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番外編 森のいい夫夫
夕食後。
麒麟が食器を洗い終わったと同時に、カウンターの上のスマホから、メッセージの着信音が立て続けに響いた。
月村のパートナーの芳からだ。
芳とは先月の秋祭りで出会って以来、時折料理を教わりに行ったり、Ωならではの相談事をしたりする仲になっていた。
『キリちゃん! ネットでこんなの見つけた!』
踊っているキツネのスタンプに続いて、一枚の画像が貼られている。
通販カタログの一ページを撮影したらしいその写真に写っているのは、リアルなクマの顔がくっついた、焦げ茶色のブランケット。
身体に巻き付けると、丁度肩口にクマの顔がきて、すっぽり抱きくるめられるようなデザインになっている。
───なにこれ、欲しい……!
クマ、というだけでも麒麟が食いつくには充分なのに、無駄にリアルなクマに抱き締めてもらえるという、攻め過ぎなデザイン。
けれど何より麒麟の心を擽ったのは、そこに添えられた短い商品キャッチコピーだった。
芳に、どこで買えるのかを聞こうとして、ふとスマホを弄る手を止める。
……クマ。
チラリと視線を上げた先では、珍しく早めに作業を終えた熊谷が、ビール片手にソファで寛いでいる。
思い立ったようにキッチンから出てきた麒麟は、スマホ片手にストンと熊谷の隣に腰を下ろした。
「熊谷さん。頼みがあるんだけど」
突然隣にやってきた麒麟を見て、熊谷が「ん?」と目を瞬かせる。
「ちょっとビール置いて、俺の後ろ立って」
「……は? なんだ、いきなり」
「お願い!」
顔の前で両手を合わせて懇願する麒麟に、熊谷は訳がわからないといった様子で首を捻りながら立ち上がる。持っていた缶をテーブルに置き、そのままソファの裏側へ回って、麒麟の真後ろに立った。
「ここでいいのか?」
「うん。そのまま、ちょっと俺のこと抱き締めてみて」
「……なんなんだ一体。新手の甘え方か?」
「まあ、そんな感じ」
「別に隣に居ても良かったんじゃねぇのか」
怪訝そうにしながらも、熊谷が大きな体躯を屈めて、麒麟の身体に腕を回してくれる。
……うん、あったかい。
温度だけじゃない。
熊谷の体温と、逞しい腕に包まれる安心感。
初めて発情したときも、こうして背後にピッタリくっついていた熊谷に、ドキドキして仕方がなかった。あのときは麒麟が一方的に熊谷を意識していただけだったけれど、今は触れ合った箇所から、熊谷の愛情を確かに感じられる。
少しの間、その温もりを堪能してから、麒麟は熊谷の顔の前にスマホを掲げて見せた。
「熊谷さん。このキャッチコピー、言って?」
スマホの画面に表示された画像を見た熊谷が、たちまち顰め面になる。
「おい。お前まで月村に毒されてんのか。俺はクマじゃねぇよ」
「だって俺、どうしてもコレ、味わいたくて」
「欲しいなら買えばいいじゃねぇか。この画像、カタログか何かだろ」
「毛布より、本物に抱き締めて欲しいじゃん!」
「……今一瞬だけ絆されそうになったが、やっぱり俺がクマってことじゃねぇか」
不貞腐れたように、熊谷がのしっと麒麟の頭に顎を乗せてくる。この感覚も、きっと毛布じゃ味わえない。
これはこれで悪くないかも、なんて内心思いつつ、身体に回された腕にそっと手を添える。
「あのさ。今日って、いい夫婦の日なんだよ」
「それとクマがどう関係してるんだ」
「俺がもっと熊谷さんのこと好きになるように、言って欲しいなぁって」
強請るように熊谷の腕を撫でると、明らかに困惑の滲む溜息が頭上から降ってきた。
「……お前、完全に俺のこと手の上で転がしてやがるな」
優しい熊谷は、麒麟の押しに滅法弱い。
そこにつけ込むのは卑怯だとわかってはいるけれど、こうして葛藤しながらも、いつだって最後は折れてくれるところが堪らないのだと言ったら、怒られるだろうか。
お願い、と再度訴える麒麟に、この日も結局根負けした熊谷が、観念したように背後から頬を寄せてきた。触れ合った頬で感じる無精髭が、チクチクと擦れて擽ったい。
「……『クマじゃだめか?』」
耳許で、予想外に色気のある低音で囁かれて、思わずゾクリと背中が震えた。
想像以上に興奮して身悶える麒麟の肩口で、熊谷は羞恥と後悔に唸っている。
───やっぱり、毛布なんかじゃ満足できない。
俺だけのクマは、最高にあったかくて、可愛くて、愛おしい。
「だめじゃない。ありがとう、最高。熊谷さん大好き」
ソファに乗り上げる格好で熊谷と向き合って、まだ照れ臭そうにしている大男を今度は麒麟が抱き締める。
「相変わらず、お前には敵わねぇ」
降参とばかりに眉を下げる熊谷の唇に、チュッと宥めるようなキスを贈る。
「今晩、寝かせたくない」
「馬鹿言え。妊夫はちゃんと寝ろ」
「じゃあ、せめて夜更かし」
「……二時間までだぞ」
熊谷から返される優しいキスを、麒麟はその身体ごとしっかりと受け止めた。
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