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第7話 嗚咽

サッと血の気が引いた。 腹のあたりがキュッと締め付けられたような気がした。心臓の動きが激しくなる。 夢の中に置き去りにしたから、彼は消えてしまったのだろうか。僕は頭を振り、馬鹿げた考えをすぐに打ち消した。そんなこと、あり得ない。 隣にいたはずの奏はどこに行ったのだろう。 僕は体を起こし、ドアのロックを解除しようとした。しかし上手く力が入らない。手が震えていた。 もう一度ドアノブに触れると、ドアが勝手に開いた。金色の光が車内に差し込む。朝日が僕の目を刺す。 しかしその光はすぐに遮られた。 「かなで…」 彼が僕の目の前に立っていた。表情は見えない。背後の強い光のせいで奏の顔は暗くなってしまっていた。 「トイレまだ混んでないぞ……って蓮、どうしてそんな顔してるんだ」 奏はしゃがみ、僕と視線を合わせた。そしてそっと僕の頰に触れる。彼の指はひんやりしていて、火照った顔にちょうど良かった。 「君が居なくなったと思って……」 「俺は勝手に消えたりしねえよ。だから泣くな。…不安にさせて、ごめん」 彼の指が、僕の頰に伝った涙を拭った。 僕は子供みたいに何度も頷きながら、彼に抱きついた。涙で服が濡れてしまうのを厭わずに、彼は僕を受け止めてくれた。 冬の外気に冷やされた体に少しずつ熱が戻る。 山の向こうにあった太陽は顔を出し、僕らを覗いていた。朝陽は、朱色に染まった駐車場で抱き合う僕らを優しく照らしていた。 ♢♢♢ カーナビに従い高速道路から降りると、退屈な風景が広がっていた。 グレーの空に、どこまでも続いていそうな山並み。そしてのっぺりした田園。地味な色合いの三色ボーダーが窓の外で真っ直ぐ伸びている。 真冬の田圃は海のように平らだった。稲を刈った後も残っていない。 「なあ、蓮」 運転している奏が名前を呼ぶまで、僕は睡魔と戦っていた。ループしているように変わりばえしない景色にウンザリしていたのだ。 「どうしたの」 「見ろよ。外、雪が降ってる」 窓の外を見ると、細かい雪が羽毛みたいにフワフワと落ちていた。絶え間なく空から降っている。時々窓に雪粒が張り付き、溶ける。出来立ての水滴を眺めながら僕は呟いた。 「これじゃ、積もらなさそうだね」 「ああ……。あの日もこんな雪が降ってた」 僕は思わず奏の横顔を見つめた。視線に気付いた奏は顔をしかめるように笑った。 「そんな顔するなよ。話すことによって、楽になるケースもあるんだ。 …少しだけ、話してもいいか?聞きたくなきゃ、やめるよ」 僕は首を振った。奏が楽になれるならいくらでも聞くつもりだったからだ。 「…あの日、お前が帰った後すぐに病室に戻った。確か、俺は静かに眠ってる母さんの手を握りながら窓の外を見てた。 母さんの手、冷たくて柔らかかったな。……水風船みたいだった」 僕は自分の右手に触れた。自分の手は暖かくて、少し汗ばんでいる。筋肉があり、血が通った手のひらだった。水風船とは程遠い。 「一晩中ボウっとして、朝日の出ない曇った空を眺めてた。そして色が暗くなって雪がチラつき始めたんだ。今思えば、あれが母さんにとって最後の雪だと思ったんだろうな。 俺は母さんに呼びかけた。『雪降ってるよ』ってさ」 そして奏はゴクッと喉を鳴らして、続けた。 「俺の声に反応した母さんは目を開いて微笑んだんだ。そして一言呟いたあと、また瞼を閉じた。…その後二度と開かなかった。 母さん、最後に俺の目を見てこう言ったよ。 『樹さん、来てくれたのね』って……」 最後の方は涙まじりの声になっていた。 奏は肩を震わせ、鼻をすすっていた。顎まで涙を流しながらハンドルを握っている。 僕も彼と同じくらい泣いていた。溢れる涙を拭う暇も無いくらいに。 二人の嗚咽が混ざり合い、一つになり、車内で静かに響いた。 いつの間にか雪は止んでいた。

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