56 / 64
第3章 まぼろし 1
嘘だと思った。
自分の目に映った光景がすぐには信じられず。
坂下は瞬きもせずに、ただ見つめ続けた。
まるで自分の切望が見せた幻影だと言い聞かせているみたいに。
美貌はそのままに。
髪は短く切られていた。
そのことにチクリと胸が痛んだのは、恋人の髪がとても好きだったから。
少し長めの前髪がはらりと落ちて美しい顔に陰影を作り出す。
それに見惚れながら恐る恐る手を伸ばした。
そっと触れると、恋人はいつも嬉しそうに目を細めた。冷たいと感じさせるほどの完璧な美貌を少しだけ赤らめ、首を傾げて坂下を見る。
その笑顔がたまらなく好きだった。
誰にも見せたくなかった。
「そんな顔、俺以外に見せたら承知しない」
坂下がそう言うと、まるで泣き出す前みたいな表情 になった恋人は
「オレは一生、ゆづだけのものだ。だから、ゆづも……」
ーー一生、オレだけのゆづでいて
そう言って、坂下の手に口づけた。
思い出は、いつも唐突に坂下を幸せだった頃に連れ戻す。
「ユキ」
唇の形だけで名前を呼んでしまうのは、もう坂下の癖になっていた。
だから、思わず呼んでしまった名前が声になっていないことにも、すぐには気が付かなくて。
こちらを向いてくれない恋人の横顔に胸が締め付けられた。
「ユキ……」
ーーお前はもう、俺のユキじゃないのか?
ともだちにシェアしよう!