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#39 作戦(上)
☆
「……ええと、遅れてごめんね。陽向くん」
駅前の喫茶店で俺が待っていたその人は、到着するなり目を丸くしながら歯切れ悪くそう言った。
珍しいその顔に俺も少しびっくりしてしまい、『急にお呼びしてすみません』という台詞をすっかり飛ばした。
「ど、どうかしましたか、雪見さん」
「いや……ちょっとびっくりして」
「何が」
「うーん……とりあえず、飲み物頼んでもいい?」
「あっ、はい。もちろん。すみません急に呼んじゃって」
「とんでもない。『相談がある』って頼ってくれて嬉しかったよ。バイト休みで良かった」
いつもの人好きする笑みをこちらに向けた雪見さんは、マフラーと上着を脱ぎながら席に着き、コーヒーを頼んだ。
そんな雪見さんの向かいで、俺は甘いホットチョコレートをちびちび飲む。……いや、別にコーヒーが飲めない訳じゃない。飲めるし。別に。わざわざ頼むほど好きじゃないだけだし。
「少し久しぶりだよね。いつぶりだったっけ?」
「えーと……二か月くらい前に参考書を貸してもらって以来?」
「そっか、二か月ぶりか」
そう。俺達は、雪見さんの卒業後も交流があった。と言っても、こうして会って話したりするようになったのは、俺が雪見さんの通う大学を第一志望に決めてからだが。
呼んでおいて急かすような態度を取るのは少し気が引けたが、それでもどうしても気になってしまったので俺は恐る恐る尋ねた。
「あ、あの。それでさっきのは」
「ああ、うん。何か……陽向くんの気配がしないのに陽向くんがいたから、びっくりしちゃって」
「……て言うのは?」
「昔、君が一年生だった頃の文化祭でさ、俺達のクラスに遊びにきたことがあったでしょう」
「あぁ、はい」
遊びに行ったというか、兄に連れ回されたというか。
「そのとき俺、『陽向くんの気配がしたと思ったのに可愛い女の子がいる』と思ったんだよね」
「ああ……それ口に出してましたよ……俺覚えてますもん……」
「ふふ、そうだっけ」
とぼける雪見さんを見て、『俺こそとぼけたかった』と苦々しく思う。
黒歴史なので思い出したくなかったが、生憎そのときにこの人の霊感の強さを再確認したのは事実なのだ。そしてそれもあって今こうして呼び出したりなんてしている訳で。
「さっきはそれの逆。陽向くんの気配がどこにもなかったのに、でも陽向くんがいたんだ」
「え」
「正確に言うと、『陽向くんの気配じゃなかった』かな。今こうして向かい合ってても、目を瞑ると俺には君が全く別の人物に "視" える」
「ど、どんな人に "視" えるんですか」
目を瞑った雪見さんに尋ねると、雪見さんは「ええとね」と一拍置いて言った。
「女の人」
「!」
「細身で、髪が長くて、こう、前髪をセンターで分けてる感じ。顔は霞がかってて分からないけど、綺麗な人って雰囲気」
「ふ、服は?」
白いワンピース?と問う俺の声と、「白いワンピース」と答えた雪見さんの声が重なる。雪見さんは少し目を丸くしたが、すぐに「やっぱり」と笑った。
「知ってる人なんだ」
「は、はい。あの、それって、その人が俺に "憑" いてるってことなんですか」
「そういうことになるのかな?悪い霊ではなさそうだけど」
「え」
目を見開いて固まった俺に、雪見さんが首を傾げる。
……嘘を言っている様子はない。そもそも嘘を吐く意味もないだろうし。
雪見さんの上げた特徴は、限りなく "おかあさん" のものに近かった。
『カリバラ』のときに夢で彼女の顔を見たので、それが分かれば確実なのだが……。とは言え心当たりもあるので、きっと "おかあさん" だろう。
だが、彼女が悪い霊じゃないなんて、そんなはずない。
だって俺は今日、彼女に取り憑かれて兄を殺しかけたのに。
雪見さんは、混乱する俺を落ち着かせるように何気なく言った。
「とりあえず、話を聞こうかな」
「は、はい……」
「お待たせいたしました。ブレンドコーヒーでございます」
「あ。ありがとうございます」
頼んだコーヒーが来た雪見さんは、ゆっくりとカップに口をつけた。
(……そうだ、まずは話せるところから順を追って話そう。情報整理も兼ねてるんだから、今混乱していたって仕方ない)
