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第八話『 優しいサディスト 』 下

      「――でも、本当に変わってるね。そばにいられるなら恋人じゃなくてもいい、なんて。好きな人なら独占したいっていう人の方が多いだろうに」  ベッドの淵に腰かけ、煙草をふかしている洋介(ようすけ)はそう言った。  そんな洋介の言葉を受け、真智(まち)と一緒にベッドで身を横たえて体を休めていた美鶴(みつる)が言葉を返す。 「うん……でも、もんちゃんがそう言ってくれた時は、嘘をついているようにはやっぱ見えなくて……我慢してるようにも見えなかったんだよね。――でも、俺の目がそうさせてるだけなのかな。都合よく解釈しようとしてる、みたいな」 「ん~、それがどうかはもうちょっとあの人と話してみないとなんとも言えねぇけどさ、とりあえず本人がそう言ってるんだから、美鶴は深く気にしなくていいんじゃないか?」  美鶴の言葉に対し、今度は美鶴に寄り添うようにしていた真智がそう言った。そして、上半身だけを起こすようにうつぶせていた美鶴の真っ白な髪を弄びつつ、更に続ける。 「もしあの人の言った事が嘘だとすれば、いずれ“やっぱり恋人になってくれ”って求めてくるだろうしな。だから、嘘だったらどうするかっていうのはそうなっちまった時に考えれば大丈夫だよ。困った時は俺らもいるし、今はただ、友達として今まで通りやってればいいって。――あの人も、それを望んでるって言ってたんだろ?」 「うん、このままでいいって言ってくれた」 「じゃ、今はそれでいんだよ」 「……そっか、そうだよね」 「ん」  美鶴の言葉に短い返答をした真智は、美鶴の頭をやんわり撫でて微笑む。  そして美鶴もまた、安心したように微笑んだ。 「二人ともありがと。別に一人でも大丈夫だったのに」 「いんだよ、どうせコンビニ行きたかったし。こっちの方が俺らも安心なの」  その日、すっかり夜らしい時間になった頃、美鶴は真智と洋介に送り届けられながら、寮棟の入口まで帰ってきた。  そんな二人に礼を述べながらもそう言った美鶴に、真智と洋介も言葉を返す。 「そうだね。それに、美鶴も最近結構有名になってきたから、変な連中に遭わない為にも、ね。――美鶴になんかあったらクロノさんが黙ってないよ」 「あはは、そうかも」  洋介の言った“クロノさん”とは、幼少期から美鶴の世話係を任されている天羽(あもう)家の一員――というより、美鶴の祖父をトップとした極道組織〈虎翔会(こしょうかい)・天羽組〉の一員だ。  別段、彼についてはどちらで称しても構わないが、美鶴にとってかけがえのない家族である事に変わりはない存在だ。そしてそんなクロノもまた、美鶴の事を見守ってきた人々の中の一人であった。  現在は美鶴が学生寮に入っている為に、クロノは元々の組の構成員としての仕事に従事し、美鶴がモデルの仕事がある時など、送迎が必要な時のみ馳せ参じるという様な形となっている。 「それじゃ、見送りしてくれてありがと。二人も気を付けて帰ってね」 「おう、じゃ、またな」 「うんっ、おやすみ~」 「おやすみ」  そうして二人と別れの挨拶を交わした後、ゆっくりと帰路を辿ってゆくその後ろ姿を見送り、美鶴もまた寮室へと戻っていったのだった。 「ただいま~」 「おう、おかえり美鶴」  美鶴が寮室に戻ると、勉強机ではなく、普段食卓代わりに使っている背丈の低いテーブルに参考書を広げていたらしい瑞季(みずき)が、挨拶と共に美鶴を出迎えた。 「もんちゃん、ご飯食べた?」 「いや、まだ」 「えぇ!? こんな時間なのにお腹すかなかったの!?」 「え? あ~、なんか集中してたら忘れてたっつぅか」 「うわ~流石運動部。集中なんてお手の物だね~」 「はは、ま、まぁな」  すっかり感心した様子の美鶴に対し、瑞季はぎこちなくそう答えた。 (言えねぇ……邪な妄想を打ち消す為に無理やり勉強に集中してたとか言えねぇ……)  だが美鶴は、その瑞季の反応に対し、特に何も疑問に思わなかったらしい。そのおかげで瑞季は、“なぜその日そこまで集中して勉強に取り組んでいたか”についての本当の理由を悟られずに済んだのだった。 「ん~、それにしてもやっぱり夏場は髪伸ばしてるとあっついねぇ~」  美鶴はそう言いながらすっかり肩に触れるほどに伸びた髪を後ろに纏め、結いあげた。 