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第6話 過去
「手を、握ってくれないか。怖いんだ」
薄暗くなった車内で奏がポツリと言った。
その時僕らは限界まで傾け、ほぼ横倒しになった後部座席に並んでいた。
夜中の駐車場は静かだったが、あちこちに外灯があるので昼間のように明るい。しかし車内にその光は完全に入ってこない。
「…今でも怖いの」
「そうだ。情け無いだろ」
奏はため息混じりに呟く。僕は首を横に振りながら、彼の方に体を寄せた。
「そんなこと思ってないよ」
僕は彼の手を掴んだ。冷たくて柔らかかった。
軽自動車の座席は、成人男性二人が手を繋ぎながら眠るには狭すぎる。しかし今はその窮屈さに感謝していた。
彼と体を寄せ合って眠ることが出来るから。
「こうしてると、あったかいね」
僕の体温で、奏の手がじんわりと温かくなっていく。氷を少しずつ溶かしていく様子を思い浮かべた。彼の凍った心を溶かす力が僕にあればいいのに。
「蓮さえ良ければ、ずっとこうしていたい」
「いいよ。ゆっくり休んでね」
「…ああ、おやすみ。また明日」
二人揃って眠る。寒さや辛さ、悲しさから逃れるように固く目を閉じて。
手を繋いで誰かと寝るなんて初めてなのに、懐かしいと思うのは何故だろう。
─…ああ、分かった。
昔のことを思い出しながら微睡んだせいか、僕は夢を見た。昔の記憶を再生する夢だった。
♢♢♢
暗闇で奏が泣いていた。時々「助けて」と涙混じりに漏らす。僕はその様子を黙って見つめていた。
これが現実じゃないとすぐに気付いた。
何故なら、奏が小さな子供だったからだ。
彼は泥や足跡がついた体操服を着ていた。よく目を凝らして見てみると、顔も砂で汚れている。膝には血が滲んでいた。
「蓮、なんで俺はこんな目に遭わなくちゃいけないんだろうな。関係ないお前まで巻き込んで」
泣くのをやめた奏がこちらを見ながら言った。目が潤んでいる。今にも涙が溢れそうだ。
「か、奏」
たった今、僕の体も縮んでいたことに気付く。声は高く、澄んでいる。声変わり前の少年に戻っていた。
よく周りを見るとここはただの暗闇じゃなかった。僕はここを知っている。
昔の奏は目を擦りながら、叫ぶように言った。
「俺が暗くて、周りの人間と仲良くしないからだろ」
僕は彼の手を握っていた。
「君は何にも悪くない」
ここは暗くて埃臭い体育倉庫だった。僕らは硬いマットの上で手を握り合っていた。目の前にある鉄製の扉が開く気配は無い。
「蓮…ごめんな、お前を巻き込んでるのに、ここから出たいのに、足が動かないんだ。怖いよ……」
「落ち着いて。君から離れないから。一緒にいる」
彼の体を包むように抱きついた。震えが伝わってくる。奏の温かさも。
「どうして俺から離れないの。お前まで酷い目にあってるじゃないか」
「それは……」
思い出した。僕は体育倉庫で飲み込んだ言葉を、あの日にようやく言えたんだ。
─君が好きだから
小さな体を震わせながら泣く奏に向かって告げた。
その瞬間、体育倉庫が急に明るくなる。僕はこれが夢だと思い出す。
僕は目覚め、ここから出るんだ。小さな君を残して。
♢♢♢
目を開くとまだ車内は薄暗かった。
窓の外に広がる空は青白い。山の陰から橙色の光が漏れていた。
僕は起き上がり、自由になっていた左手を見つめた。
そして隣を見ると、そこには誰もいなかった。
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