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4-1 トオル
アキちゃんと出会うて二週間目に突入した。そして、年末年始進行にも突入していた。
大掃除をする言うて、アキちゃんは朝っぱらからキッチンを片付けまくっていた。寝起きからちょっと気持ちええことしようなんて、そんな甘い話はぜんぜん無かった。
何で掃除なんかすんのと、俺が訊ねると、アキちゃんは起き抜けからいきなり喧嘩腰で、大晦日やからや、お前は大晦日も知らんのかと、まだ裸で布団にこもって、ぬくぬくしていたい俺を、風呂に叩き込んだ。
もちろんそこでも、ちょっと気持ちええことしようなんて、そんな甘い話はぜんぜん無しや。
アキちゃんはどうも、川原で俺といちゃついたことを、相当に後悔しているみたいやった。近寄るとバイ菌でもうつるみたいな潔癖さで、あっちいけと俺を拒み、お前は風呂の掃除をしろと命令口調やねん。
それをどう思う。俺は、つれないと思う。
そして、風呂の掃除をさせるところが、無神経やと思う。
居候なんやし、真面目にお掃除くらいさせていただこうかなあと気合いを入れ、排水溝の掃除をしたら、にょろーっと長い女の髪の毛が出てきて、俺はそれだけで相当に萎えた。いろんな意味で。
アキちゃんはここに半年もの間、あの姫カットの女と半同棲状態だったらしいから、そりゃあほんの一週間と一日前に別れた女の髪がここにあったって、別に変やない。
金持ちのくせにケチなんか、アキちゃんは清掃業者を部屋に入れるのを嫌がってて、いつも自分で掃除をしていたらしい。それでも、バーで酔いつぶれたアキちゃんを俺が連れて帰ってきてやった時、この部屋はかなり綺麗やった。
けど今はどうも、惨憺たる有様らしい。掃除なんかしてへんかったからや。
お前は日中ここにいて、いったい何をやってたんやと、アキちゃんは掃除してない自分のことは棚上げで、俺に説教した。それはどうやら、俺がアキちゃんの留守の間に、掃除しとけば良かったんちゃうかという話のようだった。
俺に掃除しろ言うやつは生まれて初めてや。
正直なところ、俺にはちょっとショックやった。やっぱりアキちゃんは俺のこと、下僕やと思うてる。お役に立ってナンボやと、思われてるのかもしれへん。
ほんならヤバいんちゃうか。掃除も料理も洗濯も、生活に必要なあれこれは、みんなアキちゃんがやっていた。俺はそういうことが全然できないわけやない。ただ怠けてただけ。だって俺、アキちゃんのお客さんやもん。それにアキちゃんは俺のことが好きなんやから、俺に尽くしてくれるはず。そういう気でいたんや。
人はみんな俺に尽くしてくれるものというのが、俺の基本的なスタンスやった。だって実際そうやったから。通常、誰かが俺を好きということは、喜んで俺の足でも舐めるということやった。にこにこ笑って、ちょっと付き合ってやれば、大抵のやつは何でもしてくれたし、一晩シーツの間で一緒に暴れれば、金でも戸籍でもなんでも用意してくれた。
現代の日本は、IDのない奴には住みにくい世の中や。そやから俺は保険証も持ってるよ。免許は持ってへんけど、それには訳がある。俺は写真に写らへん。鏡とか、ビデオカメラにも駄目なんや。せやし写真の要るIDは作らせたことない。
名前も適当なでっちあげで、戸籍を作ってくれたおっさんが考えた。本当の名前が他にあったか、もう、よう憶えてへん。亨という名で、かなり長いこと通してた。それも自分の名やという自覚が、実はあんまり無かったんやけど、この一週間、アキちゃんが俺の名を呼ぶのを聞いていて、俺にも人間らしい名前があって良かったと思た。
なんかこう、満たされる。アキちゃんが、イクときに、俺の名前を呼ぶのを聞くと。
うふっ、と思って、俺はまたひとりでデレデレしていた。そしたら、バーンと風呂場の扉が開いて、鬼みたいな顔をしたアキちゃんが立っていた。
「サボってたやろ、亨」
「サ、サボってた……ごめん。でもな、アキちゃん、排水溝の掃除してたらな……」
俺は怖くなって、しどろもどろに言い訳しようとした。
「言い訳すんな。ちんたらやってる暇ないで。俺は今夜は実家に帰らなあかんのや。松の内は嵐山に居るから」
松の内。それって、七日までってことやんね。最近の人やから。まさか、旧暦で十五日までとかやないよね。どっちにしろ俺は、その間、どないしてたらええのん。
「お前はどうするんや。正月、どっか帰るところがあるんか」
アキちゃんは、むっとしたようなしかめっ面で、訊きにくそうに訊いてきた。
「ないよ、そんなん。俺、ここに居ってええんとちゃうかったん」
またその話に戻るのかと、俺はちょっと青ざめてきた。喜んだと思ったら、またどん底まで叩き落とされんのか。アキちゃんの芸風は激しいなあ。
「居ってええよ。でもな、掃除してて突然気づいたんや。お前、ひとりで十五日も暮らせるか?」
十五日!
俺は唖然として、あわあわ喉を喘がせた。
なんで旧暦なん、アキちゃん。お前ほんまに現代人か。今時の世の中、正月なんて、三が日過ぎたら仕事やで。コンビニなんか元旦から開いてるんやで。みんな正月そっちのけで働いてるんや。
そやのにアキちゃんは、十五日まで正月気分を貪 って、俺をここに放置していこうっていうんか。その間、一目も会われへんのか。それでアキちゃんは平気なんか。なんて薄情なやつや。
「し、死ぬんちゃうか、俺は……」
本気で涙目になってきて、俺はかすかに鼻声になってた。アキちゃんはそれに神妙な顔で頷いた。
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