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7-3 アキヒコ

「なんでやのん。どこに良縁が転がってるか、わからへんやないの。ひとりでは生きていかれへんえ。跡取りかて仕込まなあかんのやし」 「そんなん分かってるけど、おかんに探してもらわんでも、自分で探すわ」  俺の隣で、顔を(そむ)けて茶を飲んでいる亨が、どんな(つら)して聞いているのか、ちょっとばかり怖かった。 「そうえ。その話どす」  ぴしゃんと死刑宣告みたいに、おかんはきっぱりと言うて、(はし)を置いた。  ごくりと俺の喉が鳴った。亨が、(こら)えてたらしい(せき)を、(こら)えられんようになったのか、とどめに一回だけした。 「とにかく、それ、食べてしまいなはれ。亨ちゃん、あんたは、客間で待っといとくれやす」  おかんが優しくそう指図すると、亨はなんとなく青い顔して、こくりと(うなず)いていた。こいつが素直にいうこと聞くなんて、さすがはおかんと言うべきか。  おかんは特別なにか強いことを言うわけではないのに、人を使うのが上手くて、おかんの客としてやってくる偉いおっさんたちも、結局は下手(したて)におだてるおかんの甘い口車に乗せられ、なんでもしてくれるような気の毒な連中や。  俺に絵を依頼した大崎先生なる爺さんも、本音では、おかんが喜ぶと思って、欲しくもない俺の絵を買おうというんではないかと、俺は疑っていた。  そういう俺も、おかんに指図されたら、ぐうの音も出えへん。食えと言われて、食欲もないのに、なにを食ったかわからんような案配で、純和風の朝飯を平らげた。  その俺とおかんが、母屋の奥にあるおかんの部屋へ行くのを見送る亨は、この上なく哀れっぽかった。まるで俺がいない間に、自分は肉屋に売られるみたいやった。  アキちゃんと、亨は物言いたげに俺の名を呼んだが、結局それ以上はなにも言わず、客間へどうぞとすすめるおかんの言う通りに、とぼとぼ離れに戻っていった。 「アキちゃん、あの子はどこで(ひろ)たんや」  すたすたと姿勢よく廊下の先を行きながら、おかんは世間話みたいに(たず)ねてきた。  嘘ついてもしゃあない。俺は居直るしかなくて、ホテルのバーで会うたんやと正直に吐いた。 「そうか。あんたは、あの子は変やと、思わへんのんか」  ちらりと肩越しにふりかえって俺を見る黒い裾模様の着物のおかんは、髪に()した正月用の鶴に梅のかんざしが(あで)やかで、綺麗やった。 「どこか変やろか」  俺はとぼけた。真顔で。  確かに亨は変やと思うけど。別にええやん。そんなん、おかんに関係あらへん。そういう気がして、そう答えただけで、俺は嘘言うたつもりはなかった。  聞いたおかんは向き直りざま、にこりとした。いや、ニヤリとしたんかもしれへん。顔が可愛いから分からへん。でも、うちのおかんは案外、怖い女なんやないかと、その瞬間には思えた。  おかんはその後、結局なんにも話を継がず、部屋に着くと床の間を背にした上座に座って、俺にも、どうぞお座りやすと下座をすすめた。 「アキちゃん、あんたももう子供やないわ」  おかんは、ずばり言うけどみたいな口調で、その通り、ずばっと言った。その言葉が自分の胸に突き刺さった気がして、俺はくらっと来た。座ってなかったら、絶対よろけてる。おかんが何のことを言うてんのか、直感的にわかったんや。  俺が亨と寝てること、おかんは知ってんのやな。そらそうやな、せやし布団もぴったりくっつけて、二組敷いてあったんやもんな。  俺かて、そこまで鈍くない。おかんにバレへんて思うほどアホでもないんや。おかんは何でもお見通し。今までずうっと、そうやったんやもん。 「ほんまに、あんたは小さいころから、ええ子みたいやのに、うちの言うこと全然きかへんと、悪さばっかりして。ほんまにもう、かなわん、悪い子ぉやわ、アキちゃん」  切々とおかんに愚痴られて、俺は絶句していた。そういう時になんか丁度(ちょうど)いいリアクションあったら教えてくれって感じや。土下座したいというか、泣きたいというか、何しても無駄みたいな、気絶寸前五秒前って感じやったで。 「そういうことなら、あんたももう、自分がどういう人間か、知っとかなあきまへん。普通の人のふりして、生きていくんやないんやったら、今さらながらに、それ相応(そうおう)の修行も積まなあかん」  修行ってなに、おかん。修行って。修行ってなんや。俺は頭ん中で悲鳴みたいにぐるぐる絶叫してたけど、それも口を突いては出えへんかった。たぶん怖すぎたんや。おかん、朝から何言うてんねんと思えて。 「なんでなん、アキちゃん。なんで今さらそんなんやの。あんたは何から何までお父さんにそっくりやな。遅いんどす、いちいち」  ちょっと悔やんだふうに、おかんはここには居てへん誰かを責める口調で可愛く愚痴り、それから何かを差し招くような仕草をした。すると誰の気配もしない廊下から、唐突に、はあい奥様ただ今と答える女の声がした。  すうっと(ふすま)が開き、俺は座ったまま飛び上がりそうになった。見たこともない女の子が立っていた。赤い椿(つばき)の柄の白い着物着て。肩を過ぎたあたりで切りそろえた黒髪がまっすぐで、俺は一瞬、この前別れたばかりの女が、着物着て現れたんかと思った。  でも、その女の子はもっと活発そうやったし、年ももうちょっと若かった。見たとこ十七歳かそこらで、古いアルバムらしい、赤い革表紙の真四角の本を捧げ持っていた。

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