35 / 43
8-5 トオル
そやけど色々計算したみたいやった。
エントランスの二重の自動ドアは、ガラスやけど、スモーク加工で、その合間にいる俺らは、中からも外からも見えはしてへん。それに、俺はビデオカメラには映らへん。誰も見てへん、みたいなな。
それで、俺を睨 んだまま、深いため息ひとつついたのが、アキちゃんの結論やった。
「いいよ。やったろうやないか」
売られたケンカは買ったろうやないかというノリで、アキちゃんは俺の首根っこを掴 み、引き寄せてキスをした。触れるだけのそれに、俺は抱きついて応えた。
なんで今ここで、そんな素 っ気 ないキスやねん。憎いわアキちゃん。逃がさへん。
そう思って俺が挑 みかかると、アキちゃんはじたばたしていた。それでも、知らんかったけど、俺のほうが力が強いらしかった。逃げられへんアキちゃんが面白うなって、俺は唇を合わせたまま含み笑いした。そして、なんとなく周りを見るうちに、はっと気がついた。
開いたままやった、壁のモニターに、アキちゃんと抱き合 うてる誰かが映っていた。
それはもちろん、俺のはずやった。だって、今、アキちゃんと抱き合ってるのは俺やもん。
そいつは、むちゃくちゃ綺麗な顔をしていた。そして、アキちゃんとは、なかなかお似合いやった。
なんでやろ、不思議。俺、アキちゃんと抱き合うてると、カメラに映るんやろか。それとも、キスしてるから映るんか。
いろいろ試したけど、どうも、アキちゃんとくっついてる時だけ、俺はカメラに映るらしかった。手をつないでるだけでもいい。もちろんキスしてても。他にもたぶん、あれとか、これとか。
一緒におらへんかったら、意味ないんやから、エントランスの顔認証には、登録せんでいいよ別にと、俺は正々堂々と断っておいた。
だけど、あれやん。早う帰って、いろいろ試そう。アキちゃんちの洗面所とかさ。でかい鏡あるやん。なんでこんなのあるのかなみたいな、今まですごく迷惑やった鏡がさ。でも、それのお陰で今日は、俺も今まで見たことないような、すごいもんが拝めるんやで。
「洗面所でやろう、アキちゃん。鏡あるし。あそこではまだ、したことなかったやん。さ、早う行こ、早う」
「ちょっと待て亨、俺にはそんな変な趣味はない。お前は変態か!」
アキちゃんの顔でエントランスを開けさせて、ずるずる引きずっていく俺に、アキちゃんはそんな愚問を投げた。
「そうやで。知らんかったんか。鈍すぎるわな。ていうか、やってみたらアキちゃんも、案外好きかもしれへんで。今までも充分いろいろ、俺の調教に応えてきたアキちゃんや。まだまだやれる」
最上階までエレベーターで一直線。家のドア前までたったの五歩や。
おかんが買ってくれた最上階の部屋 は、このフロア唯一の世帯やから、たとえばこのエレベーターホールにもまだまだ開発の余地はあるんやでアキちゃん。
そう話してやりながら、ピッと鳴って勝手に開いたドアをくぐると、アキちゃんは悲鳴みたいな声で、やめてくれ亨と叫んでいた。
いややなあ、アキちゃん。そんな俺が好きなくせに。
それからどうなったかというと、アキちゃんが発狂するかもしれんから、あんまり詳しくは話されへんのやけど、まあ、俺は、やるといったらやる男。アキちゃんは、いやよいやよも好きのうちな男。
アキちゃんが、めちゃめちゃ気持ちいいときの俺の顔を、めちゃめちゃ好きらしいのを、心ゆくまで鏡で見たわ。いいねえ、鏡。ずっと大の苦手やったけど、今は大好物。
それからアキちゃんが持ってたデジカメも試したんやで。変なもんが写る言うて、アキちゃんが嫌気がさして封印してたらしい、本格的な一眼レフやった。それがこれまた綺麗に写るねん。いいもんですな、文明の利器も。
それで散々遊んで、俺は気づいた。これで自分の写真撮れるんやったら、パスポートとか作れるやん。そしたらアキちゃんと、飛行機乗って、どこでも行けるやん。ローマとか、ロンドンとか、俺、懐かしいわ。
そう言って誘うと、アキちゃんは、びっくりするような事を言った。
俺は京都から出たことないねんと。
出ようとすると、何か壁みたいなもんがあって、電車が故障で止まったり、車がエンストしたりするらしい。高校の時の修学旅行でも、関空快速はるか号を、京都駅でぶっとばしてもうて、飛行機の搭乗時間に間に合わず、旅行がお流れになったんやて。最悪やな、お前。めっちゃ迷惑。笑けるわ!
おかんの仕業や。そうに違いない。それは何としても、外に出てみるべきや。総身 の力を振り絞ってでも。
励ます俺の絵を、自分も素っ裸で描きながら、アキちゃんはちょっと恥ずかしそうに言うた。
そうやなあ。何となくやけど、お前と手繋いでやったら、どこへでも行けるような気がするわと。
俺はその話に、もちろんデレデレした。そんな俺に追い打ちをかけるように、アキちゃんは、お前が好きや亨と、何度も囁いた。俺はそれに、ふにゃふにゃになった。
幸せすぎると、俺は思ったけど、どうもそれは、アキちゃんの作戦やったらしい。そういう時の俺の顔を、絵に描きたかったんやって。
今すぐ行こう、車でもええし、電車でもええし、どこか京都やないとこ行こう。大阪なんかどうやろう。俺は大阪大好きなんやでと話すと、アキちゃんは首を横に振った。
俺は、絵を描かなあかん。何もかも、それからやと。
夜までずっと、何枚も、俺の絵を描き続けるアキちゃんを、俺は邪魔しないようにした。
それで、晩飯作ってやったら、アキちゃんは感動していた。俺があんまり料理が上手なんで。
そうや、知らんかったやろ。俺にはいろいろ、隠し球があるで。そやから俺に、飽きんといて。
いつもお前は何者なんやと、俺を見つめて、俺を知って、それを受け入れて、いつもずっと、今日よりも明日、明日よりも明後日の俺を、好きやって言うてくれ、アキちゃん。
俺もそうする。そう決心しなくても、今まで毎日がずっと、そうやったみたいに。一年過ぎても、十年過ぎても、それを続けて。百年たっても、千年過ぎても、俺はアキちゃんとずっと一緒にいたい。
そういう気持ちを、人はなんていうの。俺は知らへん。今までそんな気持ちになったことがなくて、そやから、それを誰かに伝える必要もなかった。
なんて言えばええんや、アキちゃん。そう思って切なく見つめると、アキちゃんは俺に、お前はその顔が、いちばん綺麗やなと言った。そういうアキちゃんの、ちょっと照れたような顔が、俺はめちゃめちゃ好きやった。
それでいつまでも、ぼけっと見つめ合っていた。言葉もなく。ただなんとなく、手を握り合うて。
さらさらと、氷混じりの雪が降る音のする、静寂 の街。
それは、いつまでも忘れがたい、京都での幸せな夜やった。
――第8話 おわり――
ともだちにシェアしよう!