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第2章5話 キス①
眉を寄せて眠る彼を城野は見つめていた。
嫌な夢でも見ているのだろうか。
それともさっきぶつけられた肩が痛むのだろうか。
眉の間に出来た皺をせめて伸ばしてあげたくて、そうする事で彼の苦しみを少しでも癒してあげたくて、寝顔に指を伸ばす。
けれど指先は届かない。彼に触れる直前、城野は手を引いてしまう。
ほんの数時間前には笑ってくれていた想い人。
その人は今、運ばれた病院のベットで目を閉じている。
診察した医師の話しではどこも異常はないらしい。
けれど真っ白なシーツのせいか普段よりも青白く見える顔色が城野を不安にさせる。彼が自分の『ゆづ』だと知ったきっかけも病院の受付のアナウンスだった。急に意識を失うなんて、本当にどこも悪くないのだろうか。
「ゆづ……」
彼の眠る枕元の僅かな隙間に両肘をついて頭を抱えるように俯く。懺悔にも祈りにも似た姿勢をとりながら、城野にとってその対象は神ではなく、それさえも坂下その人だった。その祈りが届いたかのように、沈むマットレスの揺れに坂下の意識が反応した。
「……んっ……」
「ゆづ?」
「っ……んん……城……野?」
身体を半分起こしながら、ぎこちなくこちらへと伸ばそうとする右手を城野は自ら握ってもう片方の手で背中を支える。
触れられた指の冷たさに坂下はビクリとする。
「ごめん。冷たかった?」
そう言って慌てて引こうとする彼の手を坂下は強く握り締めた。
「……お前の方がなんかあったみたいな表情 してる」
寝起きの掠れた声でフッと笑うその男らしい表情 に反応しそうになる欲望。
「だって……」
それを逃すのももう慣れているはずなのに……
坂下のカサついた唇から目をそらし切れない。
「ここ、切れてる……痛くない?」
「どこ?」
その声に誘われるように指でそっと触れる。
「ここ」
薄く開けた唇から坂下は舌を出して「ここ」と教えられた場所を舌先でなぞった。
「ゆづ……」
ーーどうか逃げないで欲しい
ーーどうか早く逃げて欲しい
相反する想いの中で城野は尋ねた。
「キスしても……いい?」
「……」
「嫌なら逃げて……今ならまだ……」
ーー間に合う
ーー多分
ゆっくりゆっくり近づく唇の距離。
触れる瞬間に見た彼の目。
その目が最後の理性を焼き切った。
触れた唇は熱くて。
傷付いた箇所を舌で癒すとそれは僅かに鉄の味がした。
中へ入れてくれと舌先で懇願するとそれを待っていたかのように唇が開く。
ーーもっと
ーーもっと
ーー求めて欲しい
優しくするつもりで始めたキスはその目的を見失って、いつしか深く激しく淫らになっていく。
「もっと……」
貪り合う唇の隙間から溢れる息と声がお互いの欲情を煽り立てる。滴る唾液を啜り合う音は脳に直接快感を伝えるから、必然、後頭部にそっと回した筈の震える手に力がこもる。
ーーもっと
ーーもっと
ーー貴方が欲しい
ーーこの腕に
ーー今、この瞬間に
ーー閉じ込めてしまえたら……
耳元へとずらされた唇はそこでため息じみた息をつく。
そして、ゆっくりと首筋から鎖骨へ降りていく。
跡を付けてしまいたい衝動に城野は目を閉じて耐える。明確な目的を持って下半身に伸ばされた不埒な手はそこに高まりを感じて安堵した。
なのに、次の瞬間にはもう終わりが訪れる。
「やめろっ」
唐突に振り払われた手は興奮でまだ震えていた。
「ごめん……調子にのった」
坂下の表情 を見るのが怖くて城野は病室の無機質な床に視線を逃がす。
「イヤになった?」
返ってこない返事に城野は重ねて問う。
「気持ち悪い?オレが……」
ーーオレを嫌いになった?
惨めな科白が余計に自分を傷付ける。
今まで追いすがる人間を非情に捨ててきた。
その報いかと自嘲すると
「何が可笑しいんだよ」
「………………」
「お前さー、ムカつく」
ーー嫌われた
「……ったく……過ぎなんだよ」
「えっ?」
「キス。キスが上手過ぎだ!!つーの」
「……」
「クソっ、モテ男め……マジ、腹立つ。何人の女とこんなエロいキスしてきたんだよ。いや、待て答えるな。聞いたら余計に腹が立つ」
伏せたままの視線を恐る恐る上げると、赤く染まった首筋に右手を当てた坂下がこちらを睨んでいた。
「あと、ここ病院だろ?早く連れて帰ってくれ」
ーーもっとお前が欲しい。
「なぁ……ユキ」
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