39 / 49
#32 七夕
#32 七夕
高校二年の頃の、七夕の話。
「あ、短冊」
地元のショッピングセンター『はるはな』で兄と買い物をしていた際、色とりどりの短冊がかかった大きな笹を見かけた。
「七夕かー」
「『身長伸びますように』って書けば」
「書きません~願わなくても伸びるので~」
「もう無理だろ」
高校生の成長曲線の緩さ舐めんなよ、と言う兄をキッと睨み付け、ペンと短冊が置かれたフリースペースに足を向ける。
書くことはもう決まっているのだ。
「そういえば、『母さんが夢に出てきますように』って書いたことあったなぁ」
「あ?」
「死んじゃった次の年の七夕にさ、せめて夢に出てくれればなぁって。出てきてくれなかったけど」
オレンジ色の短冊にペンを走らせながら笑う。兄はそれに「ふーん……」とだけ返した。
「できた!」
「何て書いた」
「『平穏無事に暮らせますように』」
「『平穏無事』ってよく書けたな」
「バカにすんな」
もっと具体的な方が良かったかな?『霊媒体質がなくなりますように』とか。
「お兄は書かないの?」
「書かない」
「何でだよー。望まずとも全部持ってるってか?嫌味な男だね~」
「うるせーわ」
興味なさげにしている兄を横目に、俺の背より少し高い笹をわさわさ触る。既に沢山の短冊が括られていた。
空いている場所を探し求め、わさわさ、わさわさ。
『お、ここ空いてる』と思い、影を作っていた手前の短冊に手をかける……と、
「……え?」
『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』
短冊には、手書きでそう書いてあった。
思わずゾッと背筋が粟立つ。
スマホやパソコンでたまに見る文字化けのようだ。しかし、わざわざそれを手書きで書く意味が分からない。
誰かがふざけて書いたのだろうか。
「お兄見てこれー」
「うわキッショ、何それ」
顔をしかめる兄に「ね~」と言って、自分の短冊を別の場所に括る。
誰かのいたずらだとしても、あの後ろに飾るのは何となく気が引けた。
さて帰るか、と踵を返すと、
「……」
兄が、文字化け短冊をじっと見下ろしていた。
「どした?」と声をかけると、「……いや」と言うが、その場から離れようとしない。
と、兄は徐にその短冊を笹から引き千切った。
「えっ!?」
「何かキモいんだよな」
「え、何?どした?」
「変な感じする」
ビリビリと兄が短冊を細切れにする。
人の願い事をそんな……と一瞬焦ったが、『変な感じ』というのがもし、兄の第六感に訴えるものだとしたら。
「俺、また変なもん見つけちゃいました?」
「異世界転生主人公みたいな言い回しやめろ。多分な」
「ウヘェ……」
蕎麦にまぶす海苔くらい小さくなった短冊を、兄が脇のゴミ箱に捨てる。
「霊障ホイホイ」
「誰がじゃ」
ゴキブリホイホイみたいに言うな。
・
・
・
帰り道で通りがかったパチンコ屋の前に、またしても七夕の笹があった。
はるはなの笹よりは少し小さかったが、ギャンブル好き達の切実な願いがあちこちにぶら下がっており、俺は思わず足を止めた。
「何、パチンコやんの」
「やんねーよ。いや、面白いなーと思っ……、え……?」
笹の中央、目立つ位置にあった短冊。
『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』
ゾクッと、全身に寒気が走った。
ついさっきはるはなで見たあの妙な短冊と同じ、手書きの文字化け。
……まさか、書いてある内容も同じか?
