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7-4 アキヒコ
「舞 ちゃん、お疲れさんどす。うちの息子に見せたっておくれやす」
誰やねん、この娘 と、唖然と見上げる俺に、舞ちゃんなる女の子は、にっこりと笑って隣に座り、アルバムを開いてみせた。それでも俺はなんとなく、彼女のにこやかな顔から目が離せなかった。めちゃめちゃ可愛かったからや。今まで、おかんは何度も発作みたいに、俺に見合い写真を押しつけてきたが、その中にはこんな娘 はおらへんかった。
もしもっと前に、この娘 が晴れ着着た写真をおかんが持ち出してきて、アキちゃんこの娘とお見合いしなはれ、ちょっと会うて美味しいもん食べてくるだけでええのえと言うたら、案外俺は、うんと言うたかもしれへんという、嫌な予感がした。
と、亨……と、俺は客間にいるあいつに呼びかけた。ごめん。決して悪気はないねん。でも、しゃあないやろ、めちゃめちゃ可愛いねんで、この娘 。
「アキちゃん、どないしたん。見忘れたんか、舞ちゃんやで。小さいころは、よう一緒に遊んでたのに」
おかんは俺の薄情を責める口調やった。
「薄情どすなあ、若様」
正座してる俺の腿 をつねるかのような口ぶりで、椿柄の女の子は隣で言うた。
知らんで、俺。こんな娘 。それに何でか、いやな汗出てきた。
「……なんやったら、今からでも遅うないえ、アキちゃん。こうなったらもう、舞でもええのや。どこの馬の骨ともしれんようなのよりは」
「いや、なんやって。なんの話やねん、おかん」
にこにこしてる女ふたりに睨 め付けられて、俺は思わず後じさって逃げそうになった。
亨。亨も連れてくればよかった。まずいんやないか、今の俺、相当ヤバいんちゃうか、状況的に。
俺以外に気を向けんといてくれって、さんざん泣きついたくせに、お前はこれかみたいなのを亨が見たら、あいつはどう思うやろ。怒るんやったら、まだええよ。でも、なんか、あいつは、何も言わんと、ふっと居なくなりそうで、怖いんや。どこも行かんといてくれ、亨。ほんまにごめん。俺もう、この娘 の顔は見ないから。不実な俺を堪忍してくれ。
そう思って、それでも舞ちゃんの顔をつい見ると、さっきまであった可愛い顔が、なくなっていた。のっぺらぼうやねん。
俺は腰抜けそうになって、さすがに正座を崩した。おかんもびっくりしたらしく、まあと小さく叫んだ。
「いややわ、奥様。うちの顔がのうなってしもた」
白い両手で顔を撫でて、口もないのに、舞ちゃんは喋っていた。それはどうも、音に聞こえる声ではないらしかった。俺は顔面蒼白でそれを見た。ざあっと血が下がるのが、自分でもわかった。
「なんてことするんや、アキちゃん。可哀想やないの」
咎 めるおかんの声に、俺は内心、だらだら脂汗をかいた。舞ちゃんは床にアルバムを放り出して、顔を覆ってうな垂れ、めそめそ泣き声をあげていた。
「泣かんでええよ、舞。うちが後で治してあげますよって。お庭へ行っとり」
おかんに慰められ、舞ちゃんは哀れっぽく頷 いて、とたとたと小走りに、おかんの部屋の座敷を出ていった。襖 も開けずに。その、古びて鈍色になった金箔の襖を、破りもせずに通り抜けていき、すうっと消えてしまった。
あんぐりとして、俺はそれを見送った。
「悪さしたらあかん、アキちゃん」
めっ、と、おかんは叱りつける声で俺を咎めた。あんぐりしたまま、俺はおかんの困った子やという顔と向き合った。
「な……なんや、あれ、おかん」
「なんやや、あらしまへん。舞はうちの式 どす。あんたの好きずきで、勝手なことせんといておくれやす。そういうのは自分のにだけにしなはれ。まったく我が子ながら躾 がなってないわ。お恥ずかしいこと。うちはあんたを甘やかしすぎたんやなあ」
くよくよ言って、おかんは眉間に皺 を寄せた痛恨の表情で、床に開いたまま落とされていたアルバムを指さした。それでやっと、俺はそこに貼られていた、一枚の大きな白黒の写真に目を向けた。
それは、昔の軍人の写真やった。日本史の資料集とかに載ってるようなやつや。白黒やからわからへんけど、たぶん赤かと思える、豪華に束ねられたビロードの幕を背景に、サーベルを床に立て、その柄に両手を乗せた軍服の若い男が、ぴんと背筋も正しく椅子に腰掛けて、どこか遠くを見つめる目をしていた。いかにも時代がかった写真やった。
その男の顔が、びっくりするくらい自分に似てることに、俺は気づいて、軽く息を呑んだ。
「あんたのお父さんどす」
おかんは、けろりとしてそう教えてきた。
これが、鞍馬 のカラス天狗 か。どう見ても、昔の軍人やで。海軍の、白い軍服着て、肩章に金モールついてる、まあまあ偉い人っぽいで。やっぱり人間やったんやないか、おかんと、俺は一瞬ツッコミかけたが、すぐに気づいた。計算が、めちゃめちゃ合わへんことに。
この人、どう見ても旧日本海軍の人やで。それって、いつの話なん。俺が二十一やから、おかんが妊娠してたんは、二十二年前やろ。戦争終わったんは、七十年以上も昔なんやで。
それとも、これ、コスプレか。俺のおとんは、そういう人やったんか。
一瞬、そんな目眩 がしたけど、アルバムの写真は、ほんまに古いもんに見えた。こころもち黄ばんで、色も褪 せてきていて、写っている男の輪郭は、淡くぼやけ始めている。
「見たら、閉じといておくれやす。昔の写真やから、光に弱いんどす。それ一枚しかないんえ」
心なしか急かすように、やんわり言うて、おかんは俺にアルバムを閉じさせた。そして、軽くため息をもらした。
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