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2-3 トオル

「さっき来てん。お前が来る前に。あいつもこの絵が欲しい言うてた。こっちの絵が、欲しかったんやって」  アキちゃんは悔やむような口調で言った。俺はそれを、かすかに呆然として聞いていた。なんや。もっと豪勢なもんが欲しいという女では、なかったんか。 「俺は勘違いしてた。被害妄想みたいなもんか。彼女には悪かった。喧嘩なんかして……」  アキちゃんはそれが、恥ずかしいみたいやった。確かに、クリスマス・イブの夜のアキちゃんは、かなり格好悪かった。だってどう見ても、振られ男やってんもん。  アキちゃんは今も、どことなく情けないような様子で、絵の具のあとだらけの床をじっと見下ろしていた。 「彼女には、謝っといた、さっき。誤解してたことは。俺が未熟やったって」 「それで何で、よりを戻さへんかったん」  期待する答えを聞きたくて、俺は(たず)ねた。  アキちゃんは苦い顔やった。そしてしばらく押し黙っていた。 「俺もお前が好きや」  ぽつりと言われたその一言で、爆発するような歓喜が胸に湧いた。くらりときて、半歩よろめき、何とか自分を抑えた。  でも、できるもんなら、抑えたくなかった。今すぐここで、アキちゃんとやりたい。だけどそれは、夜までお預けや。こんなとこで抱いてって迫ったら、いくらなんでも、ぶん殴られるんちゃうか。 「そうか、アキちゃん……俺、嬉しいわ。ありがとう。早う、絵描いて帰ろ」  思わずもじもじして、俺が頼むと、アキちゃんはムッとしたような、照れ隠しの顔になった。 「あかん。まだ全然仕上がってへんのや。気が散るから、散歩でもしてこい。終わったら、電話するから」  ぴしゃんぴしゃんと言うて、アキちゃんは出ていけみたいな態度やった。全然話が違うやん。傍にいさせてくれるんとちゃうかったんかい。あんまりや。  でも、アキちゃんが絵を描く邪魔したらあかんのやと思って、俺はおとなしく部屋を出て行くことにした。だってまた、おんなじ家に帰れるもん。だから平気やろ。  それでも、しゅんとして部屋を出て行こうとする俺を、アキちゃんは呼び止めた。 「あのなあ、亨。この作業棟の、裏手には行くなよ。昔、飛び降り自殺した学生の、幽霊出るらしいから」 「マジでそんなん出るの」  出るなら見てみたい気がして、俺は(たず)ねた。  アキちゃんは自分の大学のことを、変人の巣窟やと言うていた。中には暗い方向性のやつもいて、毎年誰か失踪したりする。  そういうやつの自殺した死体が、何年かしてから裏山で突然見つかって、作品に使う枝葉を拾いに行った一年生が見つけ、ショックで心を病んだりするって、そんな怪談まであるらしい。ちょっとした異界や。  アキちゃんはそう言う話を、馬鹿馬鹿しいと思うらしい。今も否定的な顔をしていた。 「いや……俺は信じてないけど。何か嫌な雰囲気なんは確かやから。竹がやたら茂ってて危ないし、行くなよ」  竹のどこが危ないんだか、ツッコミたいところやったけど、俺は黙って頷いておいた。  なんで信じてへんモンを、危ない言うて警告するんか。それは、きっと、実は信じてるからや。信じてるというか、アキちゃんは何か感じてるんや。  アキちゃんには、何か霊感のような力があるらしい。霊能力というのか。明日の天気が分かるとか、そういうような第六感みたいなの。本人はそれを認めてないが、何らかの力はある。  最後に見納めと、描きかけの絵を見つめ、俺はそう思った。アキちゃんのこの絵も、なにか超常の力があるかもしれへん。見る者を惹き付けたり、和ませたり、郷愁をかきたてたり。そして虜にして、放さへんような。  俺も取り憑いてるつもりで、ほんまは捕らえられてるんかもしれへん。アキちゃんの変な力に。抱かれてるとそういう気持ちになることがある。アキちゃんのものにしてって、体の芯から震えるみたいな心地よさがある。  それって何。俺はアキちゃんの管狐(くだぎつね)か。捕らえられ、使役に答える下僕の霊で、ご主人様の持ち物か。  それでコーヒー買いにパシらされてんの。  参ったなあ、それは。参ったなあと、俺は内心、でれでれした。  もしそうでも、俺は平気。だってアキちゃんのこと好きやから。ずっと傍に居させてくれるなら、それでもいい。アキちゃんがご主人様で、俺が下僕でも。別にかまへん。  絵なんか早う仕上がりゃええのにと思いながら、俺は部屋を出た。アキちゃんは絵筆を握るようやった。その後ろ姿を恋しく見つめつつ、俺は扉を閉じた。 ――第2話 おわり――

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