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第3話

 青山の事務所にいるときに担当した数件の取引先を、開所祝いとして融通してもらえた。他は税理士としての仕事や、個人事業主相手の経理、税務等の相談相手として使ってもらえれば、なんとか生活できるだろう。  青山の事務所を辞めずに、母を施設へ入所させることも考えた。介護費用をまかなうのは大変だろうが、不可能ではなかったと思う。ただ、肝心の母が首を横に振るばかりだったので、深青に取れた選択はこれしかなかったのだ。       ☆★☆★☆  開業間もない深青の事務所を訪れるものはまだ多くはない。今日も深青は六時過ぎに一旦事務所を閉めて実家に帰り、九時近くになって事務所へと戻ってきていた。  先日、印刷会社の営業を脱サラして始めた広告製作会社の社長が、所得税の申告漏れを指摘されて駆け込んできたのである。収入面はともかくも、支出管理がおそろかで経理担当者もおらず、領収書もほとんど残っていないため、経費の算出が困難だった。できるだけの収支をつけてはもらったが、あまりにもお粗末なその出来に、深青はため息をつくことしかできない。 「……書かれてる収入と支出の欄が反対って、もうどこから突っ込めばいいんだろ」  社長夫婦は五十代で、高校生の娘がいたはずだ。いっそ、その娘に小遣い帳のノリで収支をつけてもらった方が、まだまともだったのではないだろうか。元から自営業をしていたわけではないため、会社が天引きする税金の概念が、社長には全くなかったのである。確か二名いたデザイナーの給与の方も、推して知るべし、と深青はまたひとつため息をついた。  深青がパソコンに入力を続けていると、入り口のドアがノックされた。時刻は既に十時半を回っている。客が来るにしては時間が遅すぎるし、客以外の訪問者の予定はない。

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