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5-2 アキヒコ
言葉がきついって昔から誰にでも言われる。おかんは俺の口が悪いのを聞くと、アキちゃんはほんま、お父はんにそっくりやとしみじみ言い、俺はその都度深く落ち込んだ。自分で聞いてても、ずいぶん偉そうやと思う。
特に亨に言う時はそうや。お前は俺のもんやみたいなエゴ丸出しで、こいつも言われてムカつくんとちゃうやろか。だけど、今さら謝るのも変なもんやし。
そう思って俺が顔色をうかがっていると、亨は聞いてへんかったらしい、はっとしたような顔をして、慌てたふうに、にこにこした。
「いい家やなあ、アキちゃん。古いのがまたええわ」
お前それは褒めてるつもりなんか。
確かにうちは、めちゃめちゃ古いで。京都は空襲にもやられへんかったし、この家は江戸時代にはもうあったらしいで。維新の頃に外人のおっさんが来て撮っていったという銀塩 写真が、蔵に残ってた。
そう、蔵まであるんやで。得体のしれんガラクタだらけのホコリっぽい暗闇で、子供のころに悪さすると、俺はおかんにそこに閉じこめられたわ。お陰で今でもあそこは嫌いや。誰もおらんはずの箱の裏から、くすくす笑う声が聞こえたような気がしたりして、ほんまチビりそうやったんやから。
そんな家にお前みたいなんを連れて来ようっていうんやから、俺も相当に頭が変やわ。おかんにまた蔵に閉じこめられるんとちゃうか。二十一にもなった男が、アキちゃん堪忍せえへんえ、なんて、おかんに怖い綺麗な顔で、ぴしゃんと蔵の格子戸を閉められるんや。
情けない。なんでそんな想像してんのやろ。
俺はもたもた靴を脱いでいる亨の隣で、もう脱いでもうた靴を揃えて置きながら、がっくりと肩を落としていた。
「おかえり、アキちゃん」
唐突に声がして、俺と亨はほとんど同時に、うわあと悲鳴をあげた。向き合うような形で身をよじって振り返ると、俺と亨のちょうど間あたりに、着物の上に割烹着 を着たおかんが、にこにこして立っていた。束髪にした黒髪が鬢 の油でつやつやしていて、とても俺みたいなでかい息子がいる女には見えへんかった。まだまだ三十代くらいに見える。
それにおかんは美人や。そう思う俺がどうかしてんのか。
自慢やないけど、俺は小学六年生まで、大人になったらおかんと結婚するんやと思ってたようなアホやった。その話は恥ずかしいんで誰にもしてへん。
亨はぽわんとしたような顔で、にこやかな俺のおかんを見上げ、どことなくもじもじしていた。
「ようこそお越しやす。アキちゃんのお友達の方やろか」
おかんは優しく頭を撫でるような口調で話す。亨はそれに魅入られたように、うんうんと頷き、上ずった声で答えた。
「クリスマス・イブからいっしょに住んでるんです」
俺は内臓を全部吐きそうになった。でも吐かへんかった。そんなことは現実には無理やからや。もし可能やったら、小腸くらいまでは余裕で吐いてる。
「そうなん。アキちゃんがお世話になってます。お名前はなんて言わはるの」
「亨です。えーと……水地亨 」
えーと、って、お前。いかにも偽名ですみたいな名乗り方やめろ。
「亨ちゃんやね。こんな遅うなって、お腹空いたやろ。年越し蕎麦 の準備してあったんえ」
それで割烹着かと、何となく辻褄は合ったが、おかんは典型的なお姫 さんで、料理はでけへん。料理してんのは別の使用人で、おかんは割烹着着て台所をうろうろして、料理してる気分を味わってるだけなんや。昔、俺の運動会に弁当作る言うて、おにぎり作ろうとして、手が熱い言うて泣いてたような人や。蕎麦なんか作れるわけあらへん。
「俺ら、蕎麦は四条 で食うてきてもうたよ」
「まあ。どないしたん、アキちゃん。今までそんなこと一遍もなかったやないの。大晦日は毎年、うちと『行く年来る年』観ながらお蕎麦食べてくれてたのに。いややわあ」
おかんは何の遠慮もなくむくれていた。
変やと思わへんのか、おかん。息子の友達の前で、そういう事すんのは。
「すみません……」
亨でさえぽかんとすんのか、何となく呆然とした口調で謝っていた。おかんはそれに、またにっこりとした。
「気にせんといて。アキちゃんももう成人式済ませたんやもの。いつまでも、実家で『行く年来る年』やないわ。それにもう、年越してしもた。せやから、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしゅう、お頼み申します」
深々と頭 を垂れるおかんに、亨の目は明らかにオタオタしていた。どういうリアクションとっていいか、わからへんのやろ。心配すんな。俺もわからへん。
「さ、おいでおいで。お客様はこちら」
白足袋 が鮮 やかに映える黒廊下を踏んで、おかんはすたすたと奥へ戻り始めた。
俺が大学に進学して家を出て以来、おかんは俺のことを客扱いしていた。元々俺の部屋やったところも、きれいに引き払わせ、帰ってきたら客間に泊まらせている。なんかそれはもう、ここはお前の家ではないというような気配がして、客間の見事な鶴亀の欄間 を眺めて眠るのは、正直寂しい。
長い廊下をおかんは、歩く姿は百合 の花という風情で、さらさらという衣擦 れの音と共に行った。
そして到着した離れの客間の襖 が開くと、そこはまず居間になっており、別室になった寝室の、暗く灯りのない古畳が、細く開かれた襖 の向こうに見えていた。
母はその、杜若 の絵のある年代物の襖 を全部押し開いて、寝室に寝床が伸べてあるのを俺に見せた。
「お布団はふたつ敷かせたえ。悪さしたらあかんよ」
おかんが冗談のように、めっと叱りつける声をたてて笑うのを眺め、俺は顎 が落ちそうやった。そやけど黙って立っていた。半分くらいフリーズ状態やったんちゃうか。
寝室には確かに客用の立派な布団が二組敷かれていた。ぴったり並べて。
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