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7-7 アキヒコ
「ご……ごめんな、舞ちゃん」
思わず謝ると、舞ちゃんは座り込んだまま、しなを作って、儚 げに俺を見上げた。
「また近々帰ってきておくれやす、若様。うちの顔がお嫌なんやったら、このままのっぺらぼうでええから」
「いや、嫌いなんやないで、お前は可愛いよ」
可愛かったよ、と言うか。
たぶん、縋 り付く風情で俺を見上げてるらしい、舞ちゃんの何もない顔と、俺は見つめ合った。たぶんこのへんが目やろうという辺りと。舞ちゃんはそれに、頬を赤らめていた。どんな顔してんねん今。
「可愛いやなんて、うち恥ずかしい。でも嬉しおす。うち、ほんまはずっと若様のこと好きやってん。何やったら、うちも出町柳 に連れてっておくれやす。いろいろお役に立てますえ」
すりすり足元に寄ってきて、舞ちゃんは俺をかき口説いた。ヤバいってそれは。顔無くて良かったで、ほんまに。もろに俺の好みのタイプやったし、それに着物姿なんやもん。
「いや、それはまずいよ。ほんまにまずいから、舞ちゃん」
「なんでどす。若様はうちがお嫌いなんや。どうなってもええとお思いなんや」
「いや、そんなことない。嫌いやないけど……でもちょっと待ってくれ、待っ」
気づくと脚にがっちり抱きついている舞ちゃんを、引き剥 がそうとして、俺は気づいた。廊下の向こうに、なんともいえん顔した亨が突っ立っているのを。
げふっと喉 が鳴ったような気がした。亨が、泣こうか、怒ろうか、みたいな表情やったからや。
「アキちゃん……なにやってんの」
ぼんやりとしたような声で、亨が訊 いてきた。
なにって、何やってるんや俺は。
「なんもしてへん、亨。お前んとこに戻ろうとしてたんや」
きっぱり答えたつもりが、俺の声は明らかに上ずっていた。舞ちゃんが全然離れてくれへんかったからや。
「アキちゃん……そんな顔もないような女のどこがええんや。体が女やったら顔なんかのうてもええんか」
亨はどうも、怒るほうに転んだようやった。わなわなしながら、そこはかとなく怖い形相 で、それでもまだ泣きそうなような顔はして、遠目から睨 んだまま俺をなじった。
「そんなん当たり前やわ、亨ちゃん。うちの息子は元々そんな趣味はあらしまへんえ。あんたも悔しかったら、女になってみなはれ。でけへんのか」
ひょっこり座敷から顔出したおかんが、亨にそう言った。亨はそれに、見るからにガーンみたいなリアクションやった。
「できんのやない! やりかた忘れただけや。それにアキちゃんは、そんなん関係ないて言うてます。俺が好きやって言うてたもん」
「ああ……そうなんやったら、まあよろし。せっかくうちが、変転 のこつを教えてやろかと思うてたのに。残念どすなあ」
わざとらしく首をふりつつ、おかんは座敷に戻ろうという素振りを見せた。
それに亨は、さらにガーンみたいなリアクションやった。
「やりかた知ってんのか、おかん!」
「誰があんたのおかんや。せめてお母様と呼びなはれ、お母様と!」
「お母様!!」
恥はないのか、亨は命令されたとおりに呼んでた。
俺はなんか、その有様に、気が遠くなってきた。
たったの今さっき俺を激しく袖 にしたおかんが、亨と嫁姑 状態でぎゃあぎゃあ言い、それを呆然と見てる俺は、もとカラス天狗のサーベル男の写真を抱きながら、顔のない美少女に腰に頬ずりされてる。しかもここが俺の実家や。これが俺の家族なんやと思ったら、ものすご逃げたくなった。けど、逃げ場はなかった。なんや知らんけど、自分で選んでもうた道や。
取り消せへんのかな、今からでも。
何とかならんのか、これ。
何とかしてくれ、神様でもなんでもええけど、そういうのがいるんやったら。
俺が内心、半ば本気でそう祈っていたら、廊下の天井板の上から、無理やなあちょっと、ごめんなあ、という、おっさんみたいな声がした。答えんでええねん、神様。ほんまに呼んだんちゃうから。黙っといてくれ。
ていうか、この家どないなってんねん。頭が割れそうに痛い。
「俺、帰るから。もう行くで、待たへんで、亨!!」
若様若様言うてるのっぺらぼうを、なんとか引き剥 がして、俺は廊下を早足に行きながら、ふりかえって呼んだ。亨はそれにぎょっとしていた。
「待ってぇな、アキちゃん。こんな化けモン屋敷に俺を置いていかんといて!」
「まあ、なんて失礼な子やろ。自分のことは棚上げで」
慌てて走ってくる亨のことを、おかんが眉をひそめて批判していた。舞ちゃんは、よよと床に泣き崩れているっぽかったが、顔がないから今イチわからへんかった。
亨がなんやって、と、一応気にはなったけど。それはもういい。亨が何でも、この際どうでもええわ。俺かて人のこと、とやかく言える素性やないらしいんやから。割れ鍋に綴 じ蓋 やろ。
とにかくさっさと帰ろう。俺はそう思って、客間に荷物をとりにいった。まだ二日やけど、三が日すぎるまでこの実家におったら、俺の頭までおかしなる。
せやし早よう帰らな。自分の縄張りへ。
そう思って、俺は亨の手を引いて、ものすごい早さで実家の長廊下を渡った。亨はちょっと照れくさそうに、それでも帰れるんが嬉しいんか、にこにこして付いてきた。
ガラス窓から見える庭には、赤い椿が咲き乱れていて、早朝降ったらしい、うっすらと積もる雪の上には、子供用の下駄のあとらしい小さな歯のあとが、点々と残されていた。それは例年の、でも、去年までとはヤバい感じに何かがちがう、俺の実家の元旦の景色やった。
――第7話 おわり――
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