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9-5 アキヒコ

 任意同行や言うて、お前はコロンボか銭形かみたいな、くたびれたベージュのコートの刑事が、わざわざ大学で絵描いてた俺んとこに来てん。  彼女の死体が出たというんや。  それは俺にも青天(せいてん)霹靂(へきれき)やったけど、彼女の親にとってもそうやったらしい。  彼女は実家から大学に通うてたけど、刑事が言うには、素行(そこう)の悪い娘やった。一年の頃から、友達の家に泊まるとか言うて、ほとんど家に戻ってなかったんやて。  せやから娘が半年もろくに実家に顔出さんと、元気やから、絵描くので忙しいから言うて、手短な電話だけで話をすますのに、何の疑問も抱いてへんかった。  死体が出たと、これはお宅のお嬢さんやないかと言うて、刑事が家に来るまで、彼女の親は娘が死んでたことに気づかへんかった。それで慌てて死因を探ることになり、刑事は俺に行き着いた。  そりゃそうやわな。半年間、俺が彼女とつきあってて、半同棲状態でしたという話は、うちの学生なら大抵のやつは知ってたみたいや。それで刑事は、俺が彼女を殺したんやないかと、目星をつけたらしい。  ある意味そうかもしれへんと、俺は反省した。もしかしたら彼女は、俺と別れたことがもとで、死んだんかもしれへん。自殺のように見えるがと、刑事は話してた。作業棟の屋上から、飛び降りたんやろうって。せやけど、そうは見えるが、もしかして、お前が突き落としたか、首でも絞めて殺してもうて、焦って自殺に見せかけようと、屋上から遺体を落としたんちゃうかと、刑事は俺に尋ねた。  その時、これが取調室かと、俺は思っていた。テレビで見たことあるわ。ほんまにあるんや。まさかそこに、自分が犯人役で座るとは、夢にも思わへんかった。人生て、いろいろあるんやと、俺は実感した。  しかし分からへんのは、刑事が繰り返し、俺が彼女を殺ったのは、半年前やと言うてることやった。どういうことやねんと、刑事は俺に尋ねた。どういうことやと、俺も思った。  作業棟の裏から出た死体を検死したら、半年前ぐらいに死んだもんやったらしい。それは、俺が彼女と出会うた頃のことやった。  お前は死体と寝てたんかと、刑事は俺に凄んだ。凄まれても困る。  しかしクリスマス前に提出されている退学届けは、彼女自身が学生課に持って来たんやという。判子忘れて、判子なかったらあかんと学生課のおばちゃんに言われ、彼女は判子なんか持ってきてへんと怒り、拇印(ぼいん)でええやろと言うて、親指の指紋を残していった。それは間違いなく、本人の指紋やったというんや。  なんで半年前に死んでる女が、拇印(ぼいん)捺せんねん。  刑事はその辻褄の合わなさに、怒っていた。怒っているのではなくて、ほんまは(おび)えてたんかもしれへん。  お前はなんか、この女の死について、知ってることはないかと、刑事は繰り返し俺に答えさせようとした。しかしな、知らんもんは、答えようがない。  そうこうしてるうちに、刑事は電話やいうて呼ばれ、戻ってきたときには、顔面蒼白やった。そして、角度九十度以上の、猛烈に深いお辞儀を俺にして、申し訳ありませんでしたと言った。  お帰りいただいて結構です。大変失礼しましたと、刑事は平謝りし、この件については記録が一切残らないと確約して、俺を車で大学まで連れて帰ってくれた。心配してくっついてきてた亨も、もちろん一緒にや。  なんやったんや、あれは、と俺が亨に()くと、おかんやろと言った。アキちゃんのおかんが、電話してきたんやろ。本人かどうかわからへんけど、刑事が青なるような誰かが、直に電話してきはったんちゃうか、ほんで、アキちゃん帰してやれと、言うたんちゃうか、と。  世の中の不思議な仕組みやった。  しかし、守屋(もりや)とかいう、その刑事に後日電話して、俺は彼女の実家の住所を聞いた。焼香に行きたかったからや。刑事は教えてくれた。