俺も長話の前に一服、とホットチョコレートを口へ流し込む。
甘ったるくなった唇を一度舐めて、俺は語り出した。
「……まず、今雪見さんに "視" えてるのは、兄の実の "おかあさん" です。兄が幼い頃に亡くなりました」
「なるほど」
「それで、俺が柳家に越してきた小学一年生の頃のことなんですけど。夜中部屋で眠っていたとき、初めてその "おかあさん" が俺の前に姿を現したんです。兄はそのとき、『害はないから大丈夫だ』って……──雪見さんの言う通り、『悪い霊じゃない』って言ってて。実際にその後も何度か家の中で "おかあさん" を目にしたんですけど、確かに何もなくて」
でもいつからか、兄は俺を "おかあさん" から遠ざけ始めた。あれは……そうだ。小六の頃、母が亡くなってすぐ。
家に一人でいたときに現れた "おかあさん" 。長い髪で顔が見えなかったのに、どうしてか笑っている気がしたのを覚えている。彼女の手が俺の頬に触れかけた瞬間、後ろから兄に引き寄せられたのだ。
思い出しながらひとつひとつ語り、当時兄が言っていたことを口にした。
「……『頼むからもう連れてかないで』って言ってました。それから兄は "おかあさん" を危険視するようになったんです」
「……なるほど」
雪見さんが目を伏せながら顎に手をやる。
「陽向くんは、ずっと霊媒体質なんだっけ」
「はい。気付いたときにはもうこんな感じでした」
そういえば、と保育園の頃のことを思い出す。父親を呪いたいと言った雪見さんを見て思い出した、自分の苦い記憶。
「保育園の頃からなので筋金入りですね。実の父親が嫌いだってことは前話しましたけど、俺、実は園児のときに父親を呪おうとしたんですよ。当時保育園に住み着いてた子どもの霊に頼んで。結局俺が危ない目に遭って、……でも、ある人に助けられて、今に至るんですけど」
「……そっか。うん。なるほど」
雪見さんは、俺の話を咀嚼するように何回か頷いた。そして一つ質問を投げてくる。
「その保育園の頃の話だけど、子どもの霊がいることには前から気付いてたの?」
「あぁ、いえ。誰かお化けに頼んだら父親を呪ってくれないかなぁと思ってたところ、たまたま園庭でその子を見つけて。最初は逃げられちゃったんですけど、同じ日のお昼寝の時間にその子が現れて、それで呪って欲しい人がいるって頼んだら、逆に痛い目見たって感じです」
「ふぅん……」
考え込むように流し目をした後、雪見さんは「相談の続きを聞こうかな」とまた俺に目を向けた。
少し脇に逸れてしまったな。ええと、何だったっけ。
俺は一呼吸置くために一度ホットチョコレートを口に含み、ゆっくり嚥下してからまた口を開いた。
「それで、ここからは今年起こったこと……というか、現在進行形の話になってくるんですけど。夏に、家でお兄と家族のアルバムを見てたんですよ。母さんが亡くなる前までのアルバムなので、ほんとちっちゃい頃の」
「へぇ。陽向くんの小さい頃の写真見てみたいな」
「あは、今度見ますか?代わりに雪見さんのも……、っていうかそうだ。スマホに写真入ってるかも」
この先の話は少々重苦しいので、小休憩もいいだろうと俺はスマホを開いた。
連絡アプリをタップして、兄とのメッセージ画面を開く。
何故その画面を開くかって?忌々しいあの兄が、俺の幼少期の写真をスタンプ代わりに使ってくるからだ。
『牛乳切れたから買ってきて(俺)』『もうスーパー通り過ぎた(兄)』『戻って買ってこい』『(幼い俺が号泣している写真)』みたいな。忌々しい。人の顔をスタンプ代わりにするな。
開いたスマホの画面を雪見さんに見せると、雪見さんは珍しく「あはは!」と吹き出した。
「すごく可愛いね」
「ふざけた使い方してるでしょこいつ」
「夕影くんは本当に陽向くんが好きなんだね」
「これからそれ伝わります?」
同じようなやりとりは何度もしているので、画面をスワイプして兄の愚行を晒す。
くすくす笑いながら楽しそうに画面を見ていた雪見さんだったが、はた、と何かに気付いたように笑うのをやめ、瞬いた。
「どうかしました?」
「……ちょっと、この写真よく見てもいい?」
「え、はい」
