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番外編 Holy knight

 リビングの掃き出し窓を開けると、冷えた夜風が頬に吹き付けてくる。  刺すような冷たい空気に身を縮こまらせながら、麒麟はウッドデッキへ出た。  手摺りに寄り掛かって息を吐く。それは真っ白に色づいて、夜の闇へ音もなく溶けていく。  今宵はクリスマスイヴ。  都会ではきっと、街のあちこちがイルミネーションに彩られて、光り輝いているだろう。それを見に来たカップルたちで、一晩中賑わっているに違いない。  けれど、この町には電飾なんて一切無い。  それどころか、町外れに建つこの家の周囲には、外灯すらも無いのだ。  あるのはこの家の明かりと、それから月明かり。そして、それらを控えめに彩ってくれる無数の星たち。  でもそれで充分だと麒麟は思う。  色鮮やかなイルミネーションも悪くはないが、家族で楽しむささやかなイヴの雰囲気は、昔母と過ごした時間を思い出させてくれた。  決して派手ではないけれど、あたたかくて幸せな時間。  欲しいのは大きなケーキでも、豪華なプレゼントでもない。  大切な人と迎えられるクリスマスは、何よりも贅沢だ。  今年のイヴは快晴。  ホワイトクリスマスとはならなさそうだが、雲一つない空には、イルミネーションにも負けない星が沢山散らばっている。  この町に来て初めて、麒麟は空にこれほど多くの星があるのだと知った。  だからこんな風に晴れた夜には、ふと空を眺めたくなる。 「おいコラ。そんな薄着で風邪ひくぞ」  不意に背後から声がした。振り返るより早く、逞しい熊谷の腕に背中から抱き込まれる。  麒麟がここに居るのを見越していたのだろう。その手には、大きめのブランケット。  二人羽織のような格好で二人してブランケットに包まりながら、熊谷が麒麟の頭に顎を乗せてくる。 「勝吾さん、怜央へのプレゼント、もう置いてきたの?」 「ああ、ちゃんと枕元に置いてきた。後はお前の分だな」 「俺はもう充分貰ってるからイイって、毎年言ってるのに」  熊谷は毎年、誕生日もクリスマスも、それなりに豪華なプレゼントを贈ってくれる。  一方の麒麟は、自分よりずっと大人な熊谷が何を喜ぶのかがわからない。むしろ何だって喜んでくれるものだから、それが少し悔しくもある。  ───もっと一生モノのプレゼントとか、あげられたらイイんだけど。  答えを探すように空を見上げると、視線の先で丁度ひと筋、星が流れた。 「あ、流れ星」  都内で暮らしていた頃は、なんとか流星群が見られるときくらいしか、流れ星なんてお目にかかれないものだと思っていた。実は一日に幾つも星が流れるのだと知ったのも、ここへ来てからだ。 「……命が消えた証」  頭上でポツリと零された呟きに、「え?」と視線を持ち上げる。 「『マッチ売りの少女』だったか。話の中で、流れ星は誰かの命が消えた証だって下りがあるんだよ」 「……それ、イヴにする話? そもそも流れ星って言ったら、願い事すると叶うって話の方がよっぽど有名じゃん」 「確かにそうだな。悪ぃ、ふと思い出しただけだ」  熊谷は苦笑いで誤魔化したけれど、麒麟を抱く腕にほんの少し力が篭った。まるでこの場に居るのを確かめるみたいに。  ───きっと、今でも怖いんだ。  麒麟に出会って、やっと前を向くことが出来たと熊谷は言っていた。  それでも、この大男が見た目に反して実は酷く臆病なことを、麒麟は知っている。  熊谷がガラス細工が得意なのも、最初はαだから手先も器用なのだろうと思っていた。  でも本当はそうじゃない。  勿論手先も器用だろうけれど、熊谷の心が、ガラス細工と同じように繊細だからだ。  熊谷は今でも、心のどこかで怯えている。当たり前のような日常が、ある日突然砕け散ってしまうことを。  砕けたガラスが二度と元には戻らないことも知っているから───。 「勝吾さん」  熊谷の腕の中でもぞもぞと身を捩って、どうにか彼と向かい合う。  どうした、と問いたそうな目を真っ直ぐに見詰め返して、麒麟は口を開いた。 「今年のクリスマス、俺にはプレゼント無くてイイ。今年だけじゃなくて、来年も再来年も、この先ずっと要らない」 「何だ、いきなり。俺への返しなら気にするなって言って───」 「そうじゃなくて。プレゼントは要らないから、俺は勝吾さんの全部が欲しい。これから先の人生全部を、俺に頂戴」  虚をつかれたように、熊谷が目を見開く。  自分でも、随分と思いきったことを言っている自覚はある。  けれど、麒麟を義父から助け出してくれた上、第二の性のしがらみから解き放ってくれたのは熊谷だ。熊谷に出会えたから、今こんなにも幸せな日々がある。  だから今度は、麒麟が熊谷を助ける番だ。 「俺は勝吾さんの傍から居なくなったりしない。絶対に一人になんかしないし、幸せにするって約束するよ」 「麒麟……」  やがて「参った」とばかりに眉を下げた熊谷が、大きな掌でくしゃりと麒麟の髪を掻き混ぜた。 「お前は、どんどん男前になるな。危なっかしいお前の背中は、俺が守ってやるって思ってたはずなんだが」  ほんの少し、寂しさの垣間見える声と共に熊谷が苦笑する。  愛おしいなあ、と麒麟は敢えて口には出さず、胸の内で噛みしめる。  こうしていつも麒麟を包んでくれる、熊谷のあたたかい腕があるから、麒麟も安心して背中を預けられるのに。 「俺が男前になったんだとしたら、目の前にイイお手本が居るからだと思うよ」 「すっかり手のひらで転がすこと覚えやがって」  人差し指で麒麟の額を軽く弾いてから、熊谷が再び麒麟の身体を強く抱き締めてきた。 「……クリスマスじゃなくても、毎朝俺の隣に居てくれ」 「うん。勝吾さんがサンタみたいなおじいちゃんになっても、隣に居る」  ほんの少し、熊谷の手が震えていることには気づかないフリをして、広い背中を抱き返す。  麒麟にとって一番嬉しいプレゼントは、いつだってここにある。

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