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5-1 アキヒコ
おかんに嘘ついても、どうせバレる。それは昔から分かり切っていることやった。
ごまかしたかて、しょうがない。せやけど何も、全部話す必要はないと、俺はそういう作戦のつもりやった。
嵐山の実家が近づいてくると、亨は目に見えてびくびくしてきて、シートベルトに縛り付けられたように助手席で、帰ろう、帰ろうと、ひいひい言った。
何がそんなに怖いんか、分かるような気もするんやけど、怖がりすぎやろとたじろいできて、俺はもう反応もなくぐったりしている亨を、横目にちらちら気にしながら運転していた。
こいつがぐったりする時って、あるんや。
何回やっても絶倫みたいな色情狂で、やったそばから、もう一回してくれと言うようなやつやった。終わった後でも、なんとのう淫靡 にのたうつだけで、ぐったりしたとこ、見たことない。
「大丈夫か、亨。お前、車に酔うんか?」
まさか吐きはせえへんやろうなと心配になって、俺は亨の紙のように白うなった顔を盗み見た。
「酔わへんよ……」
ぼんやりと、亨は魂を吐くような、口のきき方やった。
「そんなら、どないしたんや。急に静かになって」
「なんや……むりやり犯られた後みたいな感じ……痛いけど、気持ちいいかも、後味すっきり、みたいな」
亨がそこはかとなく、うっとりと言うので、俺は急ブレーキを踏みそうになった。
な、なにを言うとるんや、こいつは。
「アキちゃんと、連続十回くらいやった後みたい」
俺は連続十回もやったことない。そう叫びそうになったが、もう実家の門が見えてきていた。うっかり途方もないことを叫ぶような癖はつけへんようにせなと、俺は必死で押し黙った。
「アホなこと言うとらんと、しゃきっとしろ。もう着くぞ」
嵐山言うても、実家は観光客は絶対来えへんような、山ん中の一軒家や。
先祖代々が受け継いできたらしい、広い家で、近隣の人らからは、お屋敷と呼ばれてるらしい。そこまでの大豪邸とは思わへんのやけど、古びた趣味のええ和風建築やわ。おかんがきちんと手入れさせてるし、古いというても、すみずみまで綺麗で、住み心地はええんやで。
門から入って車寄せで停めると、鍵を引き取りに来た家の者が、懐かしそうに頭をさげた。
「お帰りなさいませ、暁彦さま」
年取って白髪が目立ち始めた作務衣 の男が、にこやかに鍵を受け取った。俺が子供のころからいるその男に、元気そうやなと挨拶をした。
彼は名目上、おかんの弟子ということになってるんやけど、師匠より歳食った弟子って、ありえんのか。でも失礼やから、今までそんな事をぶっちゃけ訊 いたことはない。
「暁彦さま!」
車を預けて、玄関へ続く苔むした石畳を歩いていく道すがら、亨が心底びっくりしたように呟いた。心持ち狭まった通路は、両脇に赤い椿を咲き誇らせていた。
「なんやねん」
そうなんやと訳のわからん事を呟いている亨を引き連れ、俺は小さな手荷物だけを持って、ずかずか行った。
実家に泊まるのに荷物なんか大して要らへん。なんでか意味もなく持ってきたノートパソコンと、例の亨の絵の下絵を描いたクロッキー帳だけが入ってるような、我ながら何がしたいんか分からんような荷物や。
あれと似たもんがある。地震や火事にびびって、なんでか枕持って逃げてきたみたいな。
亨はなにやら嬉しげに支度をしていたが、それでもほとんど手ぶらやった。こいつはうちに居着いた時も、魔法のカード以外の荷物なんて、そのとき着てた服しか持ってなかった。服のサイズは俺のほうが大きいんやけど、それでも亨は一応男や。何の気兼ねもなく、俺のクロゼットから、着られそうなもんを勝手に出して着ていた。女と暮らすみたいに、ものがどんどん増えるようなことはなかった。
そやけど、そんな、いかにも他人の服みたいな格好で、俺の実家に突撃するのは気がひけたんか、亨はクリスマス・イブの日に着てた飾り気もなんもない黒いセーターと、ジーンズと、見るからに品物がいい黒いロングコートを着ていた。やっぱどう考えてもバーテンが着てる服ではなかった。
それを考えると頭が痛うなってきて、俺はくよくよしながら懐かしい玄関の引き戸を開けた。懐かしい言うても前に帰ったのは盆の頃やから、ほんの半年前や。それで懐かしいて思う自分がほんまに情けない。どんだけこの家に捕まってんのか。
「ただいま。おかん、帰ったで」
聞こえるわけないんやけど、子供のころからの習慣で、俺は見事な芍薬 の飾られた玄関と、その奥の黒光りする床の廊下に大声で呼びかけた。そして、暗い赤のペルシア絨毯 が敷かれた上がりかまちに腰掛けて、靴を脱いだ。
亨はその時もまだ、ぽかんとした顔で、大きな黒い梁 が何本も見える高い天井を見上げて、突っ立っていた。
「どうしたんや、亨。ぼけっとしとらんと靴脱げ」
思わずガミガミ言ってから、俺はちょっと嫌気がさしてきた。
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