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#32 七夕

#32 七夕  高校二年の頃の、七夕の話。 「あ、短冊」  地元のショッピングセンター『はるはな』で兄と買い物をしていた際、色とりどりの短冊がかかった大きな笹を見かけた。 「七夕かー」 「『身長伸びますように』って書けば」 「書きません~願わなくても伸びるので~」 「もう無理だろ」  高校生の成長曲線の緩さ舐めんなよ、と言う兄をキッと睨み付け、ペンと短冊が置かれたフリースペースに足を向ける。  書くことはもう決まっているのだ。 「そういえば、『母さんが夢に出てきますように』って書いたことあったなぁ」 「あ?」 「死んじゃった次の年の七夕にさ、せめて夢に出てくれればなぁって。出てきてくれなかったけど」  オレンジ色の短冊にペンを走らせながら笑う。兄はそれに「ふーん……」とだけ返した。 「できた!」 「何て書いた」 「『平穏無事に暮らせますように』」 「『平穏無事』ってよく書けたな」 「バカにすんな」  もっと具体的な方が良かったかな?『霊媒体質がなくなりますように』とか。 「お兄は書かないの?」 「書かない」 「何でだよー。望まずとも全部持ってるってか?嫌味な男だね~」 「うるせーわ」  興味なさげにしている兄を横目に、俺の背より少し高い笹をわさわさ触る。既に沢山の短冊が括られていた。  空いている場所を探し求め、わさわさ、わさわさ。  『お、ここ空いてる』と思い、影を作っていた手前の短冊に手をかける……と、 「……え?」 『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』  短冊には、手書きでそう書いてあった。  思わずゾッと背筋が粟立つ。  スマホやパソコンでたまに見る文字化けのようだ。しかし、わざわざそれを手書きで書く意味が分からない。  誰かがふざけて書いたのだろうか。 「お兄見てこれー」 「うわキッショ、何それ」  顔をしかめる兄に「ね~」と言って、自分の短冊を別の場所に括る。  誰かのいたずらだとしても、あの後ろに飾るのは何となく気が引けた。  さて帰るか、と踵を返すと、 「……」  兄が、文字化け短冊をじっと見下ろしていた。  「どした?」と声をかけると、「……いや」と言うが、その場から離れようとしない。  と、兄は徐にその短冊を笹から引き千切った。 「えっ!?」 「何かキモいんだよな」 「え、何?どした?」 「変な感じする」  ビリビリと兄が短冊を細切れにする。  人の願い事をそんな……と一瞬焦ったが、『変な感じ』というのがもし、兄の第六感に訴えるものだとしたら。 「俺、また変なもん見つけちゃいました?」 「異世界転生主人公みたいな言い回しやめろ。多分な」 「ウヘェ……」  蕎麦にまぶす海苔くらい小さくなった短冊を、兄が脇のゴミ箱に捨てる。 「霊障ホイホイ」 「誰がじゃ」  ゴキブリホイホイみたいに言うな。 ・ ・ ・  帰り道で通りがかったパチンコ屋の前に、またしても七夕の笹があった。  はるはなの笹よりは少し小さかったが、ギャンブル好き達の切実な願いがあちこちにぶら下がっており、俺は思わず足を止めた。 「何、パチンコやんの」 「やんねーよ。いや、面白いなーと思っ……、え……?」  笹の中央、目立つ位置にあった短冊。 『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』  ゾクッと、全身に寒気が走った。  ついさっきはるはなで見たあの妙な短冊と同じ、手書きの文字化け。  ……まさか、書いてある内容も同じか?  俺の様子に気付いた兄も、同じ短冊を見つけて動きを止めた。 「……マジで気持ち悪いな」  兄が言い、先程と同様に文字化け短冊を千切る。  やはり、兄の言う通り何らかの霊障で間違いないのだろうか。二回目ともなると、ただのいたずらには思えなくなってくる。  妙に頭に焼き付く奇妙な文字列を必死で振り払いながら、俺と兄は急ぎ足でその場を去った。  その後も何度か七夕の笹を見かけたが、何だかまたあの短冊を目にしてしまう気がして、直視できなかった。 ☆  早足で家に帰った後は特段何事もなく。  