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長谷 潤一の苦悩の日々⑤

今日は部活が無いので部屋でゆっくりしようかと思ったのだが、未だに自分の事を怖がっている本島が部屋にいるかもしれないと思うと、部屋には戻れなかった。 いつも持っている小説はもう5冊目で、まだ読み始めたばかりだ。 いつもなら人でいっぱいの談話室には誰もいなかった。 談話室の椅子に座ると小説を読み始めた。 静かな空間で読むとその世界に入り込んでゆく。 「あれ? 長谷?」 涼やかな声に現実に引き戻される。 「ん? 佐々木か」 小説に栞を挟んで閉じると顔を上げた。 佐々木はキョロキョロと談話室の中を見回している。 「1人?」 「見れば分かるだろ」 ぶっきらぼうな言い方になってしまった。 まさかここに佐々木が来るとは思っていなかったのだから仕方がない、と自分を正当化する。 「長谷さぁ、オレのこと避けてる? 部屋でちゃんと会ったことが無い気がするんだけど」 佐々木からそんな質問をされるとは思っていなかった。 部屋で2人きりになったら何をするか分からないから、なんて本当のことは言えない。 「部活が忙しくて…な」 無難な答えを返すが、本当のことでは無いために歯切れが悪くなる。 「夕飯の後だって、全然戻ってこないじゃないか」 佐々木の声が少し寂しそうに聞こえるのは俺の願望だろうか。 「オレと一緒にいるの、そんなに嫌か?」 目を潤ませて自分を見てくる佐々木が超絶可愛い。 今すぐにでも抱き締めたい、という自分の感情を押し殺して佐々木の前まで行くと頭にポンと手を置いた。 「そんな訳ないだろ? いつも一緒にいるチマいのが俺の事怖がってんだろ? 部屋に戻っていたらいかんなと思ってな」 これは本当のことだ。 佐々木は俺の言葉に間髪入れずに返してくる。 「チマいって、誠も静も殆ど背っ……あっ! オレ、ここにコピーしに来たんだった」 佐々木が自分で抱えている問題集を見る。俺もそれを覗き見ると、そこには大きく小学生と書かれていた。 「小学生…?」 疑問に思ったことが、口をついて出た。 佐々木が急に顔を上げたもんだから、結構な至近距離で目が合う。 心臓が口から飛び出るかと思うほど驚くが、平静を装う。 「…あ、これ? 誠が使う問題集。でも静の大切なものらしいからコピーしようと思って。ま、オレも使うんだけど」 少し早口になった佐々木は俺から離れていく。 寂しさも感じるが、それと同時にホッともする。 ん? 佐々木も使う? 小学生用の問題集を? 「佐々木って頭良くなかったか?」 授業の時も答えられない問題なんてなさそうだった。 「あのさ、佐々木って呼ばれるのあまり好きじゃないんだ。名前で呼んでくれないかな?」 俺の質問に答えることなく、佐々木は変なことを言ってきた。 名前って、下の名前ってことか? 「じゃあ、敦?」 “敦”と口にしてみると胸がほわっと温かくなることを感じる。 「静がさ、入試で1位だったんだって。全教科満点ってどんだけだよな」 またも早口にそう言うと敦は…ヤバイ、敦って心の中で思うだけでも恥ずかしい。敦はコピーに専念する。 「本島って頭良いんだな」 俺の呟きが一心不乱にコピーをしている敦に届いたかは分からない。 一応閉じた小説をもう一度開いてみるが、全く集中出来ない。 俺はコピーをしている敦を見つめた。 自分も名前で呼ばれたいと思う。 コピーが終わったのか、敦は自分を見つめている俺に気がつく。 「何? どうかした? 長谷?」 小首を傾げる姿も可愛い。 「お前も名前で呼べよ」 思わず命令口調になってしまう。 一瞬、俺の名前知らなかったらどうしようかと思うが、それは杞憂に終わる。 「え? ……潤一?」 敦が自分の名前を口にする、それだけで飛び上がるほど嬉しくなる。 俺は自然と笑っていた。 それを見ていた敦が少し驚いた顔をして、視線を泳がせる。 ヤバイ、怖がらせたか? 「あの2人はオレ達の部屋には呼ばないから、夕飯の後すぐ戻って大丈夫だから」 優しい笑顔を浮かべてそう言う敦に肯定の返事以外出来なかった。 「分かった」 「じゃあ、オレ戻るな」 敦がおそらく河上と本島が待つ部屋に走るようにして戻って行く。 『潤一』 敦に呼ばれたことを思い出すだけで、胸が温かくなり、顔はニヤケてしまう。 自分はきっと敦に恋をしている。 そう自覚せざるを得なかった。

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