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第2話

 大学の商学部を卒業し、二年半の会計士事務所勤務を経て、仁(に)科(しな)深青(みさお)は自分の事務所を開いた。それからまだ数ヶ月である。  ひよっこにもならないものが、早すぎる独立をしたのには、やむにやまれぬ家庭の事情があった。  深青が今まで勤務していた事務所は、東京の青山にあり、母の住む実家へは遠すぎたのだ。深青はそれまで、東横線沿線のアパートに、大学在学時から住んでいた。  母一人子一人の家庭で育ってきた深青だが、その母が階段から落ちて骨盤と足を痛め、介護が必要になってしまったのである。  昼間は介護ヘルパーに来てもらうからいいとしても、夜間まで毎日というわけにもいかない。青山の事務所では付き合いもあるし、毎日のように早く帰ることは不可能だった。  深青は幸い、母と二人で食べていけさえすれば、収入には頓着しないタイプだった。母子家庭ゆえか、二人とも贅沢をするような性格でもない。  なんとか近場でと転職活動もしたが、どうしても就業時間の都合が折り合わなかったのである。  深青は事務所を自宅の近くに構え、母の介護をすることに決めた。自宅周辺は古い住宅街で、とてもオフィスを構えられるようなところではなかった。  自宅近く、とはいえ、徒歩では少し骨が折れるため、深青は移動には自転車を利用している。アパートは自宅と事務所の中間くらいのところに借りた、ワンルームだ。  どうしても仕事が押しているときには、母の寝ている間に少しでも仕事をしようと、事務所に戻ることもあった。  深青が実家に住まなかったのは、母のたっての希望があってのことだった。  ――一度巣立った子供を、自分の介護で手元に戻したくない。  母はそう言って譲らなかったが、深青の部屋は以前のまま残されていた。母なりの強がりなのか、それとも本音なのか、深青には分からない。在学中に取った会計士の資格なりに、かかる経費の算出もして見せたし、言葉を尽くして説得もした。  それでも、母は頑ななほどに頷かなかった。何かあったらすぐ呼ぶから、と頑として同居を固辞したのである。

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