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第12話 浜辺

眠りから浮かび上がるように覚める。目を開いても、視界が暗いままだった。 ホテルの厚い、遮光カーテンが閉じたままだったからだ。 「起きたのか」 真隣から奏の声が聞こえた。寝返りを打ちながら、返事をする。 「おはよう。…その、体調は」 「平気だって、心配するな。…それよりも、汗を流さないか?」 「うん、そうしよう」 僕は温かいベッドから出る。室温とのギャップに身震いした。昨晩、空調を切ったままにしていたのを今更思い出した。 背後で何かが落ちるような音がした。ドサリと重いものが落ちるような。 振り向くと、ベッドの横で奏が転んでいた。慌てて駆け寄る。彼は困ったように笑っていた。 「…腰が砕けたみたいだ」 「やっぱり平気じゃなかった」 僕は肩を貸し、二人並んで浴室に向かった。元から服を着ていなかったのですぐに浴槽に入る。男二人で入るユニットバスは狭い。何度か膝を壁にぶつけたが、その度に笑い声を響かせた。 ♢♢♢ ホテルと隣接する喫茶店でコーヒーを飲んだ。モーニングタイムはとっくに終わっており、時刻は昼過ぎ。ランチタイムもそろそろ終わりそうだった。 僕らは寝過ごした。本来なら、今頃目的地についていた筈だったのに。 喫茶店に客は少なく、二人で窓際にある四人用の席を広々と使用していた。店内に充満するコーヒーの香りが鼻が馴染んだ頃に、僕は口を開いた。 「これからどうするの」 「親父の家に行く前に、寄りたい所を見つけた」 焦げたような味のするコーヒーをすすり、奏は言葉を続ける。 「道の途中で、海水浴場があるってロビーの掲示板に書いてあったんだ。…海を久しぶりに見たくなった。寄ってもいいか?」 「勿論。この辺、昔は観光地だったらしいし、海も綺麗なんじゃないかな」 今から海に向かうと、"目的地"に到着するのは夕方になるだろう。だいぶ当初の予定と違ったが、僕は構わなかった。これは綿密に計画を立てた旅行ではないのだから。 ♢♢♢ 車を走らせてしばらくすると、海が見えた。「海水浴場へようこそ」と書かれた錆びた看板を横目に通り過ぎると、駐車場がある。そこに僕の車以外停まっていなかった。こんな広い土地が一部シーズンを除いて殆ど使われていないなんて勿体ないと感じてしまう。 車から降りると、潮の匂いを含んだ湿った風が僕の頰を撫でた。いや、叩いたと表現する方が適切かもしれない。障害物が何もない真冬の海辺に吹き荒れる風は容赦なく僕らを身震いさせる。 奏はコートの裾をはためかせながら、浜辺の方へ歩き出した。僕も後を付ける。波打ちぎわに近づくにつれ、潮の匂いが強くなった。 傾いた太陽の光を受けた海は金色に輝いている。陸に打ち上げられた波は白く煌めく。 目の前に、足跡一つない、真っさらな浜辺が広がっていた。 砂を踏むたびに、シャクシャクと心地良い音が鳴る。雪を踏んだ時のことを思い浮かべた。 「海だな…。久しぶりだ」 「そうだね」 僕たちは平らなビーチにポツンと置かれた流木に座った。眩しい海を眺めていると、自分の存在が小さく感じる。人間なんて大自然を前にすると無力かもしれない。 「来てよかったね」と僕が言うと、彼は頷いた。 波の音が耳に染み付いた頃、奏が急に僕の手に触れた。氷のように冷え切っていた。 僕は彼の手を包むと、自分のコートのポケットに入れた。2人の手が入ったポケットは狭いが、温かい。 「急にどうしたの。寒い?」 彼は僕の質問に首を横に振った。そして小声で 「なあ、蓮は俺の親父について気になるか」と呟いた。 「君のお父さんについては…」 「俺らを置いて、出て行ったことくらいしか言ったことないよな」 「うん…。どうして」 「最後に教えたくなったんだ。あの頃について思い出しても平気だって、突然思えたから」 僕は奏の手を握る。まだ彼の手は温まらなかった。

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