ありがとう、と雪見さんが俺のスマホを手に取り、写真を拡大する。何てことはない、俺がむくれている写真だが。
確かこの写真は『ゲーム機どこ。使いたいんだけど(兄)』『ごめん出先に持ってった(俺)』『(頬を膨らませて拗ねる幼き日の俺)』みたいな流れだったはず。
「他のも見ていい?」
「はい」
画面を見る雪見さんは、先ほどのような楽しそうな顔ではなく神妙な顔をしている。
何だろう。少し不安になりながらホットチョコレートに口をつけて待っていると、ようやく雪見さんが口を開いた。
「……うん、分かった。話遮っちゃってごめんね。続きを聞かせてくれるかな?」
「え……あ、はい」
何かに気が付いたような様子だったのでそれについて話してくれるのかと思ったが、続きを促されて面食らう。
何か怖いことを言われるんじゃないかとヒヤヒヤしたのだが。『この写真、足が消えてるよ』とか。
何でもなかったのだろうか。
疑問に思いつつも雪見さんはもう受け身の態勢になっていたので、俺はホットチョコレートの残りをぐいっと飲み干し、一気に話し始めた。
「今年の夏に、家族アルバムを兄と見てたんです。兄のちっちゃい頃……つまり、 "おかあさん" が生きていた頃のアルバムもあったんですけど、そのアルバムの写真全部、 "おかあさん" も、お兄も、父さんも、他の人も、みんな顔が黒いインクみたいなものでぐちゃぐちゃに塗り潰されてて。……明らかに異常だったのに、兄には普通の写真に "視" えてたみたいなんです」
「陽向くんには "視" えて、夕影くんには "視" えなかったの?」
「はい。……俺にだけ兄のアルバムが "見" れないっていうのがどうしても引っかかって。俺に対する "おかあさん" の敵意の表れなんじゃないかって思って」
一体あれは何だったのだろう。その疑問への答えは、次の季節にやってきた。
「──それで、ちょっと前のことなんですけど。父が骨折して入院したんですよ。お見舞いに行った病院で、俺、 "おかあさん" が亡くなってから今までどんな気持ちだったのか思い知ったんです」
俺は雪見さんに、あの日のこと……『カリバラ』のことを全て語った。
忘れ物を取りに戻る途中で、 "あの子" に出会ったこと。
俺の腹に宿った赤ん坊を兄が除霊しているときに "視" えたもの。
「──交通事故でお腹の子と一緒に亡くなってしまってからずっと、 "おかあさん" はあの家にいたんです。兄の弟になるはずだった "あの子" を産んであげられなかった後悔と、……俺と母さんへのどうしようもない複雑な感情と、激しい喪失感と、全部を背負って、ずっといたんです」
「……うん」
「最初、 "おかあさん" が悪霊じゃなかったのは間違いないと思います。現に母さんが死ぬまでは何事もなかった。多分 "おかあさん" は、あのまま負の念に呑み込まれて悪霊になってしまったんだと思います」
雪見さんが何かを思案するように顎へ手をやり俯く。少し間を置いた方がいいかと思ったが、「続けて大丈夫」と微笑みかけられたので俺はそのまま続けた。
「…… "おかあさん" 、『せめてこの子だけは産んであげたかった』って言ってたんです。だから、それがこの世に縛り付けられてる一番の理由というか、未練なのかなと思って。それで、ふと『水子供養ってしたのかな』と疑問に思ったんですよね」
漠然とした疑問だったが、『 "おかあさん" が成仏する鍵は "あの子" が握っているはずだ』という確信に近い気持ちはあった。
理屈はないが、 "おかあさん" と過去や感情を共有して強く感じたことには違いない。
だから、その鍵に当てはまる鍵穴を見つけるためにまずは何かしてみようと。
そして俺の疑問への答えは、『したっちゃしたし、してないっちゃしてない』だった。 "おかあさん" の実家で仏壇を作り、一応の供養はした、と。
今その仏壇がどうなっているかは知らないが、赤ん坊の方はとっくに成仏しているだろう。というのが、兄の見解だった。
「 "あの子" が成仏できているなら、良いんです。……けど、行き詰まっちゃって」
"あの子" は供養された。成仏もできているかもしれない。でも、 "おかあさん" は成仏できていない。
じゃあ、 "おかあさん" が成仏するには?