「あ、そうだ。もんちゃん、今日、冷やし中華とかどう?」 「おっ、いい……な……」 「ん? どしたの? 冷やし中華やだ?」 「へ!? あ、いやいや、大歓迎大歓迎」 「おっけ~、じゃあぱぱっと作っちゃお~」  瑞季は、そう言って軽やかに立ち上がった美鶴から目を離せずにいた。  瑞季は先ほど、髪を結いあげている美鶴のある部分を見た際、お手本のような二度見をしていたのだった。 (あれは……あれはもしかして……)  瑞季がそんな二度見をしたのは、美鶴のある部分についていたあるものに気付いたからだった。  そのあるものとは、美鶴の首筋――ややうなじよりの部分にあった赤い点だ。それはまるで虫刺されの痕のようなものだった。  瑞季が覚えている限りでは、昨晩同じように髪を結いあげていた美鶴にそんなものはなかった。  また、もしそれが虫刺されだとすれば、美鶴は髪を結いあげた後にその部分を掻く動作をしただろう。美鶴はそういったものがあった場合、酷く痒みを帯びてしまうのだと言っていた。  だが先ほどの美鶴は髪を結いあげた直後も、まるでその赤い点の存在に気づいていないかのようにしていた。  そして、そこで瑞季は思ったのだった。  あの美鶴が掻くそぶりを一切見せなかった。  ということは恐らく、あれは虫刺されなどではなく―― (キスマーク!!)  その日の瑞季は日中、存分にネットの海を航海し今に至っている。その為か、どうやらその成果の一つがたった今活かされたようだった。 「あ、わり、俺も手伝う」  瑞季はそれから少し美鶴を眺めていたのだが、美鶴が冷蔵庫を開いたのと同時にはっとなり立ち上がった。 「え? いいのに、いっぱい勉強して疲れてるんじゃない?」 「え、いや全然。――つか、美鶴こそ疲れたんじゃないか?」 「ううん、大丈夫だよ! 料理はしてても疲れないしね~」  美鶴は冷蔵庫から材料を取り出しながら瑞季に笑顔を向けた。瑞季はそんな美鶴の笑顔に可愛いな、などと心の中で思いつつ、美鶴の指示に従って料理の手伝いを始めたのだが、そんな中瑞季は、 (そういえば、男同士って結構腰にも負担かかるって書いてあったけど、美鶴、休まずに料理なんかして大丈夫なのか……? やっぱり今日くらい休んだ方がいいんじゃ……)  と思い、美鶴に声をかけた。 「美鶴」 「ん~?」 「あのさ、やっぱ今日は休んでた方がいいんじゃないか? 腰とか、辛かったりするんじゃないか?」 「……え? 腰?」 「………………」 (俺、馬鹿なのか……何ストレートに訊いてんだよ……“疲れてねぇか?” でいいだろ!  なんで腰とか言ってんだよ!)  瑞季は脳内で直前の自分を叱責しつつ、取り繕おうと言葉を続けた。 「いや、その……なんだ……あ~……運動した後なら休んだ方がいいんじゃねぇかなって思ってさ!」 「……運動?」 (ばーか! 俺のばーか! そうだよな、友達の家行って運動はしねぇよな……それに家行って腰にクる運動って、逆に言ったらもうソレしかねぇじゃんか……)  瑞季が苦悶しながら脳内で騒がしく第二の反省会を繰り広げていると、隣で中華麺のパッケージを手にしていた美鶴がおずおずとした様子で問うてきた。 「もんちゃん……その、もしかして、気付いてたの?」 「へえ!?」  瑞季は自分でも情けないと思うほどの素っ頓狂な声で美鶴に応答した。 (……もうだめだ)  瑞季がそう悟ると、その様子に気付いていないらしい美鶴がまた遠慮がちに言葉を続けた。 「だって俺、友達の家に行ってくるって言っただけだったはずなのに、腰疲れてるとか運動の後とか言うから……もんちゃん、どうしてそう思ったの? 俺、腰っていうか、身体疲れてそうだった?」 「あ、いや……」 (実は昼間ずっと妄想してたから、キスマーク見て勘付いちまったとか……言えねぇ……)  瑞季はなんとかして前者の事実を隠そうと、咄嗟に半分だけ事実を述べる事にした。 「いや、あの、そのさ……ソレ、そうなのかなって」 「え?」 「首んトコ……赤くなってっから」  美鶴はそんな瑞季の言葉を受け、驚いたように目を見開き、咄嗟に首元に手をやった。 「えっ、うそ! 痕、ついてる? わ、わぁ……、全然気付かなかった……」  美鶴はそれだけ言うと、瑞季から顔を反らすようにしてコンロの方を向き、少し照れたように顔を伏せ、首元をさすった。