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番外編 This Christmas
この町の冬は静かだ。
都会ではこの時期になると、街中は赤と緑のクリスマスカラーの装飾に覆われ、夜にはイルミネーションが通りを照らす。
けれど麒麟の暮らすこの町の風景は、普段と殆ど変わらない。
駅前に大きなツリーがお目見えすることもないし、イルミネーションが輝くこともない。でもだからこそ、商店街のアーケードに巻き付けられたモールや、店先にちょこんと置かれた小さなツリーが、この町らしいクリスマスムードを醸し出していて、心がホッと温かくなる。
賑やかなクリスマスも悪くはないけれど、麒麟はひっそりと華やぐこの町の空気が、とても好きだった。
今日はクリスマスイブ。
麒麟たちの家の中も、リビングの隅には二週間前からツリーが登場し、窓には怜央が貼ったトナカイやモミの木のジェルシールが並んでいて、ささやかなクリスマスの空気に満ちている。
夕飯は、積み上げたブロッコリーをツリーに見立てたサラダと、ローストチキン。デザートには、隣町のケーキ屋で予約しておいたブッシュドノエルを堪能した。
勿論、熊谷サンタによる、怜央へのプレゼントの手配も忘れていない。
ハマっている戦隊モノの主人公の影響で、赤が大好きな怜央は、クリスマスに赤い自転車が欲しいと秋からしきりに訴えていた。
商店街の自転車屋にはひと月前に相談し、子供用の真っ赤な自転車を取り寄せてもらっていた。
今日の昼間、熊谷が怜央を連れて隣町までケーキを引き取りに行っている間に、買い物などのついでに商店街へ出向いた麒麟は、亮太に頼んで軽トラで家まで自転車を運んでもらった。
その自転車は、怜央に見つからないよう、現在家の裏に隠してある。あとは怜央が眠ったら、こっそりリビングへ運び込んで、明日の朝起きてきた怜央を驚かせる計画だ。
しかし、風呂も歯磨きも終え、寝る支度をバッチリ整えた怜央は、パジャマ姿のままずっとリビングの窓に張り付いている。
「サンタさん、もうくるかな?」
ソワソワした様子で問い掛けてくる無垢な四歳児に、熊谷サンタが短い無精髭を擦りながら苦笑する。
「子供が起きてる時間には、来ないんじゃねぇか?」
「でも、はやくこないと、みんなにプレゼントくばれないよ?」
「サンタのソリは飛べるから、車よりずっと速いんだ」
「じゃあとんでるサンタさん、みえるかも。ちょっとだけ、おそとみてきちゃダメ?」
「そ、外はダメだって!」
外に置いてある新品の自転車を思い浮かべて、麒麟も食器を片付ける傍ら、キッチンから思わず口を挟んだ。
「怜央、折角風呂入ったのに、風邪ひいたらどうするんだよ」
「じゃあおとーさんたち、かわりにみてきて?」
「見とく! 二人でちゃんと見とくから、怜央はそろそろ寝よう!」
「怜央。サンタは、夜更かししてる子供のところには来てくれねぇんだぞ?」
「!! はやくねる……!」
熊谷の言葉に青くなった怜央が、慌てておもちゃ箱に駆け寄った。その中から『相棒』である戦隊モノのロボットを抱えて、二階へ続く階段へ走っていく。一段目に足をかけたところで、ふと怜央がこちらを振り返った。
「サンタさんみたら、『おしごとおつかれさま』っていっといてね! あと、『ありがとう』も!」
可愛い気遣いに、思わず熊谷と顔を見合わせて笑う。「わかった」と頷く熊谷を見て満足そうに笑った怜央とおやすみの挨拶を交わして、麒麟は階段を上がっていく小さな背中を見送った。
その後テレビを見ながら怜央が寝付くのを待ち、下りてくる様子がないことを確認して、熊谷が外からそうっとピカピカの小さな赤い自転車を運んできた。
「コイツ、どこに置く? やっぱツリーの傍か?」
今までこれほど大きな物を強請られたことがなかったので、クリスマスプレゼントは毎年枕元に置くようにしていた。だがさすがに自転車を枕元に置くわけにもいかず、ならばせめてリビングに、ということになったのだが……。
「……窓際、かな」
怜央がデコレーションしてくれた窓を見詰めてポツリと呟く。
「窓際?」
理由を問うような熊谷の声に、麒麟は懐かしさから僅かに目を細めた。
「うちが、そうだったから。まだ母さんと二人だった頃だけど、クリスマスの朝に、決まって母さんが言うんだ。『洗濯干すから、窓開けてくれる?』って。それで言われるままカーテン開けたら、窓際にお菓子入りのブーツが置いてあんの」
周りの子供たちは最新ゲーム機やオモチャを買ってもらったと自慢し合っていたが、日々の生活で精一杯だった中、クリスマスに届く赤いブーツが、麒麟にはどんな物より嬉しかった。
毎年ブーツを届けてくれているのが母だと気付いたのはいつだったのか、正確には覚えていない。でも麒麟は義父との生活が始まるまで、ずっと気付かないフリを続けていた。
母が『窓開けて』と言ってくれるのが、楽しみだったから。初めてブーツを見つけたときの感動を、忘れたくなかったから。
そして親になった今だからわかるのは、母もきっと、ブーツを楽しみに待っている麒麟を見るのが幸せだったのだろうということ。まるでさっきの怜央みたいに、幼い自分もクリスマスイブの夜はソワソワしていたのを覚えている。
「義父さんはクリスマスとか誕生日っていうと、毎回大金寄越してくれたけど、俺にとっては今でもお菓子のサンタブーツの方がよっぽど特別に思える」
