30 / 43

7-7 アキヒコ

「ご……ごめんな、舞ちゃん」  思わず謝ると、舞ちゃんは座り込んだまま、しなを作って、(はかな)げに俺を見上げた。 「また近々帰ってきておくれやす、若様。うちの顔がお嫌なんやったら、このままのっぺらぼうでええから」 「いや、嫌いなんやないで、お前は可愛いよ」  可愛かったよ、と言うか。  たぶん、(すが)り付く風情で俺を見上げてるらしい、舞ちゃんの何もない顔と、俺は見つめ合った。たぶんこのへんが目やろうという辺りと。舞ちゃんはそれに、頬を赤らめていた。どんな顔してんねん今。 「可愛いやなんて、うち恥ずかしい。でも嬉しおす。うち、ほんまはずっと若様のこと好きやってん。何やったら、うちも出町柳(でまちやなぎ)に連れてっておくれやす。いろいろお役に立てますえ」  すりすり足元に寄ってきて、舞ちゃんは俺をかき口説いた。ヤバいってそれは。顔無くて良かったで、ほんまに。もろに俺の好みのタイプやったし、それに着物姿なんやもん。 「いや、それはまずいよ。ほんまにまずいから、舞ちゃん」 「なんでどす。若様はうちがお嫌いなんや。どうなってもええとお思いなんや」 「いや、そんなことない。嫌いやないけど……でもちょっと待ってくれ、待っ」  気づくと脚にがっちり抱きついている舞ちゃんを、引き()がそうとして、俺は気づいた。廊下の向こうに、なんともいえん顔した亨が突っ立っているのを。  げふっと(のど)が鳴ったような気がした。亨が、泣こうか、怒ろうか、みたいな表情やったからや。 「アキちゃん……なにやってんの」  ぼんやりとしたような声で、亨が()いてきた。  なにって、何やってるんや俺は。 「なんもしてへん、亨。お前んとこに戻ろうとしてたんや」  きっぱり答えたつもりが、俺の声は明らかに上ずっていた。舞ちゃんが全然離れてくれへんかったからや。 「アキちゃん……そんな顔もないような女のどこがええんや。体が女やったら顔なんかのうてもええんか」  亨はどうも、怒るほうに転んだようやった。わなわなしながら、そこはかとなく怖い形相(ぎょうそう)で、それでもまだ泣きそうなような顔はして、遠目から(にら)んだまま俺をなじった。 「そんなん当たり前やわ、亨ちゃん。うちの息子は元々そんな趣味はあらしまへんえ。あんたも悔しかったら、女になってみなはれ。でけへんのか」  ひょっこり座敷から顔出したおかんが、亨にそう言った。亨はそれに、見るからにガーンみたいなリアクションやった。 「できんのやない! やりかた忘れただけや。それにアキちゃんは、そんなん関係ないて言うてます。俺が好きやって言うてたもん」 「ああ……そうなんやったら、まあよろし。せっかくうちが、変転(へんてん)のこつを教えてやろかと思うてたのに。残念どすなあ」  わざとらしく首をふりつつ、おかんは座敷に戻ろうという素振りを見せた。  それに亨は、さらにガーンみたいなリアクションやった。 「やりかた知ってんのか、おかん!」 「誰があんたのおかんや。せめてお母様と呼びなはれ、お母様と!」 「お母様!!」  恥はないのか、亨は命令されたとおりに呼んでた。  俺はなんか、その有様に、気が遠くなってきた。  たったの今さっき俺を激しく(そで)にしたおかんが、亨と嫁姑(よめしゅうとめ)状態でぎゃあぎゃあ言い、それを呆然と見てる俺は、もとカラス天狗のサーベル男の写真を抱きながら、顔のない美少女に腰に頬ずりされてる。しかもここが俺の実家や。これが俺の家族なんやと思ったら、ものすご逃げたくなった。けど、逃げ場はなかった。なんや知らんけど、自分で選んでもうた道や。  取り消せへんのかな、今からでも。  何とかならんのか、これ。  何とかしてくれ、神様でもなんでもええけど、そういうのがいるんやったら。  俺が内心、半ば本気でそう祈っていたら、廊下の天井板の上から、無理やなあちょっと、ごめんなあ、という、おっさんみたいな声がした。答えんでええねん、神様。ほんまに呼んだんちゃうから。黙っといてくれ。  ていうか、この家どないなってんねん。頭が割れそうに痛い。 「俺、帰るから。もう行くで、待たへんで、亨!!」  若様若様言うてるのっぺらぼうを、なんとか引き()がして、俺は廊下を早足に行きながら、ふりかえって呼んだ。亨はそれにぎょっとしていた。 「待ってぇな、アキちゃん。こんな化けモン屋敷に俺を置いていかんといて!」 「まあ、なんて失礼な子やろ。自分のことは棚上げで」  慌てて走ってくる亨のことを、おかんが眉をひそめて批判していた。舞ちゃんは、よよと床に泣き崩れているっぽかったが、顔がないから今イチわからへんかった。  亨がなんやって、と、一応気にはなったけど。それはもういい。亨が何でも、この際どうでもええわ。俺かて人のこと、とやかく言える素性やないらしいんやから。割れ鍋に()(ぶた)やろ。  とにかくさっさと帰ろう。俺はそう思って、客間に荷物をとりにいった。まだ二日やけど、三が日すぎるまでこの実家におったら、俺の頭までおかしなる。  せやし早よう帰らな。自分の縄張りへ。  そう思って、俺は亨の手を引いて、ものすごい早さで実家の長廊下を渡った。亨はちょっと照れくさそうに、それでも帰れるんが嬉しいんか、にこにこして付いてきた。  ガラス窓から見える庭には、赤い椿が咲き乱れていて、早朝降ったらしい、うっすらと積もる雪の上には、子供用の下駄のあとらしい小さな歯のあとが、点々と残されていた。それは例年の、でも、去年までとはヤバい感じに何かがちがう、俺の実家の元旦の景色やった。 ――第7話 おわり――

ともだちにシェアしよう!