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6-3 トオル
キスして欲しいみたいやった。
それにびっくりして、俺は一瞬ぽかんとした。
しばらく待っても、アキちゃんは何も言わへん。
思わずごくりと、喉が鳴っていた。やってもええんや。昨夜は生殺し、今日も一日お預けで、俺は寂しかった。やっと優しゅうしてもらえる。そう思うと、心臓がどきどきしてきて、息が苦しかった。
這い寄っていって顔を寄せると、アキちゃんはやっぱり逃げへんかった。俺は項垂 れてるアキちゃんの顔をのぞきこんで、唇を重ねた。アキちゃんが深いため息をついた。畳の上で手を重ねると、アキちゃんは俺の手を握ってくれた。そのまましばらく、触れては離れるような淡いキスをして、俺は何か考えてるふうなアキちゃんの目を見た。
「どしたん、アキちゃん」
上の空で、何を考えてるのか、アキちゃんは悩んでるみたいやった。
「蔵 行こうか、亨。あそこやったら……そんなに声漏れへんと思う」
恥ずかしいのが辛いみたいに、アキちゃんは小声で誘った。
「そんなこと考えてたんか」
またびっくりして、俺は訊 ねた。アキちゃんにはそれが、批判されてるみたいに思えたみたいやった。
「ずっと考えてた。もうあかん、俺は……頭沸いてるんや」
本気みたいに言うアキちゃんの、呆然とした顔を見て、俺はまた笑えてきた。
そして、アキちゃんの手を引いて、立たせようとした。
「行こう。早く行こう。蔵って、どっちにあるんや」
「でも、あかんわ、亨。なんにもなしでやったら、痛いんやろ」
アキちゃんは急に怖じ気づいたみたいに、立ち上がるのを渋った。なんやろ。欲に負けて口に出したけど、言うたら急に冷静になってきたんやろか。そんなのずるい。
「平気やで。俺、ちゃんと持ってきてるもん」
にこにこして、俺は教えてやった。そして持ってきてた荷物から、ワセリンのボトルを出して見せてやった。アキちゃんは何となく、青ざめたような顔をして座っていた。
「こんなの、いつの間に買うたんや」
「昨日やで。アキちゃんを待ってる間に、大学の駅前のコンビニで買いました。コーヒー買いにいくついでに」
「お前、なんてことしてくれたんや。あのコンビニのバイトはな、ほぼ百パーセント、うちの大学の学生なんやで。お前みたいなな、ド目立ち野郎がそんなもん買うていってな、その後に俺んとこ来て、もし何か変な詮索されたら、どうすりゃええんや」
アキちゃんは本気で怖いみたいやった。臆病者やなあ。そんなに俺とデキてると思われるのが嫌なんか。
「考えすぎやって、アキちゃん。ワセリンは、低アレルギー性のお肌に優しいクリームです。赤ちゃんのお尻にも安心なんやで。何に使うかなんて、誰も詮索せえへん。この人、乾燥肌なんやって、思うくらいやって」
言いながら、真っ青な顔してるアキちゃんが面白すぎて、俺はにやにやするのを止められへんかった。心配症なんやって。実際やましいところがあるから、そんなこと思うんや。
「行こう。どしたん。萎 えたんか」
そういうこともあるかな。アキちゃんはデリケートやから。そう思って俺が苦笑しつつ訊 くと、アキちゃんは青い顔のまま、すっくと立ち上がった。そして、いきなり俺の手を掴 み、部屋から連れ出すと、すたすたと長い廊下を歩いていった。
それが変やと、思ってへんのが、いつものアキちゃんからすると変やった。自分から手つないできたことなんか無かった。せやから、こんなことするなんて、相当キレてる証拠やと思った。
アキちゃんは裏庭に俺を連れて行き、少し離れたところに建っていた、白い土壁の立派な蔵の扉を、懐に持っていた古風な和鍵で開けた。蔵の中はさすがに古びた匂いがしたけど、手入れされてるらしくて、埃 まみれというほどではなかった。
アキちゃんが分厚い鉄扉を閉め、内扉の格子戸まで、ぴしゃんと音高く閉めてしまうと、中は手探りするほどの真っ暗やった。その中で、アキちゃんが俺のそばを離れて、どこかへ行く気配がした。
しばらくして、上のほうで窓が開いた音がした。見上げると、梯子 をかけた中二階があって、空気取りの小窓か、鉄格子をかけた長四角の窓が、ぶあつい漆喰壁 を貫いて、外に通じていた。そこから漏れてくる夕方の光は、外で見たときには淡くかげり始めていたものの、この蔵の中に差し込むと、恥ずかしいくらいの強い一条の光線やった。
アキちゃんが降りてくる気配がないので、俺は諦めて、梯子 をあがり、上まで追っていった。
簡単な床板を張ってある中二階の、細々 とした箱が雑然と置かれている壁際を見つめて、アキちゃんは正座していた。
「昔、悪さしたら、おかんにいっつもここに閉じこめられたわ。夜まで出してもらわれへんねん。いつも、めそめそしながら、この窓から外を見てた。ひとりで怖あてな、早う陽が暮れてきて、おかんが許してくれへんかなって」
アキちゃんは呆然としたように、その話をしていた。
「そうかあ。そんなところで、今日は俺と悪さしようっていうんやから、アキちゃんも、もう、立派な大人なんやで」
俺はからかうつもりでなく言ったが、アキちゃんは眉間に皺 を寄せていた。
「亨」
それでも意を決したように、アキちゃんは名前を呼んできた。
伸びてきた手に、俺は着物の袖 を掴 まれた。外からの光を浴びて浮かぶ、アキちゃんの顔の照らされた反面は、欲情してるっていうより、何か思い詰めていて怖いような感じがした。
「こんなとこで、こそこそ抱いて悪いな」
アキちゃんは真剣に謝ってるらしかった。まるで、女中に手をつける悪い若旦那みたいやな。そう思って、俺はまた笑っていた。
「かまへんよ、アキちゃん。隠れてやるのも気持ちええかもしれへん」
笑って許すと、アキちゃんは強く袖 を引いてきた。そうして俺を抱き寄せて、ただの板張りの床に押し倒しながら、待ちきれないようなキスをしてきた。アキちゃんの息は熱かった。
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