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第6話 草野くんの秘密
教室の片隅で、今日も草野 は読書に勤しんでいた。
休み時間毎に本を読むのは単なる暇潰しで、自分では特別読書好きではないと思っているが、何やらいつも小難しそうな本を読んでいるということで――いわゆる純文学だが、このジャンルを選ぶ理由は『あ、その本俺も読んだよ!』などと気軽に話しかけられないようにするためである――クラスでは文学少年キャラに位置付けられている。
平均よりも小柄なので、体格で存在を主張していることもなく、必要以上に前髪が長いために表情もあまり読み取れない。
クラスのナンバーワンイケメンである花森の(何故か)親友ポジションにいるため、スクールカースト的には高めに位置しているが、前の席の茎田以外、彼に積極的に話しかけてくる人間はあまりいない。
そんな謎めいた存在の草野には、誰も知らないある秘密があった。
*
「じゃあな~草野!」
「あ、うん……ばいばい」
前の席のよしみなのか、もしくは何も考えていないのか――多分後者だと思われる――朝と帰りは必ず挨拶をしてくる茎田に適当に返事を返した。
その後ろには当然のように花森がいて、彼も『じゃあな』とアイコンタクトを送ってきたので一応同じように返した。しかしアイコンタクトといえど、肝心の目を前髪から出していないので、花森に伝わったかどうかは定かではない。
しかしそれもどうでもよいことだ。
茎田と花森がいつの間にか付き合っていることにも気付いていたが、それも含めて。
通学時間は徒歩と電車を合わせておよそ30分だ。両親は共働きなので、帰宅時間には誰もいない。大学生である姉もアルバイトをしているのでいつも帰りは遅い。
「さて、と……」
制服を脱ぎ部屋着に着替えるや否や、草野は隣の姉の部屋へ堂々と侵入した。
「ふっふっふ……今日はどの服にしようかな~」
大きな一人言である。
そして勝手知ったる手つきで姉のクローゼットを開け、服を物色し始めた。
「うわ、姉貴のやつまた服買ってるし……しかも似合わなそうなやつばっか。よし、ここはぼくが供養として着てしんぜよう」
繰り返すが、一人言である。
草野は姉のクローゼットから服を選び終えると、それを手にして自分の部屋に戻り、数種類のウィッグから今日のコーデに合うものをセレクトした。
薄ピンク色の大変可愛らしいワンピースを選んだので、それに合わせて茶髪で丸めのボブカットのものにした。手早く手慣れた手つきで地毛をまとめてウィッグを被り、厚化粧にならない程度のナチュラルメイクを施す。
「よーし、完璧!」
姉に貰って以来愛用している丸い手鏡の中には、教室にいるときの謎めいた文学少年の面影は一切なく、ただの可愛らしい雰囲気の美少女がそこにいた。
そう、草野の秘密とは、姉の服を勝手に借りたハイレベルな女装であった。
*
きっかけは高校に入学したばかりの頃、オシャレが趣味というか生きがいで、服を買うのが大好きな姉が『あんたが妹だったらいらない服とかあげるのになあ~』とポツリと放った一言だった。
前から女装に興味があったわけではない。ただ草野は、自分が男にしては結構可愛いらしい顔をしているなという自負があったし――姉よりも自分の方が可愛いと思っていた――高校生になっても急に身長が伸びたり、ゴツくなったりしたわけでもないので、女物の服も案外似合うんじゃないか? と何となく思ったのだ。
そして実際に着てみたら、思った通り似合った。超似合った。手先もわりと器用だったため、洗面所に置いてある母のメイク道具をこっそりと拝借して見よう見まねで化粧をしてみたら、もうめちゃくちゃ可愛くなった。元から可愛いけども。
そして、家族がいないときにこっそりと女装を楽しむのが彼の真の趣味となったのである。(仮の趣味は読書である)
しかし、最近は部屋の中で楽しむだけでは飽きたらず、女装したまま出掛けるようになっていた。普段の姿とは全く違うし、そもそも普段から素顔を露出していないので知り合いに会ったところでバレる心配はまっったくない。(それもどうかと思うが)
女装したまま街を歩くのはとても気分がいい。
変身願望が満たされるし――そんなものがあったのかどうかは知らないが、多分あったのだろう――道行く男とすれ違うたびに皆『今の子、めちゃくちゃ可愛いな!?』的な目線を向けてきてたいへん愉快だ。
実際、声を掛けられることは少なくない。勿論男には一切興味ないので誘いに乗ったことは一度もないが、そのうち乗ってしまいそうな自分が少し怖い。
(だってぼくはこんなに可愛いんだから、ちょっとは奢られたりしてもいいんじゃない? って思うんだよねえ……もちろん、男と付き合う気はないけど)
