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6-1 トオル
地獄や。正直、地獄やで、この状況は。
アキちゃんは俺をむらむらさせたまま、鬼みたいに薄情に、ぐっすりお眠りになり、いつも通り早朝に起きた。早めに目が覚めたんで、ちょっとの合間にふたりで気持ちいいことしようみたいな、そんな甘いのは当然のごとく抜きやった。
死ぬ。
こんなことなら、アキちゃんにホロリと来たりせず、藤堂さんのところに行っときゃよかったかと、くらっとした頭で考えた。そしたら今ごろ、あんなことや、こんなことや……。
考えたらあかん俺。気が狂う。悶絶死やで。
気分切り替えて、前向きに考えよ。
だって、アキちゃん昨日も、自分から誘ってきたで。キスもしてくれた。俺が頼んだからやけど。でも一応、アキちゃんからしたで。
それは偉大な進歩や。たとえその後が鬼みたいな生殺しでも。たとえ素っ裸の俺を抱きながら、ぐうすか寝られるという大人物っぷりでも。とにかくミリ単位での前進はしてる。
けどこの調子で十五日までキスだけやったら、俺はつらい。腹が減ってくるで、きっと。
アキちゃんは普通の人間よりはずっと力が強いみたいで、ただ抱き合ってるだけでも何となく力が流れ込んでくるような気がする。せやから、まあ、毎日一緒に寝てくれるんやったら、空きっ腹ながら死にはせんかもしれへんけど。そんなの俺が可哀想。
何か、そういう隙はないものか。どっか、アキちゃんが、ここならまあええかって思って、気がゆるむような場所とかさ。
「今日は、俺はおかんと年始客の相手をせなあかんから、忙しい。お前の相手はしてられへんけど、ここで大人しくしてろよ。飯は誰かが持ってくるはずやから」
「アキちゃんは来えへんのか。俺ひとりで食うの」
裸やと寒いしな、俺は布団の上で仕方なく、寝間着の浴衣を肩から羽織っていた。
「悪いな。俺も一応、跡取り息子やから、暇やないねん」
アキちゃんは悪気はないんやろけど、むっちゃ嫌みな言い方をした。天然なんやで。
どうせ俺は暇や。浴衣も自分では着られへんし。それにお預け食うて欲求不満や。あんまり俺を怒らせたら、お前んちの客を片っ端から食うぞ。それでもええんか、アキちゃん。それが嫌なんやったら、時々顔見にきて、チューくらいしてくれへんか。
そう思って俺は、泣きながら笑った。アキちゃんはそれを、不気味そうに見ていた。
「どうしたんや、亨。頭沸いたんか?」
アキちゃんのその、優しく無さが、慣れるとちょっと気持ちいいような気がする俺は、実はマゾか。そんなん今までやったことないな。いつも俺がご主人様やったからな。これで新しい境地に到達、みたいな話か。アキちゃんの放置プレイが快感に変わる日がいつか来るんか。とりあえず今はまじでツラいで。やることあればまだしも、一日暇っていうのは。
「朝飯は家族だけや。お前もとっとと服着て雑煮食え。着替えが用意してあるはずやで」
アキちゃんはさらりとそう言って、部屋のすみに用意されてた黒漆の浅い衣装箱のほうへ行った。
家族だけという席に、自分も混ぜてもらえるらしいことに、俺はちょっと嬉しくなっていた。
離れて見ると、和装のアキちゃんは案外たくましい背筋ラインをしてて、ああもう勘弁してくださいみたいな感じやった。これは新しい拷問か。美味しそう。今すぐ襲って、食らいつきたいってなるやんか。そやのに、我慢我慢。
「げっ。着物やったわ」
箱の中身を確かめて、アキちゃんが嫌そうに言うた。
「亨、お前、浴衣が着られへんのやったら、着物はもちろん無理なんやろ」
「無理。っていうか、なんで着物なん。アキちゃんいつも洋服やのに」
なるべくアキちゃんを見ないようにする横目で、俺はうじうじ答えた。
「おかんの方針やねん。日本人は和服を着ろという。すまんけど、付き合ったって」
ほんまのこと言うと、俺は着物を自分で着られる。だって、ちょっと前までは、日本の人はみんな着物着てたで。そこを裸で歩いてたわけないやん、いくら俺でも。
嘘ついたんです、昨夜は。構ってもらえるかなあみたいな下心ありありだったんです。
それがあんな放置プレイになるなんてな。
ひどい親子やで、ここのおかんと息子は。
車でこっちに来る途中、なんか急に縛られるみたいな感覚がして、ギャーッ、ってなって、何かこう、中まで全部洗うわよみたいな感じになって、いやあん、みたいな。そんな目に遭わされたんやで、俺は。言葉で説明しにくいが。あれは絶対、アキちゃんのおかんが張ってる結界みたいなもんなんやで。だって玄関先で会った時、おんなじ匂いがしたもん。
あんな生娘 みたいな可愛いおかんがやな、不意打ちで俺を犯すというのに、その息子のほうは、どうぞ犯してみたいな状況にありながら、お前はうるさい、我慢しろ、数を数えろですよ。
殺される。ここの親子にぎったんぎったんにされる。苦しいよう。極楽生活の後の地獄生活は。惨めすぎやで。
もやもやとエンドレス泣き言を頭の中で考えながら、俺がまだ布団の中で体育座りしてると、とっとと着替えたアキちゃんが着物持って戻ってきた。
「俺が着せたるわ」
「アキちゃん」
文句の一つも言うたろと思ってたのに、やっと構って貰えて、俺は必死で甘える声だった。もうあかんのとちゃうか。
「俺、もうつらい。帰りたい。それが無理なんやったら、今夜は何かして」
ぶっちゃけ頼むと、アキちゃんは苦笑の顔になった。
「大丈夫か、お前。色情狂や。病院行け」
俺に着物を着せながら、アキちゃんは何となく恥ずかしそうに罵 った。
「ほんまに、そんなようなもんやで、俺は……」
自分が飢えてる感じがして、俺は眉間に皺 を寄せた。面白そうに含み笑いしてるアキちゃんの首筋を見て、噛みつきたいような衝動が湧き、舌に熱い唾液が絡んだ。
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