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第3話 出発
「ワガママだと自分でも分かってるけど、それでも一緒に行きたい。僕が運転するから。君は道を教えてくれるだけでいい」
言い切った後、僕はゆっくりと彼を見上げた。奏は少し間を空けてから、「いいけど」と呟いた。
「蓮が付いて行きたがるとは予想してなかったな。というか…正直、俺のやること止めると思っていた」
「止める気は全くないよ。…荷物まとめてくる」
必要最低限の着替えと生活雑貨をリュックサックに詰め、リビングルームで座っている奏に声をかけたのは、十分後のことだった。
「準備出来た。いつでも行ける」
「じゃあ行くか。…お前、予定とか無かったのかよ?急に決めて大丈夫だったのか」
「今は冬休み中だよ。バイトは適当に理由つけて休めばいい」
そんな会話をしながら、扉を開けた。日光の差し込まない薄暗い玄関が少し明るくなる。
外は風が吹き荒れていた。全身の血管が縮まったような感覚になる。
空はさっきよりも色が濃くなっていた。
アパートの階段を降り、二人で車に乗り込んだ。4人乗りの黒の軽自動車。僕はカーナビを弄りながら、奏に尋ねた。
「どこに行けばいいの?」
「ここだ」
奏がスマートフォンの画面を見せてきた。メモ帳に住所が書き込まれている。僕はそれを入力する。そしてナビは「取り敢えず高速に乗れ」といったような指示を出した。
アクセルを踏みながら僕は、「これが楽しい旅行のはじまりだったら、『出発進行』と声高に言えるのに」などと考えていた。
旅行は、自分が知らない出来事を体験するためにすることだ。
しかし、今回の遠征はそれと真逆だ。これから何が起こるか分かりきっているのに、僕はそれを止める気も、権限もない。ただ見届けるだけ。
運転しながら、チラリと奏の横顔を覗いた。彼は少し首を横に向け、窓の外を眺めている。
カーステレオも付けずに運転していると、突然屋根に何かがぶつかるような音がした。砂利でも撒き散らしたような軽い音。
音と連動するように、窓に水滴がついた。フロントガラス越しの風景が滲む。
雨が降りだしたのだ。雨音のおかげで、沈黙の重さが少し和らいだような気がした。
信号が赤に切り替わった。慣習的にブレーキを踏む。車が停止した途端、奏が窓から目を逸らして僕を見た。
何だろう。僕が横を向き、視線が合うと奏は口を開いた。
「俺は今の所、本当にやるつもりだよ」
奏は雨に流されてしまいそうなほど、小さな声で言った。
聞きたくない。奏が、これがしようとしている事については特に。
それなのに僕は会話を続けてしまう。
「やるって…どうやって?」
「これを使う」
車に乗っても着っぱなしだったコートのポケットからソレを取り出した。
「それって…」
僕の目には、錆びた彫刻刀が映っていた。カラフルなグリップやカバーなんてものは付いていない。持ち手が木で出来ている古いタイプの物だった。刃先は細かい部分を掘るために、細く鋭利に作られている。
しかし、奏の持っている物はこびり付いた錆びのせいで刃物としての役割は果たせそうになかった。
全身の体温が急速に下がっていくのを感じた。胃のあたりを軽く締められたような感じがして苦しい。僕は奏よりも小さな声を絞り出した。
「奏、そんな道具じゃ…」
「『殺せない』って言いたいんだろ。…それを分かってこれを選んだんだ。アイツを一発で仕留める気はねえよ。楽に死なせるつもりはない」
僕はそれを聞いて、ハンドルを握る力を強くした。指先が白くなるほど。そしてまだ変わらないであろう空の様子を見た。
そんな僕の横で、奏は彫刻刀を再びポケットにしまった。
ライトに照らされた雨は、絶え間なく降ってくる白い糸のようだ。ワイパーがガラスを擦る音をぼんやりと聞いていると、不意に彼のため息が耳に届いた。
僕が「どうしたの」と尋ねると、奏は口元だけ笑って答えた。
「もしかして蓮、避けてるだろ」
「何のこと」
僕の言葉に奏はただ黙って首を振る。
「いいんだ。気にするな」
彼の言葉を最後に、車内は再び沈黙に包まれた。
彼が何について話そうとしているのか分かっているのに、僕はそんな返しをしてしまった。
僕は避けて、逃げて、はぐらかした。
あの日病院の廊下から逃げた自分をあれほど嫌い、もう2度とあんなことはしないと決めたのに、また逃げたのだ。
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