世の中には多数の男を顎で使っているような女もいるのだし――と思うのだけれど、やはりリスクの方が高いので今のところは理性が勝っているのだった。
そう思っていた矢先、前から歩いてきたチャラい大学生風の男に声を掛けられた。
「ねえ君、めっちゃくちゃ可愛いね! ちょっとお茶でも飲みながら話さない?」
まるで定型文のようなナンパの常套句だ。草野は男を騙して奢らせてやりたい気はマンマンなのだが、実践しようとするとやはりなんとなく腰が引けてしまうので丁寧に断った。
「すいません、ちょっと人と待ち合わせてるので……」
「えー、じゃあ相手が来るまで俺と一緒にいようよ、待つの付き合うよ」
「!? いやあの、彼氏が来るんで」
「いったいどんな男が君みたいな可愛い子と付き合えるのか、勉強させて欲しいな~」
「……!!」
なんとなく、嘘をついているのが見抜かれている気がする。というより相手はかなりナンパ慣れしているようで、あれよあれよと強引に腕を引っ張られた。
「あ、あの! 離してください!」
「いいからいいから。俺、美味しいトコロ知ってるんだ~」
待ち合わせだと言っているのに、自分の行きたいところに連れていこうとしている。これはもう確実に待ち合わせている相手などいないとバレているようだ。
(どうしよ、逃げなきゃ! でもこいつ腕の力つよっ! ていうかぼくが貧弱なのか? この細腕だしな! 指だって白魚のように美しいし! ああ~もういっそ男だってバラす? でもなんか変に目立っちゃってるし、もう女装してここら辺歩けなくなるのは嫌だな~!!)
さて、どうするか。男に引っ張られながら考え込んでいた、その時だ。
知っている声が自分たちを呼び止めた。
「あ、あのっ! おっ、俺がその子の彼氏なんですけど! 何人のカノジョ勝手に連れまわしてくれてんですかっ! はっ、はな、離してくださいよ!!」
(……!?)
彼氏だと名乗り出ながらも、いかにも頑張って声を掛けてます!風なその男は……
(葉月委員長ォォ!? 何でこんなところに……え、もしかしてぼく、正体バレてる!?)
クラス委員長で昼休みにいつも一緒に弁当を食べている面子のひとりである、ぴかぴかメガネのガリ勉キャラの葉月 だった。
「ああ? なんだお前。いきなり出てきて不自然すぎるだろうが。この子のことは知らないけどカッコつけたいってのが見え見えなんだよ! 悪いけど彼女は今から俺と……」
「はーくん! 来てくれたんだぁ~!」
「「!?!?」」
コロッと急変した草野の態度に、ナンパ男と葉月は同時に困惑顔をした。
葉月一人では絶対に誤魔化しきれないだろうと思ってわざとこちらから知り合いを装ったというのに、ナンパ男はともかく葉月 はそんな顔をしたらダメだろうが――とツッコミたいのは山々だが、これで分かった。葉月は美少女 の正体が草野だと気付いていない。
「え……きみ、マジでこいつと知り合いなの?」
「そうよ。ね、はーくん!」
「た、たしかに俺は葉月だけど、きみは何で俺の名前を……「ほらぁはーくん! 早くケーキでもなんでも食べに行こうよぉ~~!!」
草野はナンパ男の手の力が緩くなった隙に振り払い、呆然としている葉月の腕をひったくって走り出した。今日はパンプスではなくスニーカーを履いていて――外しコーデ、というやつだ――本当に良かった。
*
「ふうっ、ここまで来れば追ってこないかな……!」
「ぜーはー、ぜーはー、ちょ、きみ、なんで俺の名前を……ぜーはー、ぜーはー」
「助けてくれてありがと! じゃあね!」
「えぇ!? ぜーはー、ちょ、ちょまっ、なんっ……ええぇえ!?」
見かけはか弱い美少女でも、やはり中身は男。そして持久力だけは謎の自信がある草野は、葉月の息が整う前に軽くお礼を言ってその場から逃げた。
葉月は本当に知り合いだし、長く一緒にいたら声や仕草で正体がバレるかもしれない、と思ったのだ。とはいえ、草野と葉月はなんとなく集まって弁当を食べているだけの仲で、直接会話をしたことはほとんど無いのだけど……。
(――でも、ナンパ男に絡まれている美少女を助けるなんて、葉月ってただのガリ勉野郎だと思ってたけど案外骨のある奴じゃん……?)
演技力が壊滅的なのと、情けないほど持久力が無いことは置いておいて、自分が本物の女の子だったらそのギャップにキュンと来たかもなぁ、と草野は思った。
明日は珍しく、自分から世間話のひとつでも振ってみようか、とも。
「ふふっ」
さっきの出来事を思い返せばなんだか少し楽しかったような気もするので、やはり当分の間――身長が伸びて、似合わなくなるまでは――女装はやめられないなぁ、とペロリと舌を出したのだった。
草野くんの秘密【終】
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