その場で直にではないんやけど、何日かしてから、彼女の親から学校経由で、焼香に来てもらいたい旨が俺に知らされた。  それで行ってみたんやけど、ものすごく普通の家やった。テレビで見るような、ものすごく普通のマンション。そこに両親と、なんか若干グレてるっぽい高校生の弟と、四人家族で彼女は住んでて、本人の部屋も、高校時代のまんまやという、ありきたりの女の子の部屋やった。  一年のときはまだ、彼女はそこから大学に通ってた。建前上は、死ぬまでずっとそうやった。  花柄の壁紙の、ベッド脇の壁に、彼女が描いた鉛筆線のスケッチが掛けてあった。俺を描いた絵やった。そういえば一年の新入生の頃、教養課程で人物デッサンの授業があって、適当な相手と組まされてお互いを描いた。その時、俺は彼女と組んだらしい。憶えてるような、憶えてないようなやった。  その頃から、娘は本間君のことが好きやったみたいですと、彼女のお母さんは言うてた。涙を拭いながらの話で、要領を得なかったんやけど、娘が死んでから、母親は日記を読んだらしい。日記言うても携帯で書いてたブログみたいなもんらしい。せやから個人名なんかは曖昧で、誰が誰やかわからんような、十代終わりの女の子の心の日記なんやけど。  一年のときに、組んでスケッチした相手の男の子が好きやけど、住んでる世界が違いすぎると、彼女は嘆いてたらしい。そんなことないよ、告白してみなよと、どこの誰とも知れんやつがコメントつけてたらしい。そのあと彼女は延々と悩み、絵が描けへんようになった。絵が描けへん。もう死にますと、それだけ書き残して、心の日記は終わりやった。死んだらあかんと止める者は、誰もおらんかったらしい。  たぶん、狂言やと思われたんやろう。そんな自殺予告みたいなブチキレ日記、珍しくもない。それでいちいち捜査してたら、刑事が何人おっても足らんのです奥さんと、例の守屋刑事は済まなさそうに言うたらしい。  薄情な世の中や。二十歳(はたち)なりたての女の子が、もう死ぬ言うてんのに、誰も止めへん。死んでても、実の親でさえ、半年も気づかへん。その女に惚れてるつもりの男が、相手が実は死人やったということに、いっぺんも気づかへんかった。俺はほんまに、彼女が好きやったんやろか。鈍いというか。鬼みたいな男やで。  遺影に写ってる彼女は、相変わらず可愛かった。そういえば、付き合うてる半年間、一枚も写真を撮らへんかった。俺が撮ると、何や変なもんが写るからやったし、彼女も写真撮りたいて言わへんかった。それも変やと、なんで思わんかったんやろ。  もし写真撮ってたら、あの()はどんなふうに、写ってたんやろ。実はのけぞるようなモンが、写ったんかもしれへん。そんなら、一枚も撮らんで正解やったんかなあ。俺は彼女の、綺麗なとこしか知らへん。可愛い()やったと、今でも思うてる。可愛かった。最後は喧嘩別れやったけど、でも、最後まで、ものすご可愛い、美しい()やった。  俺は幽霊と付き合うてたらしいと、俺は外で待ってた亨に報告した。  ふうん、そうなんやと、亨は驚きもせずに答えた。  俺と付き合い始めた時には、もう幽霊やったんや。一年の時から俺が好きで、部屋に俺を描いたスケッチが飾ってあったわと、なんとなく呆然と俺が話すと、亨はそこで初めて驚いたみたいやった。  そして、なんやって、ブスだけやのうて姫カットにもモテてたんか、と言うた。ブスって、誰やねん。  亨はそのことに、ひとしきり驚いていた。意外オチやと、ぶつぶつ言っていた。最後のおまけで、アキちゃんて生きてる女には全然モテへんなと言った。余計なお世話やった。  まあ、とにかくそれが、年明けてからこっちの、忙しく激しい一連の出来事と、新しく俺の前に現れてきた人々のあらましや。  よう絵が仕上がったもんやと、俺は思う。自分の集中力と、創作への情熱に讃辞を送りたい。  今年はどんな年になるんやろと、俺が思ってた時には、毛ほども想像してへんような滑り出しやった。

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