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Ⅴ この手をずっと握ろう⑨
ここは、医務室だ。
パーテーションの向こうで、郁巳が眠っている。
「グレーテルから聞きました。俺を助けてくれたんですね。ありがとうございます、ミコトさん」
「私はなにもしていない。郁巳の処置が、君を救ったんだ。頑張ったのは、郁巳だよ」
「……けれど。ミコトさんも、俺を助けるのに必死だったって。
ミコトさんの的確な判断がなかったら、俺は助からなかったろう……って」
「君は助かっていた。例え、私がいなくとも。
郁巳が必ず、君を助けていたよ」
宵闇色の瞳に斜陽が溶け込んでいた。
「君は、郁巳に大切に思われているね。
大切なものは、手離しちゃいけない。
君の手を、郁巳はずっと握っていたよ」
「覚えています……」
開いた掌
彼の温もりが残っている。
慈しむように、そっと……
ヘンゼルは右手を包んだ。
ベッドの上で握り返せなかった温もりを……
「……俺、ミコトさんに嫌われてると思ってました」
「嫌ってるんじゃない。私は君が大嫌いだ」
「ミコトさん……」
「当然だろう。私は郁巳を悲しませるものを、こよなく憎む。
君は間違いなく、世界で一番嫌いなものに相当するよ」
だって、そうだろう……
唇が、雨に濡れた想いを奏でた。
「君は、郁巳をおいて逝こうとしたんだ。
君の体は復元できても、心は復元できない。
君の心が壊れれば、君は二度と再現できない。
それは、死と同じだ。
君が死ねば、郁巳が悲しむ。郁巳を悲しませる事をする君を、私は地獄の底まで恨むよ。
これは元エンジニアとして、私から君への忠告だ」
ふわり
カーテンが舞った。
「死を恐れろ」
たなびいたカーテンの白が、朱に燃える夕陽を包んだ。
「心を持つ君はもう、人間なんだよ」
太陽が稜線を照らしている。
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