しかし俺は、どうにもあの短冊の文字が気になって仕方なかった。  文字化けならば、元の文章があるはず。  俺の頭の中にはあの薄気味悪い文字列がずっと渦を巻いていて、まるでその意味を解読しろと急かしているようだった。 『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』 『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』……  無意識にあの文字列を頭に浮かべながら、ベッドに入る。  短冊に書かれていたからには、きっと何かの願い事なのだ。 『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』…… 『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』……──  眠りに落ちる寸前。  ふと、やけにくぐもった男の声が脳内に響いた。 『お前が死にますように』 「!!」  慌てて飛び起きる。  今のは一体。  状況の整理が追い付かない頭の代わりに、身体が冷や汗を流した。  次いでゾクリと走った寒気にハッと我に返った俺は、慌ててベッドから這い出た。 「お兄っ、お兄!」  ノックもせずに隣の部屋へ押し入る。  真っ暗な部屋の中、一目散にベッドに上がり、人型に膨らんだ掛け布団をバシバシ叩いた。 「お兄!『お前が死にますように』だ!あの短冊!『お前が死にますように』って書いてあった!お、俺呪われたのかな!?死ぬ!?俺死ぬ!?」  ねえ!と、黙りこくる掛け布団を揺さぶる。  とっくに入眠したらしい兄は、深い眠りの中にいるのか、はたまた目覚めたくなくて無視をしているのか。  どちらにせよ早く起きてくれ、と俺は兄を揺さぶり続けた。  すると。 「うるっせーな!」  兄がようやく起き上がり、ベッド脇のリュックから何かを取り出した。  暗闇でよく見えないが、どうやら何かを書いているようだ。  続けてビリッ!と紙を乱雑に破る音がしたかと思うと、ビタン!と額に衝撃が走った。 「え!?何!?」 「それ貼ったまま寝ろ」 「『それ』?」  手探りで『それ』とやらを探す。  ……額に、ノートの切れ端のようなものが貼り付けられていた。  ベリッと剥がして目を凝らす。 『ねむれますように』  すごく汚い走り書きだったが、そのように解読できた。  ……お前の願望じゃねーか!  呆れて兄の方に顔を向けると、既に寝息が聞こえ始めていた。  こいつ……。  しかし、一頻り騒いだからだろうか。  不思議なことに、先程までの恐怖感はどこへやら、俺はだんだんと眠くなってきていた。 「ふあ……ねむ……」  部屋に戻るのも億劫になって、ころりとその場に転がる。  起きたら呆れられるかな。  まぁいいか。  言われた通り素直にノートの切れ端を貼り直し、俺はゆっくりと眠りについた。 ★ 「ねぼすけさんたち~!起きて~!もうお昼ごはんの時間ですよ~!」  遠くから聞こえる父の声が、だんだんと意識を覚醒させる。  瞼を押し開いてみると、カーテンから透けてくる太陽光と共に、 「うぅん゛……」  額に妙な紙切れを貼り付けた陽向が見えた。  何だこれ、と紙切れを引っ剥がし、まだぼんやりする頭でその文字を咀嚼する。 「ね、む……れ、ま、すよ、うに。眠れますように?……あぁ、何か書いたな確かに」  だんだん覚醒していく脳が、夜中の記憶を吐き出す。  『俺死ぬ!?』とか泣き付かれたんだっけ。阿呆か。死ぬレベルの呪いかけられて俺が呑気に寝る訳ない。 「……」  所詮、大それた願い事なんて七夕の短冊ごときで叶う訳がないのだ。  『お前が死にますように』なんてふざけた願いも、『母さんが夢に出てきますように』なんて無垢な願いも、……『家族四人でずっといられますように』なんて単純な願いも。  だから、本当に叶えたいなら自分でどうにかするしかない。  俺はそれを知ったから、七夕に願い事なんてしない。 「お前が俺より先に死ぬことなんて絶対ないから、黙って寝とけよ」  無駄に安らかな寝顔を晒す陽向の右頬をぐにっと摘まんで、俺は笑った。

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