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9-6 アキヒコ

 もしかすると、この後の十一ヶ月ちょいも、ろくでもないんとちゃうか。亨と出会うてから、ずっとそんな調子や。こいつのせいか。それとも全部、俺のせいで、生まれつきこんなもんやったんか。  どっちでもええわ。どうせもう、どっちのせいなんか、確かめようがない。亨はべったり俺に取り憑いていて、離れる気配もないし、俺も亨と離れる気はない。せやからどっちのせいでも、結局同じや。 「アキちゃん、用事済んだんやったら、早よ行こう。梅田の阪急の駅にある寿司屋、めっちゃ美味いで。昼飯に寿司食おう」  にこにこして亨は作業棟を出ようと誘っていた。  ほな僕も帰りますわと、狐男が床に置いてた書類鞄を持った。 「暁彦君、大崎先生ご依頼の絵、早いとこお願いしますよ。ラブラブもええけど、仕事やねんから。先生もお待ちかねやし。何やったら僕がご案内して、祇園(ぎおん)のいい()をご紹介しますんで、今度一杯やりましょ」  銚子(ちょうし)から飲む手真似をして、時代がかった丸メガネの秋尾さんはにこにこ言うた。 「なに言うとんねん、この狐! アキちゃんに変な遊び教えるんやない」  亨が目の色変えて怒鳴っていた。 「かなわんなあ、若い子はうるそうて。元気だけが取り柄やなあ、亨君は」  あっはっはと笑って、ほなよろしゅう、と手を振ると、狐はドロンと帰っていった。もちろん歩いて出ていったんや。いちいちドロンしてたら、現代では大騒ぎやからな。狐かて今時は、スーツ着て現れ、車乗って帰るんや。 「もう、ほんま油断ならんわ。あいつ爺が老い先短いんで、転職先探しとるんちゃうか。気つけやアキちゃん。アキちゃんは外道にはモテモテなんやから」  そういうお前に一番モテとるんやけど、外道言うていいんか、亨。  俺はそれを口に出すかどうか、ものすごく悩んだ。なんでって、まだ、青い顔した教授が居ったからや。 「先生、まだいてはったんですか。俺、帰るんですけど、作業室の鍵閉めたいんで、出ていってもらえませんか」  俺が頼むと、教授ははっとして我にかえったような様子でいた。 「そうかそうか、すまんな。しかし本間君はあれやな、いつ話しても口が悪いなあ」  しみじみしたように、教授はまだ青い顔のまま言った。 「それはもうええんやけど……君は、あれか。その。男でもええんか」  むっちゃ()きにくそうに()いている教授に、俺はぽかんとした。  何言うてんねん、この人。ええわけないやろ。俺はな、女の子のほうが好きや。いや、そうやのうて、女の子が好きや。亨がたまたま男なだけや。それもどうかと思うけどな。言い訳か。実は好きなんか。男が。というか、男も。どっちでもええんか。  自問して俺もだんだん青い顔になってきた。 「おっさん、教え子に手え出すな。誰でもええんか、おのれは。俺にも色目遣いくさって、そのうえアキちゃんにまで粉かけるんやない。頭からバリバリ食うぞ」  亨はもう必死みたいに、その声でそう言うかと思えるような凄み方をした。お前、顔綺麗やのに性格汚いんとちゃうか。それに何言うとんねん。俺の平和やった大学生活の世界観を、些細な一言でめちゃくちゃにすんな。俺はまだ三回生やぞ。まだ丸一年、この教授と付き合うていかなあかんのや。 「い、いや、誰でもええわけでは。君は顔綺麗やなあと思って見てただけで、どっちかいうたら……」 「どっちか言うな!」  どっちか言いかけた教授に、俺は怒鳴った。 「大阪!」  そして隣にいた亨に向き直って、話の勢いで、そっちにも怒鳴った。亨はびくっと驚いていた。 「大阪行くぞ、亨。電車で行くからな。叡電(えいでん)出町(でまち)まで行って、そこから京阪(けいはん)四条(しじょう)まで出て、また阪急に乗り換えやからな。迷子にならんようにちゃんと付いて来いよ」  俺がつい命令口調で言うと、亨は素直にうんうんと真顔で(うなず)いていた。  この癖ぜんぜん治らへん。それでも亨は偉そうな俺に文句も言わず、時には素直やった。 「先生、妙な気起こしたら、俺、別の科に転向しますから、そのつもりで」  指さして言い渡すと、教授は蒼白の顔でうんうんと(うなず)いた。  俺は全員追い出して、作業室に鍵をかけ、亨を連れて脱兎のごとく学内を通り抜けた。  畜生、おっさん、噂はほんまやったんか。あいつは怪しいという、そんな話は学生たちが酒飲み話に一通り教員名簿をひと舐めする種類のもんで、信憑性はないと思ってた。でも、火のないところに煙は立たずか。人の噂は馬鹿にはでけへん。今まで気づかへんかった俺が鈍かったんや。  寒い。寒すぎ。鳥肌立ってくる。我慢ならんと俺がぶつぶつ言うてると、寒いんかアキちゃんと亨が猫撫で声で言い、腕を組もうとしてきた。それを、お前も寒いと思わず振り払って、むごいわアキちゃんと、亨に涙目で言われた。  俺が悪いんか。  そうかもしれへん。  けどな、俺にも我慢の限界があるんや。  この世には、まともなやつは一人もおらんのか。どいつもこいつも皆、変やで。異常すぎ。その上、まともと信じてた自分まで異常で、俺のこと嫌いなんかとめそめそ言う亨に、人目もはばからず、ごめんなごめんなと謝らされる羽目に。  それでなんとか機嫌を直してくれた亨に、手を繋がれたのは仕方ないと妥協して、ほとんど引っ張る速さで俺はふたたび学内を駆け抜けた。こっちも必死やった。できれば誰の目にもとまらず行きたい。  しかしもちろん、それは返って目立った。あいつは誰や、本間のツレやという話が時々聞こえた。なんでか知らんが、全身真っ白に絵の具を塗って、その上にトイレットペーパー巻いて、ミイラ男みたいになった三人組が、変な踊りを踊りながら、おおい本間のツレと、親しげに亨に呼びかけてきた。  なんやねんあいつら、それ何のアートやねん。お前ら人間か。それとも人外か。どっちなんかパッと見に区別つかへん。ここも異界や。亨のほうがまだまともに見えるくらいや。  たまたまホームに滑り込んできてた叡電(えいでん)にダッシュで飛び乗り、がら空きの車両に例のお婆ちゃんがいないことにホッとしながら、俺は亨と終点の出町柳(でまちやなぎ)を目指した。そしてそこで京阪電車に乗り換え、緑色で、ブレーキかけるとやたらとキイキイ言う車両に揺られ、四条河原町(しじょうかわらまち)についた。  そこは京都でいちばんの繁華街で、昼時にさしかかった街には、大勢の人が行き来していた。  地下駅から階段上がれば、目の前は鴨川やった。川原の話をする亨を無視して橋を渡って、そこから対岸にある阪急電車の地下駅へと降りていく。薄暗い階段と地下通路には、なぜかいつも、ちょろちょろ細い水が流れていて湿っぽい。雨でも晴れでもおんなじくらい流れてる。この水どっから来てるんやろと、来るたび不思議やけど、その程度の不思議はもう、俺にとって、ものの数ではない。  梅田行きの切符を買って、さらに地下にあるホームへ降りると、タイミングよく出るところやった特急列車の、対面式になっている席が、タイミングよくふたりぶん空いていた。  今日はついてると思って、俺は亨とそこに座った。

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