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4-2 トオル
「そうやなあ。さすがに十五日はな。お前は料理もできへんのやろ。うっかりしてたわ。これから食料とか水の買い出しに行ってきてやるから、お前は真面目に掃除してろ」
「ちょっと待ってアキちゃん、そうやないで、そういう話やないやろ」
風呂場のドアを閉めて行こうとするアキちゃんにびびって、俺はドアに取りすがった。アキちゃんは全然分かってへん顔で、怪訝そうに立ち止まって、けっこう必死な俺の顔と向き合うた。
「寂しくないの、俺と十五日も会われへんのやで。十五日て言うたら、アキちゃんと俺が出会うてから今までよりも長いんやで」
「そうやけど……」
アキちゃんは照れを隠してるような曖昧な顔をしてた。脈があるんかと思って、俺は期待して言葉を待った。
「まあ、平気やろ。俺、絵描かなあかんし。三が日明けて大学が開いたら、帰りに時々寄るから」
「来るんやったら俺も連れて行ってくれたらええやん。アキちゃんが絵描いてる間、おとなしゅうしてるし」
昼間だけでもと、俺はドアノブを握っているアキちゃんの手を握った。
「あかん。お前が来ると、邪魔やから。家でおとなしくしてるか、行く宛があるなら、どっか行ってたらどうや」
アキちゃんは本気らしい口調で、そう言うた。俺はますます、あわあわしてきた。
俺は、本当なら、どこにでも入れるはずやった。鍵がかかってても関係ない。だけど何でかこのマンションには入られへんねん。何か結界みたいなのが張り巡らしてあって、最上階のアキちゃんの部屋を守ってる。その結界に、俺は異物と思われてるらしい。
せやからアキちゃんと手を繋いでやないと、出たり入ったりできへんみたいや。アキちゃんは相当鈍いんか、それには気づいてへん。俺が単に恋しくて手を繋いでると思うてるらしい。まあ、それもあるけど、でもうっかり外か中に取り残されて、目には見えない壁みたいなのに引っかかってジタバタしてるところを見られたら、ほんまにヤバい。アホかと思われるだけやすまへんで。
中にいるとき、俺は実質、ここに閉じこめられてるんや。アキちゃんが連れ出してくれへんかったら、たぶん干上がってまうよ。食いもんや水なんかあっても、俺には関係ないねん。美味いもん食うのは好きやけど、でもそれで命を繋げるわけやない。人の精気を吸わなあかんねん。
えらいことになった。正直に話さへんかったばっかりに、まさか死ぬような目にあうなんて。
「ほんまに、来てくれる? 十六日まで一回も来えへんなんてこと、ないか」
「わからへん。集中したいねん、今描いてる絵に。もうちょっとで仕上がるわ。たぶん松が取れる頃には。そしたらお前にも見てもらいたいから」
そう言うアキちゃんは、なんとなく恥ずかしそうだった。何か仕込んでるらしい。何やろ。すごく気になるけど、俺が今いちばん気になるのは、それを見ることもなく自分が散り果ててるんやないかという嫌な想像やった。
それが、猛烈に怖い。自分が消え失せるんやないかと、考えたことはあんまり無かったけど、でも怖くはあった。それで永遠に命の尽きないように、いつも誰かを貪ってきたんやで。有り余るほど力を付けても、それでもまだ怖いような気がして、もっともっとって、いつも貪欲やったんや。
せっかくアキちゃんが、ずっと居ていいって言うてくれたのに、それがたったの一週間やったら、どないしよう。俺は死んでも、死体なんか残らへんと思う。綺麗さっぱりいなくなった俺が、どこかへ出ていったんやと思って、ここへ戻ってきたアキちゃんは、また傷つくやろう。
そんなん、あんまりや。
しかもそれが、たかが年末帰省のためやなんて。アホか。アホすぎる。
俺はいっそ、言うべきなんやないかと、脂汗が出てきた。
アキちゃん、俺は実は人間やないねん。人の精気を吸うてる妖怪みいたなもんなんや。そやから十五日もここに閉じこめられたら死んでまう。お願いやから時々えっちしに来てください。欲を言えば連れてってください。実家に泊めるのが無理やて言うなら、俺はどっかのホテルにでも泊まっとくから。
と、そこまでシミュレーションして、やっと気づいた。そっか、そうやった。俺も外泊すりゃあええんや。アキちゃんに追い出されたくないばっかりに、この部屋の自縛霊化しかけてたわ。
「あのな、アキちゃん。ちょっと待ってて。俺、電話してくるし」
そそくさとアキちゃんの横をすりぬけて、俺はもの凄い早さで脱衣所を走り抜けた。洗面台のあるそこには、でかい鏡があるからだ。それに俺が写らないことを、アキちゃんに気づかれるわけにはいかへん。いつも上手く誤魔化してきたけど、かなりスリルある。そうまでして一緒に風呂入りたいというのも我ながらどうかと思うんやけど、それはまあ仕方ない。アキちゃんが、やってるとこ鏡で見たいなんていう趣味の持ち主やのうて、ほんまに助かった。
リビングに置きっぱなしにしてあった携帯電話をとって、俺は山ほど登録されてる名前の中のひとつに電話をかけた。しばらく呼び出し音が続いたが、相手は必ず出るはずやった。
やがて電話から、耳に覚えのある五十代くらいの男の声が出た。
「こんにちは。藤堂さん。先日はどうも」
愛想よく挨拶すると、電話の向こうの相手は、ポカーンみたいな息詰まる沈黙やった。
どこにいるんやと、藤堂さんは訊いてきた。それは秘密ですと俺は答えたけど、調べようと思えば調べられるんちゃうやろか。
藤堂さんは、例の、アキちゃんが姫カットに振られたホテルの支配人や。そこのエントランスから、俺はぐでんぐでんのアキちゃんを連れてタクシーに乗った。それだけなら珍しくないことなのかもしれへんけど、俺の顔は目立つし、それに、その目立つ顔が、バックミラーに写らなかったことを、運転手さんは気がついたやろう。クリスマスの怪談やなんて、無粋やったけど、アキちゃんが離れたくなさそうやったから、俺だけ助手席に乗るわって訳にもいかへんかった。だって可哀想やん。
「また急で悪いんやけど、今夜から十五日まで泊めてくれへん? 別にどんな部屋でも贅沢言わへんよ。この時期の京都で部屋に空きがないのは分かってるしな。無理を承知で、そこをなんとか」
調子よう頼んでみたけど、藤堂さんの返事は鈍かった。それでも空きを調べてはくれてるらしかった。内線と話しているような声を、電話が拾っていた。
十一階は無理やと、藤堂さんは済まなそうに言うた。そこはインペリアル・スイートや。そんなんかまへん、普通の部屋でええよと、俺は答えた。そやけどまあ、できればダブルベッドの部屋にしてよ。クリスマス・イブのすっぽかしの、埋め合わせのご奉仕をしろていう事なんやったら。
つい、いつもの軽口で、俺がそう言うたら、後ろでかちゃんと何かが落ちる音がした。
振り返ってみると、床に落とされた車のキーだった。
アキちゃんが出かけるつもりで、鍵を取りに来て、それで落としたんや。
電話の向こうで藤堂さんが何か喋っていた。でもそれは俺にはもう、よう聞こえへんかった。呆然とした無表情でこっちを見ているアキちゃんと向き合うた、自分の心臓の音がうるそうて。
「アキちゃん、いたんや。冗談やねん、今のは」
俺はとっさに言い訳してたが、嘘をついてた。冗談というわけやなかった。
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