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7-5 アキヒコ
「ほな、何から話そうか。あんたが聞きたいことからにしよか、アキちゃん」
「……突然すぎて、何から訊 いてええか、わからへんわ」
この人、カラス天狗ちゃうやんと訊 きそうな無粋な自分を感じて、俺はおかんに話を任せた。
「あんたのお父さんはな、大きい声では言われへんけど……うちの兄やってん」
俺はまた、内臓を吐きそうになった。今度は大腸まで余裕やで。
なに言うてんの、おかん。確かにカラス天狗やていう話のほうが何倍もましやで、それは。
「お兄ちゃんはな、ほんまに惚れ惚れするほど、男前どした。うちはお兄ちゃんに惚れてましたんや。この世にお兄ちゃんほど好きな男はんはいてまへんでした。でもまさか、向こうもそうとは、夢にも思わへんかった。でもなあ、いよいよ出征という時になってな、暑い夏やったわ。お兄ちゃんは、うちが好きやと言わはるねん。よくよく考えたが、この世でお前より好きな女はいてへん、今生の終わりに、お前と子を成したいて、言わはって……えらいことどしたわ、貴船 の神様もご笑覧やったやろ。せやけど、お兄ちゃんは、もう死ぬお覚悟やったんえ。そういう時代やってん、アキちゃん」
おかん、いったい何歳やねんと、俺はぼんやりした頭ん中で、ツッコミ入れてた。でもそれは、どうでもええことやったやろうか。無茶苦茶な点が多すぎて、どこからつっこんだらええか、わからへん。
「皇国のために戦うけど、死ぬときはお前と息子のためや言うてくれはってな。それでうちも、神罰当たって死んでもええわと思たんや。おかしいやろか、アキちゃん。それはあんたにとって、恥やろか」
恥やろか、って、おかん。恥かどうかもそうやけど、大丈夫なんか、俺は。おかんと、さっきの写真のサーベル男は、ほんまに実の兄妹なんか。出征って、それ、第二次世界大戦のことか。
「結局、ほんまにお兄ちゃんは外つ国 の、海神 のお気に召したようでな、帰ってきはらへんかった。うちは悲しかったけど、仕方ありまへん。それに泣いたのは、うちだけやあらへん。そういう世の中やったんえ」
「おかん、その話はいくらなんでも、変やわ。おかんがその、貴船 でどうのこうの……それはいくら最近でも、1945年とかやろ。俺も学校で日本史は習ったで。俺は今年、二十一なんやで。その、五十年くらいの時間は、どないなってんの」
俺は思いきって訊 いた。おかんが、ちょっと頭変なんは、昔から覚悟してた。それが、実際どのくらい変なんかを、確かめる勇気はなかったけど、こういう話になったからには、ええ機会やと思った。話題も話題やし、訊 かずにおれへん。
「産むの、我慢 してましてん」
おかんは、にこりとして、けろっと言った。ああ、そうなんやと、素直に相槌 打ちたくなるような、あっけらかんとした告白っぷりやった。
「我慢 て……」
俺は呆然と、そう繰り返しただけで、精一杯の気分やった。
「だって、人に知れたら、堕 ろせ言われるかもしれまへんやろ。うちは、それは嫌やったんや。大好きなお兄ちゃんの子や、なんとしても、産みたかったんどす。それでな、五十年も経ったし、偉い御方たちも、もはや戦後やない言うてはったし、もうばれへんやろと思て、あんたを産んだんどす。それであんたは、ひとりっ子なんえ」
ひとりっ子部分はどうでもええやん、おかん。それ全然、重要な話ちゃうで。なんでそれが結論みたいになってんねん。兄弟おらんで堪忍えという顔つきでいるおかんに、俺は愕然 としてきた。
「おかん……何歳やねん」
「うちは十八どす」
にっこり艶 やかに笑って、いつも通り答えるおかんに、俺は身悶えたかった。そうやないねん、ほんまは何歳かっていう話やんか。おかんもそれを察してはいるらしく、多分ものすごい情けない顔でいる俺を見て、くすくすと笑った。
「ほんまにな、十八のつもりなんえ、アキちゃん。お兄ちゃんとお別れしたとき、うちは十八やったんや。親戚筋の殿方に、お嫁入りも決まってましてん。せやけど、その許嫁も戦争で死んでしまわはった。それでうちが独身のまま、秋津の家を継いだんどす。もうずっと昔の話やけど、もしお兄ちゃんが何かの拍子 に、ふっと戻ってきはったら、あの時のままのうちでお出迎えしたいと思えてな。トシとるの、忘れてしもたわ」
けろりと言って、ちょっと寂しげに笑うおかんの顔は、俺を見つめて愛しそうでいる亨の笑みと、どこか似ていた。
俺がなんで、あいつを一目見て好きやったか、それはあまりに無茶苦茶な話やと情けなく思えた。俺はどこまで、マザコンなんやろ。亨にバレたら、それはさすがに怒られるやろか。
怒ってくれたらええのにと、俺には思えた。アキちゃん、むごいわといって、あいつが怒ったら、俺もごめんと言える。俺が一番好きなのは、お前なんやから、許してくれって。
「さっきの……あのサーベル男な。俺の、おとんやて言う。あいつは……おかん、なんて名前なんや」
俺は怖々 訊 ねた。おかんは、にっこり首をかしげた。言おうか言うまいか、迷っているような、躊躇 い顔やった。
しかし、おかんは、結局俺に教えた。こっそり秘密を囁くみたいな小声で。
「秋津暁彦 や、アキちゃん」
「……それは、あんまりやで、おかん。無茶苦茶すぎる話や」
やっぱりと思える怖い答えを返されて、俺は内心、泣きそうやった。
「俺は、いったい、誰やねん。おかんの、何やねん。なんで本間さんに名前借りたんや。俺では足りんということか。その名前で生きていくには、不足があるって言いたいんか」
「不足はあらしまへんえ。あんたは、お兄ちゃんの生まれ変わりか、それ以上やわ。足りひんのは、覚悟やないか。うちの子やという、秋津の家を継ぐんやていう、その力と生きていく覚悟が、あんたにはないんとちがうやろか」
優しい、厳しい目で、おかんは俺を見ていた。
「うちのせいや、アキちゃん。うちにはあんたが、可愛い可愛いてな、お友達と違うのは嫌や言うて泣くのが、可哀想て、しかたなかったんどす。女親だけやと、男の子はあかんのやろか。どうやって戦ったらええか、あんたに教えてやられへんかった」
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