瑞季はそこで少し胸が高鳴るのを感じた。  これまで、美鶴が照れくさそうにするという様子を見た事はあったが、こんな風に恥ずかしそうに照れる様子は見た事がなかったのだ。 「あの……」 「え、えっ?」  そして、美鶴のそんな様子に思わず見入っていた瑞季は、声を掛けられて我に帰る。 「えっと、そんなにじっと見られると恥ずかしい、からさ……」 「あぁ! あ~、わ、悪い! ついっていうかなんていうか……」 「あはは、うん。そんな感じ、だったね」  それから妙な空気の中、美鶴から貰い照れしてしまった瑞季は、久々に顔や耳が熱いという感覚に見舞われた。そして、その感覚に耐えられなかった瑞季は、この場の空気を変えようと咄嗟に口を開いた。 「あ、あのさ、え~とその~……そ、そういうのってどうやってつけんの?」 「……え?」 「………………」  瑞季は自ら地雷原を全力疾走してゆくような己の言動に、心の中で涙した。まさかこの期に及んで自分の無知さを披露するだけでなく、なんとか切り替えようとした話題を更に掘り下げるような質問をしてしまった。  だがそんな瑞季の失敗すらも受け止めた美鶴は、真摯に質問への回答をし始めた。 「う~んと、痕がつきやすいとこなら簡単につけられると思うんだけど……つける時は痕をつけたいトコを強めに吸う感じかなぁ。――強めにって言っても、痕つけられる側がちくっとするくらいの強さなんだけど」 「な、なるほど」 「あ、でももんちゃん。こういうのって、あんまり目立つトコにつけると相手に怒られちゃったりするから、実践する時は気を付けてね」 「お、おう。わかった」  こんな質問をしても馬鹿にせずに真面目に答えてくれる美鶴の優しさに感謝しつつ、瑞季は気になる事をもうひとつだけ聞くことにした。 「あ、あのさ。それってもしかして、八雲(やくも)さんがつけたのか?」 「え? あ、う~ん、どうだろう? 洋ちゃんの可能性もあるから、訊いてみないとどっちかはわかんないや」 「“ようちゃん”?」 「あ、そっか! まだ洋ちゃんの事は話してなかったね」  美鶴ははっとしたようにしてそう言うと、“洋ちゃん”の説明をし始める。 「んとね、洋ちゃんは、真智と同じような感じの幼馴染なんだけど、中学の間の三年間は外国に行っててね。それで、今年帰ってきてからは、真智と同じ学校に行ってるの。すっごい背が高くて筋肉バッキバキで凄いんだよ」  そうしてきらきらと目を輝かせている美鶴の言葉を受け、瑞季はその人物を想像しながら言葉を返した。 「確かに凄そうだな……今聞いたのだけでもすげぇのが伝わってくる……――ん、待てよ。ってことは、今日って三人だったのか?」 「うん! ……あ」 「………………」  二人の間から一度失せたはずのあの妙な空気は、濃密さを増して再び舞い戻ってきたようだ。 「……えと……そう、だね」  しまった、という顔をした美鶴は再び視線を反らし、手元にあった麺をゆるゆると解しながら沸騰した湯に入れていゆく。 「うん……」  そして今一度だけ短くそう言った美鶴は、今度は己の髪で顔を隠すようにして顔を伏せた。 「………………」 「………………」 「………………も、もんちゃん」 「えっ」 「見過ぎだってば……」 「あ˝……わり……」  まだ童貞と二人三脚している瑞季にとって、三人制――いわゆる“3P”というプレイは非常にアブノーマルなものであった。だから瑞季は、その日の航海でちらりとやり方を知り得たものの、自分はきっとそう簡単には触れない世界なのだろうという気持ちで航海を終えたのだった。  だがそんな大航海の直後、早速そのアブノーマルなプレイが身近にあったという事を知り、瑞季の思考はついに停止し、その実践者を凝視してしまったというわけであった。  その日、そのなんとも言えぬ空気に降り立った沈黙の中、二人はぐつぐつという音でその間をとりもってくれるかのような湯の男前な優しさに感謝した。  そうしてその後、無事に調理は完遂されたのである。  そして、瑞季少年はその日もまた、知識だけではあるが、数段を飛び越え、大人の階段を上ったのであった。  

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