その答えが、いつまでも出てこない。
情けなくその心情を吐露すると、雪見さんは「そっか」と何か腑に落ちたような声を出した。
「陽向くんは、夕影くんのお母さんを成仏させてあげたいんだね」
「え?」
そりゃそうだろう。そういう話をしていたのだが。
訝しげに顔を傾げた俺に、雪見さんは少し笑って「あぁ、ごめんね」と言った。
「やっぱり陽向くんは、純粋で良い子だなぁと思って」
「……どういうことですか?」
「俺なら手っ取り早く "消えてもらう" なぁ」
「……え」
何気ない声音でそう言った雪見さんの顔は、いつも通りの爽やかな笑顔だった。
俺が困惑していると、雪見さんが笑顔のまま言葉を付け足す。
「ほら、よく漫画とかでさ、塩撒かれた霊が断末魔を上げながら消えるシーンとかあるじゃない?あれって、未練なんて解消されてないよね」
「あぁ……まぁ……」
「『除霊』と『浄霊』の違いって分かる?」
「除霊と……じょうれい?」
「前者はよく君がお兄ちゃんにしてもらっているものだね。憑いちゃった霊をどこかへ追い払う。後者、『浄霊』っていうのは、陽向くんのしようとしていること。未練を晴らしてあげて、成仏してもらう。俺はこの二つの他に、『消滅』があると思うんだ」
「消滅……」
「圧倒的な霊力を持って、無理やりこの世から追放するんだよ。叩き割ったガラスみたいに、魂を粉々にしてやるんだ」
ゾッとした。何て恐ろしい。
と、いう俺の心の呟きを、雪見さんはお見通しだったらしい。
「イメージね。俺の持論。魂に形なんてないから、本当に粉々になって跡形もなく消えるのかは分からないよ。でも、浄霊以外の方法で霊がこの世から消えること、俺はあると思う」
「で、でも、未練を晴らしてあげる方法があるならそれが一番じゃないですか」
「ふふふ。だから純粋だなぁって。陽向くんは自分が楽になること以上に、相手が苦である事実に目を向けてるでしょう」
「……だって、俺は "おかあさん" の想いを直接知っちゃったから」
あんな悲痛な叫びに触れたら、無視なんてできない。
それは当然のことだと俺は思う。
だから、俺にできることは何だろう、何かしてあげたい。そう思っていた。
──のだが、悠長にはしていられなくなってしまった。
「……でも実は、今危険なのは俺じゃないんです」
「ん?」
「お兄が、狙われてて」
俺はつい数時間前のことを全て打ち明けた。自分の手で兄の首を絞め、殺しかけたことも全て。
「──だから、悠長にしていられなくなったんです。それで雪見さんに相談しようと思って」
「……そっか。うん。分かった」
合流してからここまで少々重い話を早口に語り続けてしまったため、疲れてはいないだろうかと雪見さんの顔を伺う。
と、雪見さんはほんの少しだけ口角を上げていた。何だか、嬉しいことがあったときみたいに。
ぱちくり瞬く俺と目が合った彼は、少々気まずそうに「あ、ごめんね」と口元に手をやった。
「不謹慎だったね。でも、嬉しくて」
「え……何がですか」
「陽向くんが、俺をすごく信頼してくれているんだなぁってことが。話しにくいこともあっただろうに、全部話してくれてありがとう」
滲む嬉しさを抑え込むように微笑んだ雪見さんに、俺は何だか面食らってしまった。
雪見さんとは色々あったが、今では気の置けない先輩だ。……まぁ、『死なないでくれ』と泣きついたり、一度も口にしなかった実父への想いを赤裸々に語ったりしておいて、今更どんな気を置くんだという話である。
当然のように信頼を寄せていたので、改めて言われると何だか不思議な気分だった。
「うん。決めた。余計なお節介しよう」
雪見さんが小声でそう言う。独り言のようなそれにハテナマークを浮かべていると、彼は不意にスマホと上着を持って立ち上がった。
「ちょっと用を思い出したから、電話してくるね」
「あ、はい」
「すぐ戻るから」
ひらひらとスマホを握った手を振って、雪見さんは店の外へ出て行った。
ベージュのロングコートを着た後ろ姿が窓から少しだけ見える。
何か予定があったのかな。突然呼び出して悪かったかな。もし用事があるなら、無理を言わず帰ってもらおう。
そう考えながらぼーっと雪見さんのシルエットを眺めていると、彼は本当にすぐ電話を終えた。
そしていつもの上品な笑みを浮かべながらテーブルまで戻ってくる。
俺が『おかえりなさい。何の電話だったんですか?』と聞く前に、雪見さんはパン、と小さく手を叩いた。
「──よし。陽向くん、何か食べようか」
「へ」
「気付いてた?もうおやつの時間だよ。……って言うにはちょっと遅いか。16時前だもんね。飲み物のおかわりを頼むついでに、一緒におやつにしよう」
いっぱい喋ってお腹空いたんじゃない?と言う雪見さんに、まるで突っつかれたみたいに腹の虫が鳴る。
恥ずかしさを滲ませながら「はい……」と返事をすると、雪見さんは「ほんと可愛いなあ」と可笑しそうに笑った。
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