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第13話 体温
「実は…君のお父さんについて調べようとしたけど途中でやめたんだ。君の口から聞くのを待つべきだと思ったから」
「そうだったのか…。蓮は正直だな。俺だったら調べたことを黙ってたよ」
「ごめん」
「謝るなよ」
俯く僕の頭を彼は優しく撫でた。
見上げると、奏の髪は揺れていた。浜辺を駆ける風のせいで。夕陽を浴びた金色の髪はいつもより輝きを増している。
「……実はな、俺の親父は画家なんだ。こんな景色をよく描いていた。俺の身長より大きなカンバスに。その様子を見るのが好きだったな」
奏は海を指差す。そこには傾いた太陽が空に浮かんでおり、金色の光を放っていた。
「上手かったの?」
「当たり前だろ。それで俺らを養ってたんだから」
奏は少し笑うと、またすぐに表情を戻した。
「…でもある日を境に突然描かなくなった。部屋に引きこもって、道具や絵の具を全部捨てた。だけど母さんは廃人みたいになった親父をずっと支えていたよ。…でも」
彼は目をギュッと閉じた。溢れそうな何かを抑えるように。
僕は彼の肩を抱き寄せた。電線に止まる鳥のように、僕らは流木の上で並んだ。
奏は目を開き、海を見つめる。眩しそうに目を細めた。そして口を開く。
「俺が小学生になる直前、親父が部屋から出てきた。元の生活に戻るんだと喜んだよ。でも違った。アイツは一言こう呟いたんだ。
『自分は孤独にならないと、いい絵が描けない』って。そして出て行った…」
「…そうだったんだ」
「母さんは最期まで待ったんだろうな。けど来なかった。母さんが息を引き取る瞬間も親父は丘の上の屋敷で絵を描き続けてたんだ」
僕は黙り込んでしまった。今の彼に同情や同意の言葉を投げかけるのは、少し違う気がしてしまったからだ。何を言っても嘘っぽくなりそうだ。
だから、もう無理に話すのはやめにした。
そこで僕は横から奏に抱きついた。
コートの厚さのせいで、昨晩ほどの密着感は得られなかったが充分だった。
奏と僕が一緒にいる。この事実を実感できればそれで良かった。
「…あったけえな」
「うん、あったかい」
会話と言えるほどのレベルに達してない応答を最後に、僕らは黙って海を見た。
僕がクシャミをしなかったら、ずっとここに居たかもしれない。そう思えるほど、意識が海に吸い込まれていた。心地良い夢から覚めたような、微かな喪失感を胸に抱く。
すると突然、彼は立ち上がった。流木が少し右に傾く。
彼を見上げるように、僕は尋ねた。
「行くの?」
「行く」
「…そっか」
車に乗り、父親の家に着くまでの間、僕らは一言も言葉を発しなかった。
たったの30分間が酷く長い時間に感じた。この沈黙が永久に続く妄想が、頭に浮かんでは消えていった。
日帰りで行ける距離を僕らは2日かけた。寄り道したり、泣いたり、笑ったり、セックスしたり。一言では説明できないような旅を、僕らはした。年の瀬の、世間が忙しない時期に。
ゆっくりと、氷を溶かすような速度で進んだ旅は、もう終わりを告げようとしていた。
小高い丘の上に白い家が見え始めた時から、僕の心臓はずっと煩かった。体を揺らす振動は車のエンジンなのか、心臓の鼓動なのかは分からない。
ブレーキを踏み、エンジンを止めた。車から出ると、辺りは朱色に染まっていた。沈みかけの夕日が、海から僕を覗いている。
向こうの家に住む奏の父親は一人でこの太陽を毎日見ているのだと思うと、何だか説明し難い感情が湧く。
「此処だよね?」
「そうだ…。ああ、着いたんだな」
奏がポケットに手を入れた。彼はずっと、ポッケに錆びてしまったモノを入れていたんだと思い出した。
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