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9-2 アキヒコ
亨は暇なんか、俺にくっついて大学にちょくちょく来たんで、『本間のツレ』として、学内でも知られるようになってもうてた。亨は誰が見ても忘れがたい顔やろうから、いっぺんでもすれ違えば、皆、俺に、あいつ誰やねんとわざわざ訊 きに来た。
そんなご質問に俺はなんて答えればええねん。しゃあないから、あいつは俺のツレやと答えてた。便利やでツレは。関西には便利な言葉がある。友達でも幼馴染みでも恋人でも、相方やったら何でもツレや。関西人でほんま助かったわ。
まあ、そんなこんなで、本間にはどえらい顔の綺麗なツレがおるという話で、亨を見物にしにくる奴はいても、俺をモテさせようという女はおらんようになった。鮮やかなほど、きれいさっぱり。
以前なら、たまたま資材の片付けとかの用事で一緒になったりしたときに、何かちょっとのきっかけで、本間君は彼女いるん、と、控え目に訊 いてきた女もおったのに。
過ぎ去りし日々や。別にええけど。
別にええんか。ほんまにええんかな、それで。正直未だにちょっと悩んでるけど。俺のツレが怒るんで、あんまり顔には出されへんのやけどな。
「これ、シャッター押すだけでええのん?」
知ってるやろと思ったけど、なんとなく頼りなげに訊 いてきた亨に絆 され、俺はつい構ってやってた。亨は別に機械音痴やない。それでもこいつは俺が人にものを教えるのが好きらしいと踏んで、知ってるようなことを、わざわざ訊 いてきやがったりする。あざとい。あざといんやけども、それにまんまとハメられてる俺も大概アホや。
ひとつのカメラを覗 き込んで、広角で撮るからとか、そういう話を聞いてる亨の顔は、話聞いてないうえ、近かった。うっとり俺を見てる亨を、激しくドギマギして見ている教授を感じて、おっさん早よ帰ればええのにと俺は気の毒になった。
あんたみたいに気の弱いのには、目の毒やで亨は。そのうち絵のモデルやれ言いだすんとちゃうか。ほんで断られるんやで。ほんでまた三日ずる休みか。学習しろ教授。
こいつは俺以外の誰にも描かせへん。すでに何人か振ってる。そういう時の亨は極めて残酷で、描かせてくれ言う相手に、いややときっぱり答え、描いたら殺すと真顔で脅 していた。その顔がまじで怖く、傍目 に見てる俺でさえ、若干チビりそうやった。
亨はたぶん、いつもにこにこしてる訳やないんやろう。俺の前ではいつも、にこやかやけど。
今も、くつろいだような淡い微笑を浮かべて、俺に頼まれたとおりに、カメラを構えて、俺の絵の写真を撮っていた。ピッ、かしゃり、と独特の音が何度もして、亨が何枚も撮ってるのが遠目にもわかる。撮る度に、亨は背面の液晶で、自分が撮った絵の写真を、うっとりと、少し照れくさそうに見た。
絵は仕上がった。思い描いてたとおりに。
早春の川原に、亨が立っていた。服装や髪型は、資料をあたって描いた、古代の日本人が着てたというもんやった。
白い簡素な服に、何連かの勾玉 の首飾りをしていて、そこだけ色とりどりや。いくぶん淡い色合いの柔らかな長い髪を、角髪 とか言う、両耳の脇で結う髪型をしてる。そこにも花と玉(ぎょく)とが華やかに飾られている。
なんか昔の人の絵って、みんなこの髪型やってん。変かなと思ったけど、絵の中の亨には、不思議とよう似合うてた。長い髪が、亨のどことなく中性的な美貌と相まって、綺麗やった。
髪伸ばそうか、アキちゃんと、この絵をはじめて見た亨は、恥ずかしそうに俺に言うた。仕上がるまではと思って、こいつを作業室には入れへんかった。せやから完成品を見て、亨は驚いたらしかった。前に見たときにはいなかった自分が、絵の中にいたからやろうか。
なんかいろいろ物言いたげやったけど、言葉にならんという顔で、じっと俺を見て、やっとそれだけ言うたんや。俺も髪伸ばそうか、アキちゃん。こういうのもええな、と。
俺はそれに、どういうのでも、お前はええよと答えた。そしたら亨は、絵の中の亨と、同じ顔をした。切なげなような、かすかに苦しいような憂いを帯びた、愛しいものを見る目を。俺は亨のその顔が好きで、好きで、それまで何日も見つめ合うてきた絵のほうやのうて、生きて動いているほうの亨と、しばらく見つめ合うてた。
しかし、それからが問題なんやった。
やれやれというふうに、苦笑してため息をついた亨は、困ったようにうな垂れて、アキちゃん、まずいでと言った。この絵は、ナントカ会館に飾られるんやろ。そこで何人がこれを見るんやろ。俺は見せモンにされるのは嫌やと、亨は甘い声でだだをこねた。絵に描いてくれたのは嬉しいけど、この絵はナントカ会館の爺さんには売らんといてくれ。お願いやからと言うて、亨はその場で電話をかけた。
誰と話してるんやろうと思った。でも、それを訊 ねるような隙はなかった。そして訊 ねる必要もなかった。そんなことを詮索するのは無様だろうし、それに、亨は電話の相手の名前をはっきり呼んだんや。
こんにちは藤堂さん、えらいご無沙汰やったなあと、亨は親しげな口調で話した。元気にしてたん。えっ。入院したん。手術。へええ、そうなんや、大変やったね。俺のせいやないよ、俺が病気にしたんとちゃうやん。それは、あんたの運不運やで、藤堂さん。出世もええけど、ええ機会やったんとちゃいますか、ここらで休憩すんのは。死なへんで良かったやん。あのまま突き進んでたら、どうせ半年保たへんかったで。
死ぬ目におうてるとこに悪いんやけど、絵、買わへんか。俺のツレが描いたんやけど、後でメールで写真送るわ。俺の絵やで。上手に描けてるわ。それ見たら藤堂さんも、納得するわ。なんで俺があんたを捨てたか。
俺なあ、今、恋をしてんねん。むっちゃ幸せやねんで。
幸せそうに電話にそう話し、亨はそれに何か答えた相手の言葉に、身をよじって爆笑した。
そして、どことなく冷たい声で答えた。
酷 いて、そらそうやで。知らんと付き合うてたんか。俺はもともと、鬼畜生やで。
さよなら藤堂さん。長生きしてなと、そう言うて、亨は相手に返事する暇も与えず電話を切った。それから携帯のカメラで絵に描かれた微笑む自分の写真をとって、たぶん、同じその相手になんやろ、短いメールを送りつけていた。
酷 い話やと、横で見ていた俺にも思えた。相手に妬 けるというより、同情のほうが強かった。俺ももし、亨にふられたあとに、今幸せやねんという電話をかけられたら、どんなにか辛いやろ。
メールの返信は、すぐに来た。
亨はそれを、ふふふと笑いながら読み、俺に強請 る口調で言った。
アキちゃん、武士の情けやで、死にかけの藤堂さんに、俺の絵を売ったってくれへんか。この絵を眺めて死にたい言うてる。
俺はそれに、いいよとも、あかんとも返事できへんかった。この絵は、おかんの頼みで描いたもんで、元から買い手が決まってるものや。それを横から盗るような形で、他のやつに売るなんてことは、失礼すぎる。そやから無理やと、俺は答えた。亨はそれに頷いて、もう一本電話をかけた。
相手は祇園 で画商をやってるという、恰幅 のいいおっさんやった。
なんで恰幅 がいいと分かるかというと、そのおっさんも、今この場にいてるからや。
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