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5-3 アキヒコ

 なんで二組あんのと、()くべきやったろうか。なんで俺がもう一人、客を連れてくるって、おかんには分かったんや。なんでやと、訊いてみたい。けど、訊きたくない。訊けば何か、俺が二度と立ち直れへんような事を、言われそうで。 「お風呂、入れるえ、アキちゃん」  (あで)やかな笑みで、おかんは俺に、湯を使うよう勧めた。 「いや……ええわ。俺、もう寝るわ」  頭痛いから。それに、明日は朝早いんやから。俺はそんなような事をおかんに答えたような気がする。  ほな、おやすみと、おかんは少し心配げに首をかしげて言い、亨ににこりと微笑みかけてから、静かに音もなく客間を出て行った。  ひたりと(ふすま)が閉じた後も、亨はぽかんとして、おかんが去ったほうを振り返っていた。 「あれ、アキちゃんのお母さんなん?」  ()くまでもないことを、亨は訊いてきた。 「そう言うてたやろ、さっきから何遍も」  むしゃくしゃしてる俺の口調は荒かった。亨はちょっと怖そうに首をすくめた。 「だって。アキちゃん、お母さんが何歳のときの子供なん?」 「知らん。俺はおかんが何歳なんか知らんねん」  ほんまの話やった。人に訊かれると適当に答えてきたが、亨に嘘ついても仕方ない。おかんは人に年齢を問われると、うちは十八どすと、芝居がかった口調ではんなり答えていた。その様子が水揚げもまだな舞妓みたいな可愛い風情で、みんなそれ以上、おかんに歳を訊かへん。俺でさえ訊いたことない。 「知らんて、戸籍とったら分かるやろ」  亨がそんな常識的なことを言うとは思ってなくて、俺は隙を突かれてムッとした。 「うるさい。どうでもええやろ、お前になんの関係があるねん。要らん詮索すんな」  思わず怒鳴る口調になってた。  それは俺の、最大の弱点のひとつやった。  おかんは俺を自分の戸籍に入れてへん。しかも、なんでか、俺を自分の子として認知したんは、さっき玄関で会った、おかんの謎の弟子や。あの人の名が本間さんで、俺は戸籍上はあのおっさんの子ということになっている。おかんの名は母親の欄に載ってるけど、そこにあるのは何故か名前だけで、おかんが何歳なんか、俺は知らん。  本間さんが俺のおとんなのかと、高校の修学旅行の時にパスポート申請のためにとった戸籍謄本を見て、腰が抜けそうになった。それで思わず訊いたら、おっさんはあっさりと、違いますと言うた。戸籍をお貸ししただけですと。  そんなもん、気軽にお貸しするようなもんか。  おかんが言うには、うちの子になるには、血筋の能力を継いでへんとあかんらしい。そして、それによって家を盛り立てていく器量がないとあかん。  アキちゃんが、うちの後を継いでくれるんやったら、名字変えてもろたるからと、おかんはそれが大したことではないように言っていた。  まあいい、それは。たかが名前。本間さんは俺のおとんではない。俺のおとんは鞍馬のカラス天狗。おかんは巫女で永遠の十八歳。こうなったらもう、それでええけど、変やと思わへんのか、誰か。変やろ、それは。俺はずっとそう思ってきた。だから他のところでは、なるべくマトモでいたかってん。  なのに、トドメにこいつか。何で俺は選りに選って、亨みたいなやつとデキてもうたんや。男やで、こいつ。しかも人間やないんや。  八つ当たりとは思ったけど、俺は亨の白い綺麗な顔が不安そうでいるのを、じろりと(にら)んでいた。 「ごめんな、アキちゃん。そんなに怒らんといて。俺、もう、なんも訊かへんし」  亨は居所がなさそうだった。  なんか疲れて、俺は居間の座卓のまえに腰をおろした。磨き上げられた黒檀(こくたん)の天板に、自分の顔が写っていた。  亨はちょっと躊躇(ためら)ってから、隣に腰を下ろしてきたが、なんでか正座していた。緊張してるらしい。他人の家やからか。それとも俺が怒ってるからか。お前のせいやないのに、可哀想なやつ。なんでこいつは、怒らへんのやろ。  亨がまた、手を繋いで欲しがっているような気がして、俺は落ち込んだ。そんなことしてやるつもりが無かったからや。 「寝る」  それ以上何も口をききたなくて、俺はきっぱりと呟いた。  亨は困ったように、目を瞬いていた。  客用の風呂と洗面所は、廊下に出たさらに奥にある。二重硝子の戸の外には、冬の庭が見え、煌々(こうこう)と明るい月がそれを照らしていた。  寝支度をしに、一緒に洗面に行くかと亨を誘ったけど、後でいいというて、ついて来うへんかった。どこにでも付いてくるくせに、なんでやとムッとして、俺は不機嫌にひとりで行った。  とっとと支度して、とっとと寝間着に着替え、俺は勝手に選んだほうの布団を被って、部屋の電気まで消しておいた。我ながら、なんでそんな、餓鬼くさいことをしたんやろ。  欄間(らんま)から欄間(らんま)に漏れる、ほのかな月明かりだけでも、亨は特に困らへんかったんか、遅れて寝支度を済ませてきて、気配も薄く俺のふとんの側の足元に座った。 「アキちゃん、あのな。もう寝てんの?」  布団の下の、俺の脚をゆさぶって、亨は小声で呼びかけてきた。 「これ、どうやって着るんやろ。俺、浴衣って自分で着たことない」  古風なうちでは、いまだに客用の寝間着が和服やった。パジャマでええやんと思うのに、おかんには美学があるらしい。そやから俺も、実家を出るまでは浴衣で寝てた。  亨にパジャマを持ってきてやりゃ良かったと、後悔しながら起きあがって、俺は、こいつがパジャマ着てるとこ見たことないのに気がついた。だっていつも裸で寝てる。この一週間、服着て寝たことが一度もあらへん。  俺はそれが情けのうなって、布団の中で起きあがったまま、眠気のある自分の頭をやんわり抱えた。 「裸で寝りゃええやん、お前はそれが好きなんやろ」  嫌みなような自分の口調を聞き、なんで俺はまだ怒ってんのやろと、自分でも分からへんようになった。亨は困ったように、何とは無しにもじもじしていた。

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