけど」
思う、っつーか断言してもいい。
そう言った。
俺は大粒の涙を溢しながらぽかんとした。
「ひなに心配かけたくないから隠してたんじゃなくて、笑ってて欲しかったから隠したんだろ」
「え、え゛う、だ、って、ひっく」
ボロボロ流れる涙で溺れそうになる俺の顔にバスタオルを押し付けて、兄がケラケラ笑う。先程の雪見さんとは大違いだ。何てデリカシーのない。
兄は神妙でも真面目でもなく、あっけらかんとした様子で言った。
「俺だったら、絶対ひなに本当のこと言いたくない」
「う゛、」
「ぴよぴよ囀ずって慰められるより、お前の馬鹿みたいに間抜けたへらへら笑い見てた方が百倍笑えるもん」
「う゛っ、うう、」
馬鹿みたいに。間抜けた。へらへら。
ひどい暴言。何てやつだ。涙腺が馬鹿になっているので、兄の不躾な言葉にまた涙が出てくる。すると兄は「泣き顔でもいいや」とゲラゲラ笑った。こんっの野郎!!
俺はムカついてバスタオルを頭から被り、兄の顔を視界から遮断する。
そんな俺を、兄は笑いながらバスタオルごと抱き締めた。
「俺なら、苦しいときはひなの笑った顔が見たいよ」
しゃくり上げる俺の背中を撫で付けながら、兄が言う。
からかうような声音ではなかった。いつもより少し柔らかい声音。
「母さんと俺、血繋がってないけど結構似てたと思うんだよ」
「……ん゛っ」
確かに、その通りだ。
妙に堂々としているところや、メンタルが強いところ、サバサバしたところ、楽しそうに人をからかうところ。
性格で言えば、母さんは俺より兄とよく似ていた。
「だから、母さんの考えることは分かんだよ。お前はちゃんと母さんの救いだった」
大丈夫、と兄が言う。
『転んじゃった』と笑う母さんに『ドジだなぁ』なんて笑った馬鹿な俺を、兄は丸ごと抱き締めた。
俺は、兄のその言葉と体温に救われた気がした。
「……あ゛りがと」
「ひでー声!」
ゲラゲラ。
……どうしてこうも締まらないのだろうか、うちの兄貴は。
「ああ、そういや俺お前の父親のこと全く知らなかった訳じゃねーんだわ」
「え」
「その父親に付き纏われてた母さんを助けたのが父さんだから」
「えっ」
「警察沙汰にしたんだとよ」
「ええっ」
「現場抑えりゃ一発だしな。今後一切関わらないことを約束するなら、こっちもこれ以上大事にはしないっつって」
と、父さんかっけぇ……。
そのときの父さんを想像してみようとしたが、いつものホワホワしたのんびり顔が『どうかした?』と首を傾げているのしか浮かばなかった。
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