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第3章 俊介 5

ビジネスホテルに泊まるつもりだと坂下が言うと顔を(しか)めた筒井は 「せっかく近くに有名な温泉があるんだから、そこ泊まろうぜ」 そう言ってニカっと笑う。 「お前ね、勝手に来た癖にそんな贅沢言うわけ?あっ、もしかして初めから、そのつもりで?」 「えっ?」 図星を指されたみたいに筒井が焦ってみせるから 「あーぁ、感謝して損したわ。そういう魂胆だったわけね」 坂下も呆れてみせる。 「ばか言うな。俺はお前が心配で」 「嘘つけ」 だけど最後はそんな風に顔を見合わせて笑う。 それだけでいいと筒井は思う。 自分の本当の気持ちも姿も親友には知られるわけにいかない。 坂下ゆづるの親友でいる為に自分が犯した罪。 夕方がすぐそこまで近付いていて、空は桃色をほんの一滴垂らしたみたいに優しい色をしていた。 坂下の祖母の家を後にしたふたりはそんな空の下を並んで歩いていた。 不意に何かを思い出したように坂下は 「ちょっと待て」 と、スマホを取り出して、どこかに電話をかけ始める。手にしているスマホは見覚えのあるもう随分前の機種だった。 機種変更をしない理由は、多分、筒井が推察する通りの理由だと分かるから、込み上げてくる感情の苦さに表情は歪む。 だけど、二言三言、会話をした坂下が、指先でオーケーマークをして見せると、筒井はスッと表情を変えて、それに満面の笑みとガッツポーズで応えた。 そんな風にして、男ふたりで温泉旅館に泊まることが決まった。

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