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5-4 アキヒコ

「いや、好きっていうか。ひとりで裸やと、たぶん、普通に寒いで」  もうひとつの客用布団を見やった様子で、亨は恨めしげに答えてきた。 「ほんなら二人で寝りゃええやん」 「マジで?」  亨はびくりとして、心底驚いたらしい声をあげた。  あんぐりしたような気配で、用意された浴衣をだらんと捧げ持っている亨を見てるんが嫌んなって、俺はまた布団に入って、亨に背を向けた。  しばらく考え込むように亨は静止していたが、やがてはっとしたように、持っていた浴衣を放りだして、自分の服を脱いでいるようやった。  そわそわしたような、冷えた体が、脱ぎ散らかした服もほったらかしにして、布団の中に潜り込んできた。背にとりついて、亨は小声で、アキちゃんと俺を呼んだ。様子をうかがうような声だった。  アキちゃんと、もう一度、心細そうに呼ばれて、俺はしぶしぶ亨のほうを向いた。そして間近にある顔に頬を擦り寄せて、ひやりとした亨の肩に両腕を回して抱きしめた。気持ちよかった。それに亨が、微かなため息をもらした。 「脱がしてもいい?」  脱がす気まんまんで、亨は俺の寝間着の帯を解きにかかっていた。しばらく手間取ってから、諦めて、亨は俺の(えり)をはだけさせ、待ちきれないみたいに、素肌の胸に擦り寄ってきた。 「なんもせえへんからな」  俺が(くぎ)()すと、亨はぎょっとした。 「うそ」 「何が嘘やねん」 「このまま寝んの? 嘘やわ、そんな。ありえへんやろ」  亨は俺の(えり)(つか)み、ひそめた早口で切羽詰(せっぱつ)まったように訴えてきた。  お前はそんなことを必死に言うて、恥ずかしないんか。 「ありえへんのはお前や。あの欄間(らんま)が見えへんのか。昔の日本の家はな、音が筒抜けなんや。(ふすま)一枚しかないんやで。しかも上は開いてるし」 「それが……それが何」  亨は泣きつく口調やったけど、言われてることの意味は分かってへんみたいやった。俺は布団の中で、またムッとした。今度はちょっと、言うのんが恥ずかしかったからや。 「何って……。亨、お前はな……うるさいんや」 「えっ」  虚脱したような小声で、亨が答えた。 「うるさいねん。やってるとき。声が。我慢しようとか、ちょっとくらい思わへんのか。出町(でまち)の家は他に誰もおらへんからええけど、ここでは、お前のあれは、ありえへんから」  うっ、と、亨は追いつめられたような声をもらした。 「我慢……しようと、思ったことない。だって……わざとやないもん。夢中やし、自然に声が、出るんやもん」  可哀想みたいな亨のお預け食った顔が、闇に慣れてきた俺の目にも見えた。その綺麗な顔が、恍惚(こうこつ)と上気して(あえ)ぐ時の表情が、ちらりと脳裏に蘇り、俺は慌ててそれを打ち消した。 「また出町に帰ってからな。おやすみ」 「待って、アキちゃん、ちょっと待って!」  寝ようと決め込む俺の耳元で、腕枕されている亨が、息だけで叫んでいた。くすぐったくて、俺は目を閉じたまま苦笑した。 「キスして、キスだけ」  唇を寄せてきて、亨は必死にそう頼んできた。  それが可愛いなと、自然に思えて、俺は困った。なんで、よりによって実家で、こいつとこんな事してんのやろ。なんで同じ布団で寝ろなんて、誘ってもうたんやろ。  亨の裸の背を腕で抱き寄せて、闇にも(ほの)白いような頬に触れ、唇を合わせると、温かい感触がして、肌に触れる肌が、心地よいような懐かしさやった。  ひとりで寝るのが、俺ももう寂しい。お前を抱いて眠りたかってん。  そんなの変やけど。だいたいこの家の人間に、俺を変やと批判できるような、マトモなやつがおるやろか。皆どっか変なんやで、亨。お前も大概変やけど、案外この古い家でなら、ちょっとはマトモに見えるんやないやろか。  亨は神妙なような必死さで、貪る舌に答えてきた。  果たして何日我慢できんのかと、俺はちょっと考えた。松のとれる十六日の朝まで、ここにおるつもりやけど。世間では今時、正月なんて普通は、三が日までなんやで。長い家でも七日までや。それを旧暦で十五日まで正月やなんて、そんなことやってるのは、うちみたいな家だけなんとちゃうか。  四日の朝に、亨と出町に帰る言うたら、おかんはまた、むくれるやろうか。  それでもええかどうか、あと三日ぐらいしてから考えよ。それまでの夜に、俺が我慢できずに亨に声を堪えさせるようやったら、帰らなあかん。こいつが、なんぼでも声出せるところへ。  亨、と、なんとなく言葉にせずに呼びかけると、キスをふりほどいて、亨は切なそうに俺を見た。 「アキちゃん、やばいで俺。触るだけ。ちょっと触るだけ!」  一夜目から挫折する気まんまんの亨が、俺の寝間着の(すそ)を割ろうとしてきた。お前は芸者遊びのエロオヤジか。 「我慢しろ亨。数を数えろ。千まで数えて、それでもまだ我慢でけへんかったら、何かはしてやる」 「何かって何。やめてそんな、期待を(あお)るような言い方せんといて!」  布団の中でもじもじ暴れている亨に、俺は、一、二、三と、最初のとこだけ代わりに数えてやった。  それに大人しく操られたのか、亨はものすごい早口で、ひそひそ数を数え始めた。  俺はしばらく笑いながらそれを聞いてたんやけど、今日の渋滞はものすごかった。日付変わる頃まで四条河原町なんかにいたせいや。八坂神社や平安神宮に二年参りする初詣客の渋滞に捕まってもうて、嵐山に出てくるまで、ずいぶんイライラ気疲れした。そのせいなんかなあ。亨が五百くらいまで数えたのは記憶に残ってるんやけど、そのあとを憶えてへん。  アキちゃん、むごいと、亨が言ってる声を、うっすら聞いたような気はするけど。それは夢か。もしかすると、うちの蔵やら(はり)の上やらに()んでる変なのが、亨の声真似して俺をからかったんかもしれへん。  そういうことにしとこう。一晩くらいは、我慢せな。一年の計は元旦にありって言うやろ。日付変わって、もう元旦やし。今年はどんな年になるんかなあと、俺はぼんやり考えつつ、めそめそしてる亨を抱いて眠った。興奮して、やけに熱い亨の体のおかげで、今年ばかりは、湯たんぽ要らずの夜やった。

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