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第8話 牛丼

奏は道の端に車を停めた。 涙で前が見えなくなったのだろう、と僕は思った。 ハンドルに額を押し付けて、肩を震わせている。彼が落ち着きを取り戻すのを黙って待ち続けた。 「結局、親父は最後まで来なかった。母さんは最期まであの男を待った。きっと捨てられても愛するのをやめられなかったんだな……」 車がブルっと揺れた。外では強い風が吹き荒れていた。電柱の間で伸びる電線がユラユラ揺れている。 「俺には分からないんだ……。愛してくれていた人を平気で捨てられる親父が。『孤独になりたい』なんて勝手な理由で出て行ったんだよ」 「そうだったんだ……」 奏が父親の話をするのは珍しかった。ここまで詳しく聞いたのは今日が初めてだった。 知れば知るほど『復讐なんて良くない』と思えなくなる。 僕は奏の手を握って、話しかけた。 「運転代わる。少し休みなよ」 「ありがとう」 彼はそう言って手を握り返してきた。 ♢♢♢ 田畑と田畑の間を切るようにして作られた道路を走った。しばらくすると、ポツリと浮かぶように存在する街並みが見えた。それは田圃から唐突に現れたようだった。 街は長閑な田園風景を少しずつ侵食し、広がっていくと聞いたことがある。突然辺りに建物が増えるのも納得がいく。 「少し早いけど晩御飯食べよっか。お腹空いたよね。何か希望はある?」 「……牛丼」 僕も全く同じものを食べたいと思っていたから驚いた。さっき1キロ先に牛丼屋があると書かれた看板を見てから、ずっとそう思っていた。 何処でも食べられる全国チェーンの牛丼屋に行きたいと言い出しにくかった。せっかく海辺の観光地に来たのに、と正論を言われたらそれまでだったからだ。 「僕も食べたかった。…一緒に行くの久しぶりじゃない?」 「高校卒業後は一度も行ってないな。ああ、腹減った」 グゥ、と間の抜けた音が響く。顔を赤くする奏を見て、さっきの音はエンジンだと思い込んであげることにした。 先ほどの会話の内容が尾を引いているのか、僕らは談笑することもなく無言で食事をした。 温かいご飯に飴色の玉ねぎ、そして薄切りの牛肉。普段なら息をする暇も無いくらい急いで食べるのに、今日はゆっくり噛み締めた。 僕はこれから先のことを考えていた。 これから宿泊して夜を明かし、明日になれば目的地に着くだろう。その後、奏と父親は再会する。 彼の話によれば、父親は海の見える崖っぷちに家を建てたらしい。聞けば聞くほど、謎が深まる。 「トイレに行く」と奏に声をかけて、席を立った。そして個室に入った瞬間に携帯の電源を入れた。インターネットに接続する。 僕は震える指で彼の父親のフルネームを入力した。 ♢♢♢ 「トイレ、あっという間だったな」 「あー…手を洗いたかっただけなんだ」 奏はへえ、と声を漏らすと車に乗り込んだ。僕も彼に続く。 僕の運転する車は駅の方に向かった。 駅前といっても、閑散としており賑やかさとは程遠い。シャッターが降りた店ばかり並んでいる中、ビジネスホテルの明かりだけが煌々としていた。 「蓮、さっきから無口だな。調子でも悪いのか」 「そんなことないよ、平気。…無口なのはお互い様だよ」 僕はさっきのことを思い浮かべた。そのせいで口数が減っていたのかもしれない。 奏の父親についての情報はあった。それもかなり多く、数え切れないほどのウェブサイトに掲載されていた。 検索までしたものの、僕はそれらを見ることが出来なかった。奏に内緒で嗅ぎ回ることに抵抗を覚えたのだ。 車を駐車スペースに停め、エントランスに入った。外とは打って変わって暖かく、明るい。 隅々まで磨かれた床は、派手な蛍光灯の光を反射している。この時期に滅多にお目にかかれない瑞々しい華が、高級そうな花瓶に刺さっていた。それを倒さないように、避けるように歩く。そして僕らはカウンターに向かった。 「二人分の部屋は空いていますか」 僕が受付けの人と話している間、奏は少し離れた場所にいた。それを横目で確認しながら部屋を取る。 「…二人部屋ですと、ここしか空いておりませんがよろしいでしょうか」 相手が少し申し訳なさそうに言う。正直、僕はもう疲れ果てていたのでどんな部屋でもよかった。特に確認ぜずに返事をした。 「えっと、大丈夫ですよ。そこにします」 カードキーを受け取り、奏のいる方に向かう。 「奏、部屋取れたよ」 「おう、じゃあ行くか」

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