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冬
冬。
呼吸をすると白い息がでた。寒さがきつくなってきた時期の濁りのない澄んだ空気と張り詰めた気配、それを消すような白い息。それらが好きだ。
校舎をでて息が白くなることに気づいてから、わざとらしく呼吸をしながら歩く。
大学受験シーズンに入り、3年生は自由登校になっている。生徒の約3分の1が学校に来ていないとなるとさすがに人が少ないな、と感じることも多く少し寂しい。教室の窓から見える木々も、いつもの場所の大きな木たちも葉をすべて落とした丸裸の姿は寒々しい。
秋でも少し肌寒かったいつもの場所は冬になるとなかなか厳しいものがあった。防寒対策をしっかりした上に途中の自動販売機でホットの飲み物を買っていく。秋まではときどき現れていた不良たちもさすがにもう姿を見せなくなっていた。
自動販売機でホットレモンのペットボトルを買う。ここでコーヒーを買えればかっこいいのだろうが、残念ながら飲めないので買わない。ちなみに先輩はいつもブラックコーヒーだ。
「笹野」
ペットボトルを頬にくっつけながら歩き出したところで後ろから声が掛かり振り返る。
「先輩お疲れ様です」
黒いコートだけを着てポケットに手を突っ込んでいる。鼻が少しだけ赤い。無防備な首元に背伸びをして手をくっつける。
「あれ、思ったより無反応」
冷たい、と驚きの声でも上がればいいという悪戯心が働いて必死に背伸びをしたのに、思いのほか冷静で少しがっかりする。
「おまえ、それ持ってたから思ってるほど冷たくないぞ」
先輩の首元にくっつけたのとは反対の左手に持っているホットレモンを指差される。
「なるほど。今度は買う前にしますね」
「そうそう、こんな感じにな」
こんな感じ?と聞き返しながら首を傾げると、先輩がポケットから手を抜きそのまま両手で俺の方を挟む。
「つめひゃ」
頬から伝わった冷たさが一気に身体中をめぐる。思わず身震いをし、それと同時にペットボトルを地面に落した。
「悪い、そんなにいい反応だと思わなかった」
「バカにしてますか」
俺の頬から手を離した先輩がすぐにペットボトルを拾って返してくれる。
ペットボトルを受け取りながらこっそり手の甲で右の頬を触る。少しだけど先輩のぬくもりを感じてドキドキする。
「落としたし新しいやつ買うか」
再びポケットに手を入れたかと思えば手のひらを広げて小銭を確認し始める。
「中身がこぼれたわけじゃないので大丈夫ですよ」
慌てて断ると無理に勧めるわけでもなく、そっか、とだけいい小銭を自動販売機に入れた。そしてめずらしくホットレモンのボタンを押す。
「はい」
今買ったばかりのホットレモンを俺の右手に握らせ、左手に持っていた俺のホットレモンを取っていく。
「せっかくここで会ったしこのまま帰るか」
「ちょ、ちょっと待ってください」
何もなかったかのように歩き出そうとする先輩の鞄を掴んで引き止める。
「なんだ」
「あの、ジュースそのままでいいですよ」
歩くのを止めた先輩の胸元に、新しく先輩からもらったまだかなりあたたかいペットボトルを押しつける。
「俺の気がすまねえからせめてあったかい方持っててくれ」
俺の手からペットボトルを受け取らずにそのままもう1度前へ向き直って歩き出す。こうなったらもう絶対に受け取らないだろうから、とりあえず素直に新しい方をもらって先輩について歩く。
「ありがとうございます」
「いや」
返事が短いときは照れている時だということに、春からの付き合いで俺はもう十分知っている。
「何笑ってんだ」
「え、笑ってましたか。すみません」
慌てて口元を押さえる。確かに手に当たる口元が震えている。
「1人で笑ってる奴ほどこえーもんねえから気をつけろよ」
「先輩がいるからですよ」
咄嗟に出た言葉に俺自身も先輩も驚く。どうした、と言いたげな目が横から俺を見る。
「いや、1人じゃなくて、先輩もいるじゃないですか。先輩といると楽しくてつい」
何を急に言い出したのだろうか。どうしようと慌てていると先輩の口元から白い息がでたのが見えた。だけどすぐに言葉は出てこない。
先輩も何か考えていて息を吐いたのかな。
息を吐くと自分の口元からも白い息がでる。そのあと息を吸うと冷たい空気が入ってきてすっとした。
「先輩のせいにしているわけじゃないですよ。むしろ先輩のおかげです」
はっきりと言うと急に照れくさくなってきて、ごまかすようにペットボトルを手の中で転がした。
先輩は隣で歩きながらまだ黙っている。何を考えているんだろうか。先輩のことは怖くないはずなのに、先輩といる時間は楽しいのに、何も言われない今の沈黙は少し怖くて緊張する。
「……ありがと」
沈黙の後先輩の口から出てきた言葉は最もシンプルで嬉しい言葉だった。
隣を見ると、俺の方をまったく見ない先輩の耳が少し赤い。その赤さは寒さだけのものなのか。
寒さと寂しさの中いつも以上に先輩の温かさが身に染みる。
冬。春はまだもう少しだけ先。
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