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第5話 抱擁

「奏は後部座席で横になって寝なよ」 「え、お前はどうするんだよ。運転席じゃ、狭いだろ。俺の隣でいいじゃねえか」 「座って寝るからいい」 運転席に座ろうとすると、奏が肩を掴んだ。思わず振り向いてしまう。 「やっぱり避けてるだろ。気付いてるんだぞ」 「……そんなこと」 「ない」と言ったときには、押し倒されるようにして座席に崩れ座っていた。奏が僕を押したのだ。彼も僕に跨るような体勢になっている。 二人とも服は乱れて、髪はめちゃくちゃだ。そんなことを気にせずに、僕らは見つめあった。 「奏、何してるの…。危ないよ」 「お前はズルいよ。ずっと平気な顔しやがって。俺ばっかり意識してるみたいじゃねえか」 奏の顔が近い。見下ろされるような形で目と目が合う。彼の瞳を見つめていると、頰が濡れた。 「俺、あの日からずっと考えてたんだ。お前が俺のことを…って。 そういえば、返事は要らないって言ったよな。どうしてだ」 彼が話している間、ずっと頰が濡れていた。 ポタポタと、液体が落ちてくる。 それは涙だった。奏の目から溢れている。 「君に迷惑かけたくなかったからだよ。 急に友達だと思ってた奴から、好意をぶつけられて困らない人なんていないと思って。 でも、やっぱり君を悩ませてしまったね。ごめん」 「謝るなよ…どうして謝るんだ。ごめんなさいって言ってももう前みたいには戻らないんだぞ。それを分かって言ったんじゃないのか」 彼の言っていることは正しかった。もう僕たちは前の関係には戻れない。親友同士だった頃には。 僕は告白したことについて避けた。そんなことしても、その過去が消えないと分かっていたのに。 「分かっていたから、あの日までずっと黙ってた。でも落ち込んで、自分を卑下する君を見て…つい」 「……言ったこと、後悔してるか?やめときゃよかったって思ってるか」 「そんなことないよ。でも」 僕の後悔…それはあの日、逃げたことだ。 僕は口に溜まった唾を飲み込んでから口を開いた。 「君を目的地に届けたら、もう二度と目の前に現れないよ。これ以上奏に迷惑かけない」 押し倒されて、変な格好のまま言った。 「それ、本気で言ってんのか」 奏が僕の胸元に額を押し付けた。さっきコンビニで買ったシャンプーの香りがする。 「今まで蓮は、俺が迷惑がってると思ってたのか」 「違うの?」 「違う」 奏が両腕を僕の肩に回す。僕らの体はピッタリとくっついた。熱い。二人分の体温が、体の間にこもる。 そしてその体勢のまま、彼は僕の耳元に口を寄せた。吐息が耳にかかる。 奏は僕の耳元で囁いた。 「あの言葉で俺は気付けた。お前が好きだってこと」 ドクドクと激しい鼓動を感じる。僕の心臓なのか、彼のものかは分からない。 「疑ってるだろ。ハッキリ言うが俺は本気だぞ。蓮、お願いだ。俺が何度も何度も考えた結果、やっと自覚出来た感情を信じて欲しい。お前さえ良ければ受け止めてくれないか」 「奏…僕は信じるよ。疑うわけないだろ」 僕も彼がしたように、両腕を背中に回した。 「僕は自分がしたことからもう逃げないし、避けない。約束するよ」 狭い車内で二人きりで、同じ座席に座って抱きつき合う。そんな状況がなんだか好きになった。 奏が抱擁を解く。そして濡れた頰を拭った。 「蓮はすごいな。あの日、こんな死にそうなくらい緊張することを平気でしたんだから」 僕から目を逸らしながら言う。 「奏もね。君に抱きつく時、すごくドキドキした。今でも心臓の音がうるさい」 奏が不意に僕の胸に耳を当てた。しばらく動かなかった。そしてフっと息を漏らし、頭を離した。少しだけ口元が笑っている。 「ホントだな。大きな音だ」 その時、僕は久しぶりに奏が笑っているところを見たことに気付いた。そしてこの笑顔を守らなきゃな、と決心したのだった。

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