8 / 43

3-2 アキヒコ

 いや、言うた。確かに、学校の作業室では言うたけど、それは誰も聞いてへんかったからやんか。勘弁してくれと、俺は亨に頼み込む視線を向けたが、亨はなにか、呆然と暗い顔をしているだけで、しょんぼり項垂れていた。 「なんかさあ。アキちゃんは話がころころ変わらへん? ほんまはどうなん。俺のこと、好きなんか」  亨は泣きそうな顔をしていたが、俺もそれは同じやった。ある意味泣きそうやった。向かいの席のお婆ちゃんが、補聴器の具合を直しているのが見えたからや。そんな聞く気まんまんにならんでも。鞍馬山の鬼か天狗か、あんたは。 「なに食いたいねん……」  むかむかしながら、俺は話をそらした。亨は明らかにむっとした顔をした。それでも訊かれたことには、ちゃんと答えた。 「カレー」 「カレー? あほかカレーなんか家で食え」  俺が賛成しないのを見て、亨はますます眉間に皺を寄せる険しい不満顔になった。 「食いたいねん、デパートのカレー。俺、食ったことないねん。あれは家族で行くところやで。俺には家族がおらへんのや。そやからアキちゃんと行きたいねん。いっしょに暮らすんやったら、俺ら家族やろ?」  哀れっぽいキレ方で、亨はぶつぶつ言った。俺はそれにショックを受けた。そういや俺も、家族でデパートのカレーなんか食ったことない。おかんはカレーが嫌いやってん。それにあの人は、デパートなんか行ったことあらへん。買い物するときは、デパートの外商部の人が品物持って家に来るんやもん。着物でも宝石でも、俺の誕生日にやるプレステでも、何でもかんでもや。 「か、家族……か?」  俺は思わず絞り出すような声だった。  確かに亨には、下宿にずっと居ってええと言うたけど、別に結婚したわけやないんやで。精々、踏み込んだところで、同棲やろ。それって家族なんか。恋人は家族か。というか、亨は俺の、恋人なんか。そういうことになるんか。そんなアホな。頭が割れそう。  そんな俺を見て、返事を待っている亨は、保健所で処分を待つ犬猫みたいな目つきやった。 「……家族やないんや」  何も言わない俺を諦めたんか、恨みがましい声で、亨が呟いた。亨がふっと顔を背け、向かいの席のお婆ちゃんが、むっと顔をしかめた。俺はそれに、なぜか慌てた。 「いや、ちょっと待ってくれ。分かった、カレーでいいよ。カレー食いに行こう。高島屋の萬養軒(まんようけん)のカレーが美味いで。お前もきっと好きや。いかにもな大食堂とは違うけど、どうせなら美味いほうがええやろ」 「うん……アキちゃんが、そこが好きなら、そこでええよ」  亨は何となくもじもじしながら、そう答えた。頼むから可愛い返事せんでくれ。お婆ちゃん、めっちゃ頷いてはるやんか。たかが飯はカレーって決めたぐらいのことで、めでたしめでたし、みたいな、そんな空気作らんといてくれ。 「降りるぞ、亨。出町(でまち)で電車乗り換えやから」  終点の駅に滑り込んでいく車体の揺れも構わず、俺は一刻も早くこの車両から出たい気持ちで、扉の前へ行った。亨はこころもち、よろめきながら付いてきた。 「なんで。いっぺん家帰って車で行くんやと思ってた」 「酒飲みたいんやろ。飲んだら帰り、誰が運転するねん」  それに車を停める手間を考えたら、河原町界隈では電車のほうがラクや。そういう話を俺がしていると、亨はずいぶん感心したような顔だった。 「酒飲んだら、車運転したらあかんのや」 「知らんのかお前は。そんなん常識やろ。どういう奴なんや……」  俺が罵ると、亨は気恥ずかしそうに苦笑していた。いったいどこの(ぼん)かと、俺は怪しんだ。  けたたましい車輪の軋みをたてて、電車は終着駅に着き、俺らは外へ出た。ふらりとした足取りで、亨は車両を振り返り、元来た道を戻るその列車の行き先表示が、のらくらと『鞍馬』に変更されていく車体の中に、まだ座ったままでいるお婆ちゃんに手を振っていた。お婆ちゃんはにこやかに手を振り返したが、下車する気配はなかった。 「大丈夫か、あの婆さん。ここが終着なんやで」  ボケてんのちゃうかと、俺はちょっと心配になって、亨に呟いた。 「さあ。このまま鞍馬に帰るんとちゃうか」  きちんと白足袋をはいて、黒いビロードの外套をまとったお婆ちゃんの着物の裾模様は、うっすらと雪をかぶった紅葉の残る冬枯れの(かえで)や、常緑の松やった。それは振り返って眺めた鞍馬の山々を写し取ったような、美しい意匠や。  そんな山を見て、俺は思った。この山には昔から、天狗さんがいてはるんやでと、おかんが言うてた。貴船に鮎食いに連れてってもろた時に。山には古い古い神社もあり、霊験あらたかだと。  この山の天狗は、カラスやったはずや。ちょうど、あのお婆ちゃんが着ている外套のように、真っ黒い翼の。 「アキちゃんはさ、あのお婆ちゃんが見えるんや」  にこにこして、亨はそう訊いてきた。
14
いいね
0
萌えた
6
切ない
0
エロい
0
尊い
リアクションとは?
コメント
4件のコメント ▼

おお、なんとなく、幽玄の世界が垣間見えたような……楽しみですね。 私もくらまでらか貴船に抜ける山道、偶に通ります。 天狗いそうですね👺

コメントありがとうございます。 鞍馬山は本当に天狗がいそうですね。私も好きで時々、行楽しに行きます。今回の台風でまた被害が出ないといいのですが。以前、鞍馬駅の天狗さんのお面の鼻が折れたりしましたものね。 紅葉も素敵なので、これから天候の良い時に皆様にも行ってみていただきたい場所です〜

h2otiyo 2018/9/21

何度読んでもグッと引き込まれます。二人がどんな人なのか、少しずつ分かっていくにつれ(いえ、ホントはまだ全然二人がどんな人なのか全く分かっていないのですが)、この三都幻妖夜話の世界の中に引き込まれていく、この最初の部分が最高です。この想いを上手に文に表せないのがもどかしいですが、この最初のお話でグーっとひきつけられて、次は次はとどんどん読み進んでいくのです。毎日少しずつ読みなおし(読み進め)するのが幸せです。今日はここまで。

読んでくださって、ありがとうございます。京都編のこのあたり、アキちゃんまだまだ自分の恋愛感情と向き合えず初々しいですね。私もfujossyさんにUPするために原稿をまた読み返していて、アキちゃんも亨もまだ可愛いもんやなと思って、びっくりでした。出会ったばかりの頃っていいものですね。 京都編を気に入っていただけるかが、この二人の長い物語を最後までお読みいただけるかの分かれ目なので、どうかなあといつも心配してるのですが、ここが好きって言っていただけて嬉しいです。

ともだちにシェアしよう!