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二度目の春
二度目の春。
まだ無駄な皺のない制服を着ている学生が不安そうにあたりを見渡しながら歩いているのを見かけるようになった。自分の制服に目をやるとひっかけてほつれた跡やよくわからない汚れが見つかる。
1つ上の階になった教室の窓から見える桜は去年よりも少しだけ遠い。今年も桜の開花はあまりはやくなかったが、入学式が終わると役目を終えたと言わんばかりに散り始めた。
今日をラストチャンスにしよう。
いつもの場所へ向かいながらそう心に決める。1年前は迷ってたどり着いた場所へももう迷わずに行ける。
すでにだいぶ緑になってきている大きな桜の木の下で手を高く上げた。今年こそ、今日こそは花びらをこの手に掴めないかと期待を込めて。
「……そんな簡単じゃないか」
しばらくの間手をあげたまま立っていたがうまく掴むことができなかった。腕が疲れてきて手を下ろし、木を背もたれにして座った。目を閉じると風の音がよく聞こえる。
今目を開けたら綺麗だろうな。
まぶたの裏に桜の花びらが空を舞う様子が浮かんできて目を開けた。そこには想っていた通りの景色が広がる。
「うわー」
もう残っている花びらは少ないのに、それを全部奪い去ってしまったようだ。まだこんなに綺麗な景色を作ることができたのかと感心する。
「口空いてるぞ」
空に桜の花びらが消え去ってしまうと頭上から声をかけられた。聞き慣れたゆっくりと顔を上に向けた。
「ほんとですか」
「花びら食ってんのかと思った」
よいしょ、と言いながら先輩が横へ座る。肩が当たったのに驚いて少しだけ横へ移動する。
「まだ花びら取ろうとしてたのか」
「ああ、そういえばそうでした。思わず見とれてて忘れてました」
去年とまったく同じ状況に自分の成長してなさを感じて恥ずかしさをごまかすように笑った。それを見て呆れたようにだけど笑った先輩の表情は、初めて会った日に見た笑顔と同じでとても暖かかった。
「俺のやろうか、つっても意味ないんだろ」
先輩が大きな手を俺の方へ差し出してきたかと思うと手を開きその中の花びらを見せた。驚いて先輩の手の中の花びらと先輩の顔を交互に見る。
「これは俺のだから俺が願い事していいんだっけ」
「それ、恥ずかしいのでやめてください」
初対面の先輩に向かってえらそうに語ってしまった1年前を思い出すと頭を抱えたくなる。金髪で目つきも悪い先輩によくあんなことが言えたものだと今になって思う。確かに怖い感じはしなかったし、その印象に間違いはなかったけど。
恥ずかしいと言いつつも、俺だけでなく初めて会った日のことを先輩が覚えていてくれているのは少し嬉しくもある。
「ちなみに去年の願いは叶いましたか」
「んー、まあ」
なんとなく曖昧な返事はもしかして俺に気を遣ってくれているんだろうか。
「今年も叶うといいですね」
「そうだな」
今度ははっきりと言ってくれたのでなんとなく安心して、俺も大きく頷いた。
「よし」
勢いをつけて立ち上がる。まだ座ったままの先輩のことを上から眺めてみる。普段は見上げなければいけないくらいの先輩を上から見るのは新鮮だ。
「あれ、先輩髪暗くなりましたか」
改めて先輩のことを見ると光の加減だけではない色の変化を感じる。初めて会った時透き通るような金だった髪も1年の間に少しずつ色を変えていた。しかし今日改めて初めて出会った場所で見てみると大きく変わっている気がする。
「あー、3年だから一応な」
「あ」
そうだったと気づかされる。もう先輩とここでこうやって過ごせるのもあと1年だと。
思わず先輩の制服に目を向けると、それなりの綻びや汚れがあるのがわある。新入生と自分の制服に差を感じるように、先輩と俺の制服にも差を感じる。
「そろそろ帰るか」
少ししんみりとした空気になったのを感じとったのか先輩も立ち上がって、いつものように少し上の方から俺を見て声をかける。
「はい」
素直に頷いて地面に置いていたかばんを手にとって先輩の横に並んで歩く。
歩き出してしばらくするとまた少し強めの風が吹いた。
これが本当に最後。
腕を上から下に大きく動かしながら手を閉じた。握りしめたこぶしの中に花びらが入ったかどうかはわからない。横から先輩も足を止め、期待を込めた目で閉じたままの俺の手を見る。
「俺、先輩とずっと一緒にいたいです」
手のひらを強く握りしめたまま前だけを見つめて、先輩にだけ聞こえるような小さな声で呟いた。
「……きっと叶うよ」
同じように俺にだけ届くような小さな声で先輩は呟いた。
「ありがとうございます」
先輩の方を見ないままお礼を言う。それを合図にして再び歩き始めた。
先輩と別れてから、こっそり手のひらを開いた。
最後の力で空をピンクに染めながら桜の季節が終わる。
二度目の春。いつもの日々がいつまでも続くものではないと知ってしまった。
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