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第2章6話 キス②

色の少ない部屋は、まるで誰も住んでいないみたいに美しく清潔だった。 絶妙に計算され尽くした場所に配置された家具達は、どれも高級さとセンスの良さを兼ね備えていた。けれど、ここに住む人間を拒絶するようによそよそしく感じられた。 「お前、すごい部屋に住んでんね」 この広い空間の何処にも、座る場所も、落ち着ける場所もない気がして坂下は視線を彷徨わせて、立ち尽くす。 「ゆづ、ここに座って」 中央に置かれた白いソファに坂下を座らせた男は、自分は身の置き所に困ったように立ったまま 「ようこそ。オレの部屋に」 なんて嬉しそうに微笑んだ。 だけどそれは一瞬で、次の瞬間には笑顔はもう曇っていた。 「ゆづ、身体大丈夫?どこか痛いとことかない?」 「ああ。もう平気だ。驚かせてさせて悪かったな」 「本当に?本当に大丈夫?もしかしてゆづ、どっか悪いところがあるんじゃ…… 「大丈夫だよ」 「だけど、あの日も病院にいたし……」 「大丈夫だってっ」 「ごめん……」 ふたり同時に発したその謝罪の言葉にお互が驚いて見つめ合う。 訪れる沈黙。 泣き出しそうな表情で自分を見つめる男。 その美貌に胸が痛んで、坂下はもう自分の気持ちに嘘はつけなくなった。 こんなにも胸が締め付けられる理由なんてひとつしかなかった。 そんな気持ちにさせた男の名前を坂下は呼んだ。 ーーユキ 「ユキ」 呼ばれた男はハッとして一瞬嬉しそうな表情をした後で、何故かその表情を歪ませた。いつまでも自分のそばに寄ろうとしない男の名前を坂下は重ねて呼んだ。 「ユキ、こっち来て」 なのに 「あっ、待って。ゆづ、何か飲む?コーヒーくらいしかないけど」 そう言ってキッチンへ逃げ込もうとする。 その背中に向けて、わざと大きく息を吐くと坂下は、すくっと立ち上がった。 そして仕方なさそうに言ってみせる。 「分かった。俺の勘違いだったみたいだな、帰るわ」 「えッ?!……ゆづ、やだッ!」 そこまで言ってやっと慌てて側に寄って来た男が可笑しくて、可愛くて、愛しくて……泣きたくなった。 「バカ、嘘だよ」 坂下は泣き出しそうな身体を抱き寄せる。 「お前、いい匂いがする」 照れ隠しにそう言って、男の肩口で深呼吸したのは、自分を落ち着かせようとするためだったのに、その香りに煽られて逆に鼓動は早くなる。 「ゆづ……キスしてもいい?」 「ん?ダメだって言ったら?やめるのかよ?」 逃げ場を与えるかのように、いつも城野がそんな風に聞いてしまうのは、自分の方が好きだと思っているから。でもそんな城野の臆病な想いを坂下はまるっと受け止めてしまう。 「……ゆづが…… ーーゆづが嫌なことは、オレ、しない ーー出来ないよ 「ゆづが…… ーー好きだから ギリギリ間際まで近付く唇。 その距離で囁き合う。 「俺も……ユキが ーー好きだよ、だから 「早く、キス、しろ」 睨み付ける目元が赤くなっているのは気のせいなんかじゃなくて。 だけど城野は自分からどうしても動けない。 数時間前に、上手過ぎると言われた、キス…… その言葉が城野を縛り付ける。 ーーもう一度会える奇跡を知っていたら ーーもっとマシな生き方をして来たのに 「ゆづ……」 振り返るとロクでもない過去ばかりで清廉な坂下に似合う筈もない自分が惨めだった。 「ゆづ……ごめ…… ごめんと言おうとした瞬間に触れた唇。 それは、ただ押し付けるだけの。 キスと呼ぶには余りにも素っ気ない行為。 「ゆづ?」 「お、お前が……じ、焦らすから」 そんなことを言われてもう止められる訳なかった。 「ごめん、ゆづ。……ごめん、だけど……好きだ」 ーーどうしようもなく ーー貴方だけが…… ーーずっと ーーずっと好きだった やっと触れ合った唇は、お互を啄んで軽いキスを繰り返す。ちゅっちゅっと音を立ててするキスは、幸せな恋の象徴みたいなのに涙の味がそれを切なく変えてしまう。早く入れてくれと唇をノックした舌先は、薄く開いた唇に迎え入れられ暖かな粘膜に包まれた。 妄想の中でさえ交わす事も、奪う事も、禁じていた口付けにいつしか城野は溺れていく。 「ゆづ……舌出して」 「……」 滑らかな紅い舌先がちろりと現れて城野の下半身を誘惑する。 「もっと」 ーーもっと見せて 言われるままに伸ばされた舌を城野は優しく唇で挟んだ。 「美味しい……もっと、ゆづ……もっと」 ーーもっと、欲しい ーーもっと、欲しがって欲しい 口内に咥え込んだ舌に、ねっとりと己の舌を絡ませる。舌を互いに出し入れして、粘膜を愛撫し合う。 「ユキ、ユキ…………好……だ」 もうどっちものかも分からない唾液が言葉と一緒に溢れ出る。 その唾液さえ残らず寄越せとばかりに啜られて目眩にも似た快感の中、夢中で坂下もまた城野の舌を吸った。

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