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4-3 トオル

 藤堂さんは、俺が好きらしい。でもそれは、俺と寝ると元気が出るからやねん。藤堂さんは癌でな、ほっとくと死ぬらしいで。でもそれが嫌やから、俺に貢いで、ちょっとばかし延命させてもろうてるような次第やねん。アキちゃんとは、全然違う。俺も藤堂さんは優しくて好きやけど、アキちゃんを好きなのとは、全然違うんやで。  あの夜、俺はただボケッと待ってるのも退屈やから、藤堂さんの仕事が終わるまで、バーテンごっこで暇つぶししてたんや。そやけどアキちゃんが寂しそうすぎて、とてもやないけど置いていかれへんかった。後先考えもせず、ここに来たんやで。ほんまは俺がアキちゃんに惚れて、口説いたんかもしれへん。そのほうがずいぶん、自然な話や。  でもアキちゃんはあの時、ほんまに自分から言うたんやで。お前は綺麗やなあ、触ってもええか、って。どろっどろに酔っぱらってたから言えたんやろうけど、そうやって頬に触れてきた手が気持ちようて、俺は(とろ)けそうやった。  それからずっと、ここに居る。アキちゃんが追い出すから、仕方なく、よそに行くんやで。それに、お互い様やん。アキちゃんちの風呂の排水溝からかて、長い髪の毛出てきたで。 「行くか、一緒に」  アキちゃんは、まだ呆然としたまま、ぽつりと訊いてきた。 「行くってどこへ。買い出しなら、もうええよ。アキちゃんが戻ってくるまで、俺もなんとなく生きとくから」  ホテルっていうのは、俺みたいなんが寄生するには、ええところやで。人も入れ替わり立ち替わり、いろんな人がやってくるし、一人旅のやつは一人で飯を食う。ベッドもいっぱいあるし。それに、チェックアウトしたあとの客が、どこぞの竹林で死体になってても、それはホテルの責任やない。ようある話や。傷心旅行して、嵯峨野で自殺、みたいなさ。俺も時々、猛烈に腹の減る時があるねん。  でもそんなやつが、アキちゃんみたいなのと、一緒に暮らそうというのが、そもそも贅沢かな。  夢見たり、夢から醒めたり、ほんま忙しいわ。アキちゃんといると。 「そうやのうて。嵐山に、お前も一緒に行くか」 「なんで。お母さん、びっくりしはるやろ」  俺は怖くなって、それを隠そうと必死で微笑していた。  このマンションの結界を張ったんは、たぶんアキちゃんのお母さんやで。可愛い一人息子に悪い虫がつかへんようにかな。だけどまさか手繋いで入ったら通れるなんて、お母さんにも盲点やったんやろか。アキちゃんにはそれだけの力があるらしいねん。 「びっくりするやろか」  ぼんやりとしたような口調で、アキちゃんは呟いていた。 「でも、いつかはバレると思うねん。前の女のことも、いっぺんも話してへんのに、おかんは知ってた」  アキちゃんはふと、苦笑して俺を見た。 「盗聴とか盗撮とかは、されてないはずなんやけどなあ。誰も部屋に入れてへんし。誰か入ってきてたら、俺には分かると思うねん。そんなんされてたら、ヤバいで、ほんまに。特にこの、一週間は……」  自嘲したような顔で、ため息をひとつついて、アキちゃんは落としてた車のキーを拾った。 「行こか。掃除は、もうええわ。街で遊んで、それから嵐山に行こう。何やったら、街で年越しそば食うてからでもええし、お前が嵐山は嫌なんやったら、どこか別のところへ走ってもええんや」  その話をしているアキちゃんは、すごく苦しそうに見えた。なんて答えたもんやら分からず、俺はぼんやりと黙っていた。手に握ったままでいた携帯電話は、ふと気づくと、まだ通話中の表示になっていた。俺は深く考えずに、その通話を切った。  藤堂さんは、死ぬんやろうかと、ちらっと思った。俺がおらんようになったら、あの人はもうすぐ死ぬんやろうか。それは俺のせいか。ただの運、不運やないか。  仮にも情の通じ合った人の生き死について、そんなふうに思うのは、あまりに薄情という気はした。  そやけど俺も死ぬと思う。アキちゃんに振られたら。お前とは、もう終わったって、そう言われたら、俺も消えてしまうやろう。あの、姫カットの女みたいにさ。  アキちゃんが絵を描いてた、あの部屋から出てきた時にも、あの可愛い女の子は、まだじっと部屋を睨んでた。  うちは、あの絵が欲しかったんやないの。暁彦君が欲しかってん。せやけど、どうにも無理やった。生きてるうちでも無理やったやろけど、死んでもうたら、もう無理なんやね。せやから代わりにせめて、あの絵だけでも欲しかってん。うちの気持ち、分かってくれはるやろ。  はんなりと儚げなように喋る女やった。  ついてきてくれと言う女に連れられて、アキちゃんが行くなと言った裏手の竹林に行ってみると、建物のすぐ下に、恐ろしく降り積もった竹の葉の、すっかり枯れ果てた深い(しとね)があって、その奥底のあたりで、女は骨になっていた。  綺麗な骨やなあと褒めてやると、女は恥じらって、肉のある時にはブスやったんえと、困ったように言うた。それが元でかは、曲がりなりにも男の(なり)をしている口からは訊ねへんかったが、女は世をはかなんで作業棟から身を投げたらしい。誰もそれを見つけへんかった。その割に、幽霊が出るとか、死体があるとか、変な噂が流れたのんは、人の持つ勘というものやろか。  女はいつも、絵を描いてるアキちゃんを見てたらしい。惚れっぽいやつや。また面食いの男に惚れて。その同級生の中でいちばん可愛い()にとりついた。それでまんまと最上階の部屋(ペントハウス)に凱旋したんやけども、取り憑いた娘をしだいに食らいつくすうちに、悪霊と化してきて、おかんのホームセキュリティに引っかかるようになってきた。アキちゃん自身も眩しすぎた。たかが一介の幽霊ちゃんで、ただ恨んで死んだというだけの身では。  可哀想な話やった。  今生の別れに、いっぺんお前の本当の姿を見せてやったらどうやろ。ほんまはどんな相手と半年暮らしたか、アキちゃんは知りたいかもしれへん。そう言うて俺は励ましたけど、女はいややと言うた。うちはほんまにブスやねん。どうせお別れするんやったら、綺麗な女やったと思ててもらいたいんやもん。  そうか。成仏しろよと、声をかけてやると、憎い男と、怨霊は呟いた。そして取り憑いていた可愛らしい顔の女ごと、ほどけるように霧散して、どこかへ消え去ってしまった。  地獄へ行ったんかもしれへん。人ひとり呑んでいったんやったら。  それともまだどこかを彷徨ってるんか。  もしかすると俺もそんなふうにして、生まれたんやろかと、薄暗い竹林の、葉擦れがざわざわ鳴る中で、そう思えた。綺麗な顔やなあとアキちゃんが褒めると、いつも胸が疼いた。  これがほんまの俺の顔やろか。醜かったらアキちゃんは、触れたくなかったろうか。  そうでないといいと思う。もしも、もう、自分でもどんなだったか忘れてしもた、芯のところにある俺のほんまの姿を見ても、それでもあの人が俺の名を愛しゅう呼んでくれたらと、そういう夢を見てる。あるいはその姿が、醜くなければいいがと。  綺麗に浄化されたら、影も形もなくなってしまうような、呪われた身やろうか。そんな体で、アキちゃんのお母さんとこ行って、生きて戻れるんやろかと、ほとほと心配になった。

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