3 / 8

第3話 茎田くんの悩み①

 そのときは、とんでもないことになった、と思った。  友人の花森の家に泊まり込みで遊びに行ったら、寝る前にあれやこれやと言いくるめられ、気付いたらなんと身体をゆるしてしまっていたのだ。  友達なのに、男同士なのに。    朝になって、遊びで抱かれたのだと思ってつい泣いてしまったけれど、どうやらそれは勘違いで、花森はちゃんと茎田のことが好きだったらしい。  茎田も前々から花森に憧れており、どうやらその気持ちは『好き』という気持ちとなんら変わりない類のものだと気付いた。(何せ、遊び相手にされたのが泣くほど悔しかったのだ)  そんなわけで、そのまま付き合うことになった。  花森は優しかった。  付き合う前も優しかったけれど――ケンカ友達のようなノリもあったが――自分のくだらない話を花森だけはちゃんと聞いてくれていたり、授業で分からないところがあったら馬鹿にしながらも嫌がらずに教えてくれたり、そういうさりげない優しさが今までもあった。  けれど、付き合ってからは違った。  優しいことには変わりないのだけれど、関係の名前が『友人』から『恋人』に変わった途端、昨日までの花森はいったいどこに行ってしまったのかと不思議に思うくらい、花森は茎田に対して甘すぎる人間に豹変した。  やや粗暴な口調は今までと変わらないけれど、なんというか――まず、視線が甘ったるい。声に出さずとも見つめられるだけで、『大好きだ』と言われているようで、茎田は花森となかなかマトモに目を合わせられなくなった。  ほかにも、誰も見ていないのを見計らって教室で堂々とキスをしてきたり、友人達と昼食を食べているときに机の下でこっそりと手を繋いできたり。  そのたびに茎田は死ぬほどドキドキして、心臓が壊れそうになるのだった。   しかし、茎田にはどうしても分からないことがひとつあった。 (……花森は、いったい俺のどこが好きなんだ?)  茎田は自分で云うのも悲しいのだが、花森のように特に目立って顔がいいわけではなく、頭がいいわけでもなく、とびきり性格がいいわけでもない。至って普通の、どこにでもいそうな平凡な男子高校生なのだ。  いや、どこにでもいるどころか平均よりも総合スペックは普通以下とすら思っている。認めたくはないが、客観的な事実として。  花森に優しくされたり、振り回されることに今まで経験したことのない幸せを感じつつも、何故好きになってもらえたのか全く分からない違和感が自分の中で同居しており、現在はひどく悩んでいるのだった。 * 「……なあ、草野(くさの)ぉ……」 「なに? 茎田」  休み時間、茎田は自分の後ろの席に座っている草野に声を掛けた。草野は本を読もうと思っていたらしく、文庫本を広げようとしていたところだった。 「あ、今いいか?」 「いいけど。どうしたの? なんか元気ないじゃん」  草野は開きかけていた文庫本を閉じて、茎田の話を聞くべく体勢を整えてくれた。その表情はさらりとした長い前髪に隠れてよく分からないのだが、とりわけ不快ではないようだ。   「分かるか?」 「そりゃあね。君ほどテンションの落差が傍目でわかりやすい奴なんてそうそういないし」 「褒めてくれてんの? ありがとう」 「別に褒めてないけど……で、どうしたの?」  草野もいつも一緒に弁当を食べているメンツの一人だ。彼は花森と同じ中学出身というよしみで、一年の頃からよく一緒に行動しており、花森と一番仲が良いと周りから思われている。  ――今は、茎田が花森の一番だが。   別に妬いているわけではない。だからこそ、茎田は草野に相談しようと思ったのだ。 「あのさ……花森のことなんだけど」  ちらりと花森の席を見ると、トイレにでも行っているのか不在だった。 「うん? 花森なら茎田のほうが仲いいんじゃないの?」 「そうかもしんねえけど、それは別にいいんだよ! ……あのさ、去年花森が付き合ってた女子って誰か分かる? つーか中学のときも誰かと付き合ったりしてた?」 「え……?」  草野が口ごもってしまった。きっと本人に直接聞けよ、とでも思われているのだろう。  しかし、それが出来ないからこそ親友である草野に聞いているのだ。そこは言わずともどうか汲んでほしい、と茎田は思った。 「……こ、こんなこと聞いてどうすんだって思ってんのかもしれねーけど……本人に聞くのはちょっと無理で、」 「あ、いやいや。茎田が花森に聞けないからぼくに聞いてるってのは勿論分かるよ。ただ、元カノが誰だったかなーって思い出してるとこ……あまりにも印象にないから」 「へ?」 「そういえば去年、誰かと付き合ってたな……でも、すぐ別れてたような……」  草野はブツブツひとりごとを言いながら懸命に思い出してくれているようだ。  しかし、仮にも親友――と、思っていたのだけど――のカノジョなのにそこまで印象にないなんて、いったいどういうことだろう。  そんな茎田の怪訝な視線に気付いたのか、草野が言った。 「あ、ぼくと花森ってよく一緒にいるけど、お互い親友とか思ってないから。ただ一緒にいて楽なだけ。だからぶっちゃけぼく、あいつのことにはそんなに詳しくないよ。家にも行ったことないし……」 「え……そうなのか!? つーかよく俺の考えてることが分かったな!?」 「分かるよ、顔に書いてあるもん」 「ええええ!?」  茎田はばっと自分の顔を両手で覆った。 「まあ、気持ちを悟られたくないならずっとそうしていることだね」 「……」  クールに言い捨てられ、茎田は顔を隠すのをやめた。不便で生活しにくい。 「あ、思い出した。たしか、桜井って女子だったような気がする……」 「桜井? 何組の桜井さん?」 「さあ、そこまでは」 「……」  まあ、そこまで分かればいいか。  茎田は草野に礼を言って席を立った。トイレに行こうと思い掛け時計を確認したら、休み時間はあと残り3分しかなかったので走って行った。 「……昔の恋人が気になるなんて、茎田って意外と繊細なんだなあ」  草野はそうぽつりとつぶやくと、読みかけの文庫本を開いた。

ともだちにシェアしよう!