俺の様子に気付いた兄も、同じ短冊を見つけて動きを止めた。
「……マジで気持ち悪いな」
兄が言い、先程と同様に文字化け短冊を千切る。
やはり、兄の言う通り何らかの霊障で間違いないのだろうか。二回目ともなると、ただのいたずらには思えなくなってくる。
妙に頭に焼き付く奇妙な文字列を必死で振り払いながら、俺と兄は急ぎ足でその場を去った。
その後も何度か七夕の笹を見かけたが、何だかまたあの短冊を目にしてしまう気がして、直視できなかった。
☆
早足で家に帰った後は特段何事もなく。
しかし俺は、どうにもあの短冊の文字が気になって仕方なかった。
文字化けならば、元の文章があるはず。
俺の頭の中にはあの薄気味悪い文字列がずっと渦を巻いていて、まるでその意味を解読しろと急かしているようだった。
『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』
『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』……
無意識にあの文字列を頭に浮かべながら、ベッドに入る。
短冊に書かれていたからには、きっと何かの願い事なのだ。
『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』……
『縺雁燕縺梧ュサ縺ォ縺セ縺呎ァ倥↓』……──
眠りに落ちる寸前。
ふと、やけにくぐもった男の声が脳内に響いた。
『お前が死にますように』
「!!」
慌てて飛び起きる。
今のは一体。
状況の整理が追い付かない頭の代わりに、身体が冷や汗を流した。
次いでゾクリと走った寒気にハッと我に返った俺は、慌ててベッドから這い出た。
「お兄っ、お兄!」
ノックもせずに隣の部屋へ押し入る。
真っ暗な部屋の中、一目散にベッドに上がり、人型に膨らんだ掛け布団をバシバシ叩いた。
「お兄!『お前が死にますように』だ!あの短冊!『お前が死にますように』って書いてあった!お、俺呪われたのかな!?死ぬ!?俺死ぬ!?」
ねえ!と、黙りこくる掛け布団を揺さぶる。
とっくに入眠したらしい兄は、深い眠りの中にいるのか、はたまた目覚めたくなくて無視をしているのか。
どちらにせよ早く起きてくれ、と俺は兄を揺さぶり続けた。
すると。
「うるっせーな!」
兄がようやく起き上がり、ベッド脇のリュックから何かを取り出した。
暗闇でよく見えないが、どうやら何かを書いているようだ。
続けてビリッ!と紙を乱雑に破る音がしたかと思うと、ビタン!と額に衝撃が走った。
「え!?何!?」
「それ貼ったまま寝ろ」
「『それ』?」
手探りで『それ』とやらを探す。
……額に、ノートの切れ端のようなものが貼り付けられていた。
ベリッと剥がして目を凝らす。
『ねむれますように』
すごく汚い走り書きだったが、そのように解読できた。
……お前の願望じゃねーか!
呆れて兄の方に顔を向けると、既に寝息が聞こえ始めていた。
こいつ……。
しかし、一頻り騒いだからだろうか。
不思議なことに、先程までの恐怖感はどこへやら、俺はだんだんと眠くなってきていた。
「ふあ……ねむ……」
部屋に戻るのも億劫になって、ころりとその場に転がる。
起きたら呆れられるかな。
まぁいいか。
言われた通り素直にノートの切れ端を貼り直し、俺はゆっくりと眠りについた。
★
「ねぼすけさんたち~!起きて~!もうお昼ごはんの時間ですよ~!」
遠くから聞こえる父の声が、だんだんと意識を覚醒させる。
瞼を押し開いてみると、カーテンから透けてくる太陽光と共に、
「うぅん゛……」
額に妙な紙切れを貼り付けた陽向が見えた。
何だこれ、と紙切れを引っ剥がし、まだぼんやりする頭でその文字を咀嚼する。
「ね、む……れ、ま、すよ、うに。眠れますように?……あぁ、何か書いたな確かに」
だんだん覚醒していく脳が、夜中の記憶を吐き出す。
『俺死ぬ!?』とか泣き付かれたんだっけ。阿呆か。死ぬレベルの呪いかけられて俺が呑気に寝る訳ない。
「……」
所詮、大それた願い事なんて七夕の短冊ごときで叶う訳がないのだ。
『お前が死にますように』なんてふざけた願いも、『母さんが夢に出てきますように』なんて無垢な願いも、……『家族四人でずっといられますように』なんて単純な願いも。
だから、本当に叶えたいなら自分でどうにかするしかない。
俺はそれを知ったから、七夕に願い事なんてしない。
「お前が俺より先に死ぬことなんて絶対ないから、黙って寝とけよ」
無駄に安らかな寝顔を晒す陽向の右頬をぐにっと摘まんで、俺は笑った。
ともだちにシェアしよう!