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第2話

 宿に着いて案内された部屋は、窓から湯畑の光景が眺められる、なかなか良い部屋だった。客用の大きいテーブルが置かれた和室が一部屋と、廊下を挟んでもう一部屋。それから、間の廊下を通ると内風呂に露天風呂が付いているらしく、広い脱衣所と曇りガラスの扉の向こうに、小さなお風呂が見えた。 「えええええ、なんか、すっごい良い部屋!? 高いんじゃないんですか?」 「このくらい、平気よぉ。このお札を持っていくと、他のお宿の温泉も利用できるのよ。沢山入りたいなら、早く準備しないとねえ」 「お母さん、僕たちはどこで寝ればいいの?」  広瀬の言葉に、和枝さんが「そうねえ」と言いながら、廊下を挟んだ奥の部屋へと歩いていく。奥の部屋は特に何かがあるわけではなく、小さな飾り箪笥が置いてあるくらいだった。  おそらく、ここに布団が敷かれるのだろう。 「あなたたちは、こっちを使いなさいな」 「え、こっちの方が、良いお部屋なんじゃ」  思わず恐縮してそう言った俺に、和枝さんは恥ずかしそうに苦笑いしながらつづけた。 「年寄りはトイレが近い方が良いのよ」 「あ、はい……」  なるほど。確かにそうかもしれない。  テーブルのある部屋をすぐ出た場所にトイレがあり、その先を少し行って、こちらの寝室だ。長い廊下を夜歩くより良いのかもしれない。  そう思い納得しつつも、こちらの小さな離れた部屋に、広瀬と二人きりと言うのが、嫌な予感がしてたまらない。 (絶対! なしだからな!)  そう思って広瀬に念を送るためにじい、とみれば、広瀬はしれっとした様子で。「わかってるよ」と返事をした。  どうやら通じたらしい想いに、ホッと息を吐き出したら、広瀬が当然のように呟いた。 「そんなに期待した顔しなくても、ちゃんと可愛がってあげるよ」 「違げーよっ!!!」  思わず叫んだ俺に、和枝さんが「?」という顔で振り返ったので、俺は真っ赤な顔をおさえつつ、「何でもないです!」と手を振って否定した。  本当に、前途多難である。  温泉に入ってのぼせ気味の身体を仰ぎながら、俺は畳の上にどっかりと座った。  浴衣の襟が崩れて、少々だらしがないが、それよりも熱い。少し湯につかりすぎたのかもしれない。  そうやって顔を仰ぐ俺の横で、広瀬の方は涼しげな顔で、持ってきた小説を捲っている。 「――――……」  そりゃあ、触れられたりするのは困るけど、放置は放置で面白くない。  広瀬は濡れた髪から滴を落としながら、浴衣を着なれた様子で着流して、和風の旅館によく合った雰囲気を醸し出していた。温泉のせいで仄かに気色の良くなった頬が、いつもとは違う様子で、少しだけドキリとする。  俺はチラ、と広瀬を一瞥し、それからじり、と広瀬の方へ近づいた。  広瀬は相変わらず、本に視線を落としている。俺が近づいているのに、気づいていないのか。それとも、気づいていて知らん顔してるのか。 (広瀬)  静かな部屋。  見知らぬ部屋。  少し漂う緊張感と、甘やかな距離感。  浴衣の袂の裾に、触れるか、触れないか。  そこまで近づいて、不意に声をかけられた。 「牧島くん、和己。お夕飯七時だから、そろそろ準備してね」  障子越しに声をかけられ、ビクッとして身体が震える。 「っ、はいっ!!」  慌てる俺に、広瀬が鷹揚に顔を上げた。  顔の近さに、ドキリとして思わず顔を覗いたら、そのまま広瀬の顔が近づく。 「ひろ……」  後頭部を手で引き寄せられ、唇に噛みつかれる。  かち、と歯が当たって、一瞬痛かったが、すぐに舌がぬる、と唇を舐めてきた。 「ん……」  思わず鼻腔から漏れる息に、ぞく、と身体を震わせながらも、口中に侵入してきた舌に、自分の舌を絡ませながらキスを受け入れる。  広瀬の脚が、俺の浴衣の裾を払った。ぺらり、とめくれ上がった浴衣から、太腿が晒される。 「っ、おいっ!」  思わず身体を離す俺に、広瀬がしれっと口を開いた。 「あれ、パンツ穿いてるの?」 「穿くわっ!!」 「なんだ、つまんない」  ケロッとした顔でそんな事を言われ、俺は「うー」と唸りながら頬を真っ赤に染めて広瀬を睨んだ。広瀬は裾を直そうとする俺の手を払って、太腿に手を這わせながら、首筋に舌を這わせる。 「ちょ、広瀬っ……ご飯だって!」 「ん、食堂、パンツ脱いで行く?」 「アホかっ!」  べしっ、と広瀬の頭をひっぱたいて、それから身体を引き離して。俺は浴衣を整えると立ち上がった。 「ったく……!」 「ご飯食べたら」 「ん?」  広瀬の声に、そちらを見る。広瀬は浴衣の上に茶羽織を羽織っている。日本人らしい顔立ちと、黒髪のせいか、広瀬の浴衣姿は良く似合う。 「温泉入ろう。露天」 「―――ああ」  少しだけ嫌な予感がしながらも、俺はうん、と頷いた。

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