「……そうか。じゃあ明日の朝は、お前が怜央に言ってやらねぇとな」
柔らかく笑った熊谷が、窓際に置いた自転車を静かにカーテンで覆った。
怜央だって、いつまでも子供じゃない。少し前までは寝付くまで傍に居ないと眠れなかったのに、今では『相棒』のロボットと一緒なら一人でも寝られるようになった。
今はまだサンタを待ち侘びているけれど、いつかはその正体に気付く日がくる。だからせめてそのときまでは、出来る限り夢を見させてやりたい。
それに、大きくなってもクリスマスがなくなるわけじゃない。大人にだって、サンタはやってくるのだ。
「麒麟」
熊谷用のコーヒーと、自分用のホットミルクを淹れてソファに腰を下ろした麒麟の前に、熊谷が長方形の箱を差し出してきた。高級ブランドのロゴが入ったその箱には、ギフト用のリボンがかかっている。
「……なに、コレ」
「クリスマスプレゼントだ」
「それは分かるけど、このブランド、そういうの疎い俺でもさすがに知ってる……」
恐らく誰でも名前は知っているであろう超有名ブランド。恐る恐る箱を開けると、中にはシンプルなダークブラウンの長財布が入っていた。麒麟が好きな、『クマ』の色だ。
「お前、今使ってる財布のファスナー壊れたっつってただろ」
「だからってこんな高いの、聞いてない」
「気に入らなかったか?」
「そうじゃない。デザインも色もめちゃくちゃ好み。……ただ、相変わらず狡いなって思って」
「狡い?」
熊谷が緩く首を傾げる。
毎年怜央が寝付いた後、クリスマスイブにこうしてプレゼントを贈り合うのも、気付けばもう五度目。
いつも、自分よりずっと年上の熊谷が何をあげれば喜んでくれるのかがわからず、月村やそのパートナーの芳に相談したり、ネットであれこれ検索しながら、麒麟は試行錯誤を繰り返している。今年だって、悩みに悩んだ末に選んだのは、無難なデザインの革のキーケース。
けれど熊谷はちゃんと麒麟の好みも欲しい物も把握していて、毎年大人の余裕たっぷりのプレゼントを用意してくれている。
サプライズが用意されているのは、怜央だけじゃない。
「勝吾さんは、やっぱり俺のサンタだ」
「何言ってんだ。お前だって、毎年俺にくれるだろうが」
「子供の頃のサンタブーツみたいに、勝吾さんがくれるのは、いつも俺にとって凄く特別なものばっかなんだよ」
「特別って、ブランドのことか? それならたまたまお前が好きそうなヤツがそのブランドだったってだけで───」
「そういう意味じゃなくて」
どうやら自覚がないらしい熊谷の手を取って、麒麟はその大きな手をそっと自身の腹部へ導いた。
「……今日、買い物行く前に月村先生のとこ寄ったら、もうすぐ三ヶ月だって」
「…………は?」
目を見開いた熊谷が、掌を宛がったままの麒麟の下腹を、呆然と見詰める。
麒麟も、月村から告げられた瞬間は、熊谷と同じ反応だった。
ここ数日、やけに眠気が強かったり胃がムカムカする感じがあったので、買い物に行くついでに診てもらおうと月村病院に寄ってみたら、診断結果はまさかの妊娠二ヶ月目。
怜央よりも先に、とびっきりのサプライズプレゼントを貰ってしまったのは麒麟の方だった。
「……間違いねぇのか」
「胎児心拍もちゃんと確認出来たよ。まだ安定期前だから無茶しないようにって釘は刺されたけど。でも、クリスマスイブに妊娠判明するって、それだけでも凄く特別な感じしない?」
「お前……それならブランドどころの話じゃねぇだろ」
「だから、そういう意味じゃないって言ったじゃん」
「それはこっちの台詞だ。わかってんのか? 産むのはお前なんだぞ。……やっぱり俺は、貰う側じゃねぇか」
そろりと一度、まだ膨らんでもいない麒麟の腹を愛おしむように撫でてから、熊谷の逞しい腕が麒麟の身体を包み込んだ。
───ああそうだ。怜央の妊娠がわかったときも、同じだった。
こうして抱き締めてくれたっけ、と懐かしみながら、広い背中に腕を回す。
「勝吾さんが、与えてくれた命だよ。怜央と同じ。俺一人じゃ、産むことだって出来ないから」
肩口で、熊谷が小さく鼻を啜る音がする。
少しだけ気が早いクリスマスプレゼント。それを熊谷と二人で喜べることが、何より嬉しくて幸せだ。
「……俺に言わせりゃ、サンタはお前の方だ。危なっかしいくせに、潔くて威勢がいいお前に振り回される方が、俺の性には合ってる」
「クマに乗ってるサンタも悪くないかも。来年からは、サプライズももう一人分用意しないと」
「二人分のプレゼント隠せるように、カーテンもっと長いのに交換するか」
「勝吾さん、気ぃ早い。……明日、自転車の他にもう一つ、怜央にプレゼントが出来た」
「おいおい。下手な言い方すると、子供はコウノトリじゃなくサンタが運んでくるって覚えちまうぞ」
「ホントはコウノトリも違うじゃん」
熊谷には「気が早い」なんて言ったけれど、この先キラキラした目でサンタを待つ顔が増えるのかと思うと、楽しみで胸が疼く。来年の今頃は、大好きなこの町の、大切なこの家で過ごすクリスマスが、一層賑やかで温かいものになっているといい。
今はまだ二人だけの宝物を大切に分かち合いながら、麒麟はクマみたいなサンタにキスをプレゼントした。『おつかれさま』と『ありがとう』の想いを込めて。
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